第28話 王太子の婚礼⑤
王族も、臣下の貴族も、親衛隊も、そしてランキエール兵でさえも、誰もが息を呑む中、ヴィヴィエンヌは王太子と聖女へ振り返った。
「アドリアン殿下、ミレイユ殿下。ご無事でいらっしゃいますか?」
聞かれた二人は、歯ぎしりをするのみだ。
彼らは怪我はおろか、何一つ汚れてなどいなかった。
返り血はすべて、ヴィヴィエンヌが深紅のドレスで受け止めてしまったから。
彼女は余裕たっぷりに沈黙を肯定だとみなし、
「何よりですわ。私も臣下として、たいへん安堵しております」
と言い放つ。
会場のすべての視線はステージ上のヴィヴィエンヌの勇姿に注がれていた。太陽の聖女による権能も消えぬまま、未だに神々しく日光が降り注いでいる。
さっきまで何が行われていたか、新郎新婦の誓いがどんな風に行われたかなど、すべてが上書きされるほどの圧倒的な絵面。この襲撃も聖女も、すべてを利用して、彼女は結婚式を乗っ取ってしまった。
アドリアン殿下からすれば、どうにか「ふざけるな」などと言いたいに違いない。
だが、何も言えるわけがない。
どこからどう見ても完璧な命の恩人に対して、花嫁のドレスを守った忠義者に対して、糾弾する如何なる理屈もない。
そう、結婚式にそぐわぬ深紅のドレスですら、すべては計算のうちだった。
新郎新婦の入場のときに、二人が覚えたであろう不快感も、神聖な結婚式に水を差した無礼も、すべては、花嫁のウェディングドレスを守るためという一点において、許さねばならなくなってしまう。
「両殿下には、まずもってお詫びを申し上げねばなりません。この神聖なる儀式の場において、かくも破廉恥な色の装いにて参上いたしましたこと、本来であれば、いかなる弁明も許されぬ不調法に存じます」
ヴィヴィエンヌはわざとらしく顔に反省の色を浮かべ、小さく頭を下げる。
「ですがこれは、この聖域の純白を守るため、致し方なかったことであると、ご理解ください」
彼女はそう言いながら、後ろ手でコルセットの紐を解いた。
ドレスの背中が割れる。彼女は腹からばっ、とドレスを引っ掴んで脱ぎ、手袋と一緒に、背後のフェンリクに向かって投げた。
観客がどよめく。
深紅のドレスの下から現れたのは、ドルナク家伝統の、淡い藍色のドレス。
ドルナクご用達の染師が染めた上質のサテン生地。銀糸とレースで飾り立てられながらも光は反射せず、あくまで控えめかつ荘厳に、ドルナク家の紋章である猟犬が小さく縫い付けられている。
結婚式のドレスコードなどすべて満たして余りある、由緒正しき衣装である。
先ほどの反抗的で英雄的な装いとは打って変わっている。
聖女ミレイユの花嫁衣裳の前では、脇役も脇役。
今ここにあるのは、襲撃前となんら変わりなく清純で清潔で神聖な式場と、ただ忠義を尽くした臣下のみ。
これでもう、何一つ、文句のつけようなどなくなってしまった。
それからヴィヴィエンヌはスカートの裾を持ち上げ、深く、深く貴婦人の礼をした。
「改めまして、アドリアン王太子殿下。ミレイユ王太子妃殿下。この度の御成婚、誠におめでとうございます」
王太子と聖女の返答はまたも沈黙である。
ただ圧倒されるばかりの観客たちも同様。だがしばらくして、どこからか拍手が鳴った。
なんと拍手を始めたのは、国王陛下その人だった。
拍手は徐々に伝播する。この結婚式の主役であった王太子と聖女を置いて、国王が称えたのなら、誰もがあの乙女を称えていいのだという承認を得たに等しい。そしてランキエールの戦士も含め、この襲撃を防いだ功労者たちにも、その喝采が及ぶ。
ヴィヴィエンヌがステージを降りてなお、その拍手は止まらなかった。
◇◇◇
襲撃があった以上、本来なら式は中止するべきだ。
しかし、会場を覆った異様な空気がそうさせなかった。王権を無傷で守り切ったことと、花嫁である聖女ミレイユがまさに闇を払ったという事実は、式をやり直すことをまったく不可能にするくらいの奇跡で、このまま王室の未来を見届けようという諸侯の熱狂を無視などできなかった。
ランキエールとドルナクはステージから降り、ただちに元の中央左の来賓席に戻った。
ヴィヴィエンヌもあの藍色のドレスで、俺の隣の席に戻る。
あれだけのことをしたのに涼しい顔をしている。それどころか疲れている様子をまるで見せないで、ぴんと背筋を張ったままだ。
ただ、俺だけは、彼女の体の軸がわずかに傾いていることに気付いた。
「どこか痛めたのか?」
「……よくお気づきで」
「どこだ」
「大したことはありませんわ。ただ、その」
ヴィヴィエンヌははにかんで言う。
「実は脚を振り上げたときに、股関節がぐきっと……」
それが聞こえたのか、ヴィクトール殿が苦笑で応えた。
さすがにしばらく時間を置いたが、結婚式の続きが始まった。
だが、異様な空気は未だに残っている。貴族たちはみな、先ほど遭遇した劇的な絵が頭の片隅に残ったままで、催し物に感心をしたとて、それは襲撃の熱狂が尾を引いてしまっていた。
指輪の交換も。
聖歌隊の合唱も。
有力者による祝辞も。
新郎新婦の退場でさえも。
彼らの脳裏には、深紅のドレスに身を包んだあの乙女が守ったものである、という印象が強く刻まれてしまっている。
翌日の新聞はこぞってヴィヴィエンヌの勇姿と、ドルナク家とランキエール家の活躍を一面で報じた。民間の記事はすべてそれだった。
あくまで王太子の結婚を一面で取り上げたのは、王宮の機関紙のみである。
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