第25話 王太子の婚礼②
私はその光景を、すべて目に焼き付け逃すまいとしていた。
聖女の権能で燦燦と降り注ぐ日光の中、最初にアドリアン殿下が入場した。
殿下は王家伝統の灰色がかった白のサテン生地に、金糸(王家の色が金である)と宝石で煌びやかな刺繍をした胴衣を着込み、祭壇の右側を目指してまっすぐに歩み始める。典型的な結婚式の王子そのものの服装と所作であり、特に問題はない。
対し、その次に入場してきた、主役である花嫁、聖女ミレイユの異様さたるや。
彼女は白絹のウェディングドレスを身に纏い、屋外に特設されたパイプオルガンが奏でる聖歌の十四番の荘厳な旋律と共に、しずしずと歩いて現れた。これも問題のない所作だった。トレーンを持つのは王妃直属の高貴な血筋の侍女であり、すべては伝統に沿った、文句なく上品で神聖な装い以外の何物でもないはずなのだ。
だのに、なぜここまでの蠱惑を醸し出せるのか。
転生を繰り返し魂を磨いた“聖女”という存在そのものが、空恐ろしくすらなる。
結われた黄金の絹髪に冠された王族のティアラ。たなびく純白のヴェール。日光を受けてキラキラと輝くレースと金剛石の装飾。何もかもが侵しがたい純潔さを演出するのに、どうしてここまで男の目線を誘引するかのような妖艶さが出るのか。
ウェディングドレスにしては背中が大きく開いている方だ。レースは透けていると言えるかもしれない。
ただ、そうではないのだ。魔法や、魅了の類でもない。その根源はきっと彼女が根本的に持っているたおやかさと、触れるだけで手折れるものと幻視してしまいそうな、柔らかく儚い線の細さ。そのすべてが彼女を蠱惑たらしめてしまう。
──ああ、これが、私が負けた女の姿か。
結局私はそのように思ってしまったから、つまるところ、彼女が持つある種の美しさに圧倒されただけかもしれない。
気を張って己の脚で立たねばならない己と、あの手の女は、どうしたって何か人生の引っかかりと結びついて比べてしまうものだから。
ただ、物思いに耽ってしまいそうだったそのときに、私を解き放ってくれたことがあった。
それは意外にも、アドリアン殿下の眼差しだった。
殿下は振り返って聖女の到着を待つ間隙に、場違いな服装でやってきた私という異物を認識し、微かに表情を歪めた。そしてわざわざ彼の中で私と聖女を見比べ、おまえなど取るに足らない愚か者だと切って捨てるような、蔑んだ視線を送ってきた。
聖女もそのやり取りを気取り、あの余裕ぶった静けさが僅かに乱れて、私にむかって横目を細めて侮蔑の意思を伝えてくる。
私はそれが痛快で仕方がなかった。
これはまだ些細な意趣返しに過ぎない。
──本番は、これから。
心の中でそう呟いて、ただ祭壇の方を確と見据える。
オルガンが奏でる聖歌が最高潮に達すると同時に日光の強さもピークを迎え、花嫁が祭壇の前に到着した。
司祭は何拍かを置く。聖歌と日光は盛りを過ぎて、徐々に落ち着き始め、式場に相応の落ち着いた雰囲気が戻ってくる。
新郎新婦の準備が整ったと見るや、司祭は朗々と宣誓を始めた。
「そなたらが今日ここで為そうとすることは、ただ人の取り決めにあらず。我らが主が証しすることである──」
これで、想定した配置と成った。
ステージの上には新郎新婦と司祭の三名のみ。警備とも距離がある。視線は宣誓に注がれており、右最前列の王族への注意も散漫。
トリスタンとお義父様に目を遣る。
準備はできている。あとはいつ、敵が仕掛けてくるのか待つだけ。
一度強まった日光が薄らいだおかげで、会場の光は外光でさえもやや暗く見える。人によってはさっきの光で視界が白み、今は薄暗く映るほどだろう。
「──ゆえにこの絆は、ただ人の手で解くことは叶わぬ」
神への宣誓が終わると、司祭はアドリアン殿下の方を向く。
「神とこの聖なる教会の御前において問う。そなたは、ここに立つこの女性を、正妻として迎える意思があるか。聖なる母なる教会の定めに従い、富めるときも、貧しきときも、栄えるときも、困難のときも、彼女を愛し、敬い、守り、死がそなたらを分かつそのときまで、この契りを破らぬと誓うか」
殿下は息を呑み、至福の時だと言わんばかりに感じ入り、息を整えている。
私はヴィクトールの方を向きながら周囲を確認する。
──まだ、異常は起きないのか。
今の瞬間を逃しては、王太子も王族も親衛隊の警備に守られてしまう。
今しかないのだ。刺客が来るとしたら、今しか。
日光はますます薄らぐ。もう権能の効果は消えて、普段と変わらぬほどだ。それどころか雲が出て影ができたのか、新郎新婦が入場する前より暗くなっているくらいである。
アドリアン殿下はついに一言、端的に答えた。
「誓います」
司祭はそれに無表情で応え、次に聖女ミレイユの方を向く。
「同じく問う。そなたは、ここに立つこの男性を、正夫として受け入れる意思があるか。神の法と聖なる教会の掟に従い、彼に誠を尽くし、生涯にわたりその絆を守ると誓うか」
聖女ミレイユはぼうっとした表情でその瞬間を噛みしめていた。
ずいぶん暗い。太陽の権能はもう使っていない。その余裕もないのだろう。
私は辺りを見回す。四方を囲む壁に目を遣り、来賓の桟敷も確認し、誰か閃光弾でも投げようとしていないか見る。閃光弾なら見さえしなければ対処は容易。しかしそんな素振りを見せる者は一人としていない。
「誓います」
聖女ミレイユが言い切る。
この瞬間、二人の正式な婚姻が結ばれた。
緊張から解き放たれたアドリアン殿下と聖女ミレイユは互いに顔を綻ばせ合う。来賓も、一つの区切りを超えたと安心して、いつの間にか上がっていた肩を落とす。
まだ、襲撃は──
逸る気持ちの中、ようやく私は、その異常に気付いた。
周囲が、暗すぎる。
これでは太陽が雲に隠れたどころじゃない。
気付いたときからその暗さはぐんぐんと増した。まるで空気が太陽の光を吸収したかのように急激に視界から色が失われ、急に曇った夕方が来たかのような明るさと体内時計の差異が、激しい違和感となって襲った。
警戒していなかった者にはすでに、漆黒の闇にすら見えるだろう。
私は二秒、目を瞑った。この先のより深い暗闇に先んじて慣れるため。そして、考えて判断をするため。
これはきっと影の魔法。
言うなれば太陽の権能の、真逆。
目を開く。
──まだ見える。これなら、やれる。
「トリスタン!」
「ああ!」
トリスタンが来賓席を飛び出し、右最前列の王族席へ先行する。その後ろをヴィクトールが追う。
私はスカートの裾に隠した照明弾を打ち上げ、お義父様と共にまっすぐ、ステージに向かって駆ける。
次の瞬間、右奥の壁から破裂音と破砕音が鳴った。限られた視界の中、白刃の煌めきとなだれ込んでくる刺客たちの影だけは捉えることができた。
反王太子過激派のお出ましだ。




