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第24話 王太子の婚礼①

 ゆっくりと進み続けていた馬車が停止する。

 私は馬車の中で神妙な顔で座るトリスタンに、一言かける。


「行くわよ、トリスタン」

「……ああ」


 いよいよ婚礼の儀、まさに司祭が王太子アドリアンと聖女ミレイユの婚姻を承認する、式の当日だ。


 会場は王宮の広大な前庭。時刻はもっとも日が高くなる正午。

 この時刻に、大聖堂ではなく屋外で儀式を執り行うのは、聖女ミレイユの太陽の権能を活かすためのものである。


 王宮へ続く街道の、はるか手前に馬車の停止線が引かれていた。奥には警備で囲まれた特設の壁があり、その内部が会場である。周囲には停止線を押し返すように王都の民が見物に訪れていて、貴人はそこで馬車を降り、ゆっくりと会場に向かっていく格好だ。


 家の伝統と意匠を凝らした礼服に身を包み、感心と歓声を受けていく貴族たちの中で、私たちは一段と浮いていた。

 かつて断罪され罪人となった元王太子の婚約者である、私、ヴィヴィエンヌ=ランキエール。その罪人を輩出してしまったドルナク家。私を娶ったランキエール家も、ドルナクの糾弾に組しない以上は同じ扱いを免れない。私たちは式の前にアドリアン殿下に挨拶に伺うことも許されなかった。これは、私たちはあくまで遠方から出向き、式への出席をもって謝意と服従を示す他ない、という王太子からの通告に他ならなかった。


 なら、我々は黙って罰のように式典を過ごすべきなのか。企みがあるとはいえ、時が来るまではあくまで罪人然と過ごし、目立たぬよう、叛意を疑われぬよう、小さく縮こまって隠れるように歩むべきなのか。


 私たちはそれを潔しとしなかった。

 馬車の背後には十二人の、王都ではあり得ない大きさのランキエール兵を従え、手配された宿屋から王宮の前まで、衆目を集めるに集め、ここまでやってきたのだ。


 トリスタンが先に馬車の扉を開けて降りる。

 彼が立ち、周囲を見ると、観衆の方から徐々に黄色い声が上がった。先を行っていた貴人たちも振り返り、令嬢たちは振り返って固まって、中には恍惚とした表情を見せ、その場で耳打ち合う者もいたほどだ。


 ──あんな御方、社交界にいたかしら。


 令嬢の中から、 そういう声が聞こえてきた。


 きちんと身を整えたトリスタンの美丈夫ぶりは、王都の基準に当てはめたとしても、武を備えた美として頂点にあった。

 まずもちろん、常識外れた体格の良さが目を惹く。並の女の胸元ほどあろうかという脚の長さに、それでいて細いなどとは感じさせぬ張り詰めた筋肉。その野性味を白の上品なウエストコートが包み、黒絹のビロードを基布に誂えられた、紫と銀の刺繍のコートを羽織っている。ランキエール人特有の奔放な赤毛はきちんと王国式の編み下げ(クー)に撫でつけられ、異国情緒(エスニック)な風すら吹いている。そして、その完璧に整えられた装いからですら、彼の内なる荒々しさが迸ってきた。彫りの深い目鼻立ちの陰影に、煌めく鋭い目つきから、彼が収めてきた戦の勝利すら漂うほどだ。


 とにかく、何もかもがよく映える。遠くから一目見たときでも、近くに寄ったとしても。

 トリスタンはまるで、物語の中の異国の王子が、暴力的な美を纏ってこの世に出でたかのようだった。


 そしてその彼は、馬車の扉の前で背を屈め、すっと私に手を差し出した。


「お手を取らせてください。わが麗しき君よ」


 令嬢たちの目を一気に惹いた鋭い目が、真摯に私に向けられ、思わず心臓が一度弾む。顔が綻びそうになる。


 ああ、ダメよ。今浮ついてしまっては。

 これから私は、もっと度胸のいることをせねばならないのだから。


「ええ、喜んで」


 私は彼の手を、()()()観劇手袋(オペラグローブ)に包んだ手で取った。


 それから三歩で馬車を降りる。トリスタンを見てざわめいた観衆は、それを優に上回る音量でどよめいた。


 私が選んだのは、薔薇のように広がる、()()のドレス。

 花嫁が主役の結婚式にあって、来賓が着ることなど考えられない、この場においては最悪の服装。顰蹙を買うのは必至だ。


 周囲の令嬢も、奥方も、それどころか男だって苦い顔をする。何か汚らわしい、非常識な汚物を見るような視線すら注いでくる。


 けれどトリスタンは優しい声で、


「似合ってるよ、ヴィヴィエンヌ」


と言ってくれる。私は小さな声で、


「ありがとう、トリスタン」


と答える。


 絶世の異国情緒(エスニック)な美男子に、非常識な深紅のドレスに身を包んだ非常識な女。


 そのちぐはぐさで人々の目線を一身に集めながら、ドルナクとランキエールは結婚式の会場に入った。



***



 新郎新婦が愛を誓う壇上(ステージ)には仰々しい祭壇が置かれ、神権と王権を象徴する、豪奢な神殿ように誂えられていた。

 傍にはわざわざ切り離され、持ち出された巨大なパイプオルガン。金だけかけて演出された馬鹿みたいな荘厳さだ。こんなところで王国中から集めた観客に愛を見せつけるだなんて、失笑ものだと思う。


 ──まあ、こんな格好をしている私が言えた義理じゃない。


 私とトリスタンは会場の中でももう目立つ目立つ。ただでさえお義父様であるランキエール侯爵の上背とトリスタンの美丈夫っぷりで目立つのに、私の非常識な深紅のドレスが顰蹙を買い、一団は誰も近くに寄りたくないレベルで異彩を放っている。ドルナクの両親とヴィクトールはそれに物怖じせず、表情を変えないながらもなんだか面白そうに佇んでいる。


 会場の収容数はおよそ五千である。集められたのは伯爵以上の高位貴族に、教会の幹部、各分野の有力者、外国使節等々。

 王宮の前庭とはいえ易々入りきるものではないから、警備のスペースすら削られて、この会場は設営されている。貴人が各々連れてきた護衛たちは、会場の外で式の警護にあたっており、内部を守るのは王宮の親衛隊のみだ。


 その中で私たちが案内されたのは、ステージを前に見て中央左側である。通路が近いので、事が起きたときにはまずまずといったところだろうか。

 守るべき王族席は右側の最前列で、まだ空席だ。王族の入場は式の手順に組み込まれている。


 来賓が揃ったことが確認されると、会場を囲う特設の壁が閉じた。それからしばらくは準備の空白があり、手持ち無沙汰の時間を過ごしたあとに、ステージ下の親衛隊の兵士が叫んだ。


「ただいまより、王族殿下方のお成りでございます!」


 壁の一部が開く。

 そこから、王族方が現れ、ゆっくりと王族席に向かって歩き始めた。


 私はそちらに頭を振り、隣のトリスタンに言った。


「あれが実物よ。ちゃんと確認しておいて」

「なるほど。……言った通りだな」


 と言いつつ、私も各人変わりないか、一応確認する。

 王太子の結婚式というだけあって、本当に勢ぞろいだ。第二王子ソラン殿下を始めとした第二十五王子まで全員いる。王女の方は、あの引きこもりで有名な第八王女マリネットまで来ていた。


 王族方が席に着くと、より一段声を張って、親衛隊の兵士は叫び直した。

 

「国王陛下の、おなーぁーりーーー!!!!!」


 同じく壁の開いた箇所から国王同妃両陛下が現れ、ゆっくりと王族席に向かって歩き始めた。

 実は国王陛下がおいでになるのは久しぶりのことだ。ここ数年は体調の悪化とアドリアン殿下との対立により、表舞台に姿を現さないでいた。


 体調はまだ悪いのだろう。杖をついていて、そして時折、王妃殿下がお支えになっている。

 しかしながらお姿が見えたということで、臣下一同は安堵するばかりで、通常の儀礼と同じように男も女も深く頭を下げ、陛下のご来場に敬意を示す。


 陛下がご着席なされると、司祭がステージの真ん中に立った。


 司祭は針の付いた盤──おそらく日時計だろう──を持って、差し出すように掌の上に置き、その時を待つ。


 それはおそらく、太陽がちょうど南中し、太陽の聖女ミレイユの力がもっとも強まる時刻。


 司祭が盤を懐にしまうと、パイプオルガンの演奏が始まった。

 同時に太陽の光が不自然なほどに強まって、式場を神々しく照らすようになる。


 さあ、結婚式が、始まる。

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