第23話 街娘ヴィヴィ
祭りの音楽と人混みにあふれる王都の街を、二人で歩いていく。
といっても、向かう先はヴィヴィエンヌがすでに決めていた。事前に手配した別の仕立て屋だそうで、美容院も併設されているらしい。ランキエール人とはいえ、俺の体格なら王都の最大サイズの既製品が間に合うので、一から仕立てるよりはそちらの方が良かろうということだ。
仕立て屋までは少し距離があって、着くと言った時間にもまだある。
なのでしばらくは、二人で好きに祭りを見回るような格好になった。
ランキエールから連れてきた部下抜きで街を見ると、まるで細工された模型の中に入ったようだった。隙間なく敷き詰められた石畳が、靴に少しも引っかかることなく平坦に並び、また、見回せば大きな硝子張りの壁で、中の商品を見せている店すらある。存在こそ聞き及んでいたものの、この透明度の平面硝子などは、ひと昔前のランキエールでは極上の宝石として取引されていたに違いない。
そして、一番のランキエールとの違いといえば、全体的な背の低さだ。
人がみな、男は俺より頭一つ、女は二つ分ほど小さく、やけに見晴らしが良い。たまにすれ違う同じくらいの背丈の男に変な共感を感じ、しかしすれ違いそうになったらむこうはこちらの太さに慄いて逃げていく。
……ずっと一番のチビとして扱われてきたので、おかしな気分だった。
まあ、やけに見晴らしが良いので、この人混みでもヴィヴィエンヌと周辺をちゃんと見張れるのは良いことだろう。
二人で行くことが許されたのは、俺が護衛を兼ねるからだ。部下たちほど目立つこともないし、一人を守るだけなら造作もない。
当のヴィヴィエンヌは俺の手を引いてぐいぐいと進んでおり、二、三歩ほど先に行っている。
心なしか足取りが軽そうだ。どうにもウキウキしているらしいというか、彼女らしからぬ少女のような浮足立ち方をしている。
「ちょっと待ってくれ、ヴィヴィエ──」
「おっと」
ヴィヴィエンヌは振り返り、俺の口元に人差し指を立て、こう言った。
「ヴィヴィにしましょう。しばらく私は、ただのヴィヴィです」
「……そうだな、それがいい」
彼女は今まさに結婚をしようとしている王太子の元婚約者だ。万一街中で名前を聞かれて大騒ぎされたら、彼女を抱えてこの場を去らねばならなくなる。
そしてそもそも、前の仕立て屋から出たときからずっと、怪しい影が俺たちについてきていた。話ついでに、上からヴィヴィエンヌの耳元に口を近づけ、確認する。
「ちなみに、ずっと尾けられているが、どうする?」
「あら、何人?」
「二名だな」
「なるほど。王太子派でしょうねぇ」
「……狩るか?」
「いえ。いざとなったらあなたが守ってくれるのでしょう?」
彼女はそう囁いたあとに涼しい顔をして翻り、またぐいぐいと手を引いて進んでいく。そしてはたと立ち止まり、ある出店を指さす。
「トリスタン! あれを食べましょう!」
屋台の旗に書かれているのは生姜菓子。若い娘と子供とその父親が少し並んでいる。
俺たちもそこに並ぶと、存外に列はさっさと消化されて、すぐに俺たちの番が来た。
「あいよお二人さん、いくつで?」
「二つお願い!」
ヴィヴィエンヌは元気よく二本指を立てる。
俺が懐から財布を取り出そうとすると、彼女はそれを制して、ごそごそと自分の懐に手を突っ込んだ。
「お母様からお小遣いをもらいましたの」
「……そのくらい、俺が出すが」
「いえ、親の小遣いで遊ぶのが重要なのです」
ぱっとヴィヴィエンヌが銅貨を渡してしまって、交換に二つの生姜菓子が──まず一つは彼女に、もう一つは俺に──返ってきた。
立ったままというのはなんなので、近くの広場の噴水のへりに座って食べることにした。
ヴィヴィエンヌは買った生姜菓子を袋から取り出し、まずは形を眺める。
「羊と……それは、猫かしら?」
「そう、だろう。形で遊ぶものなんだな。知らなかった」
「食べましょう。……えいっ!」
俺も一緒に食べる。
やたら甘く、生姜の香りだけがして、辛さはない。
「ヴィヴィエ……ヴィヴィ。これはうまい、のか?」
「不健康な感じでたいへんよろしいです。祭りの味ってことですわね!」
美味しいとは言わないものの、彼女は心底嬉しそうに生姜菓子を頬張っている。
「その、あれだな」
「はあい?」
「楽しそう、だな」
俺がそう言うと、彼女ははにかんだ。
「実は私、王都には慣れていますが、街には慣れていなくって」
「……そうなのか?」
「ほら、その……ちょっと前の私が市井の食べ物を口にするのって、変な意味になってしまうでしょう? こういうものは、ずっと馬車の中から眺めるだけでしたの」
ヴィヴィエンヌは少し遠い目をして、祭りの喧騒を眺める。
「だから、街については、あなたと同じくらい初めてよ」
彼女が幻視していたのは、あるいは、同じ景色を見ようとしていたかつての自分とは、何年前の話だろうか。
幼い頃からヴィヴィエンヌ=ドルナクが必死に歩んできて、そして理不尽に挫かれた人生とは、如何様なものだったのか。
俺はようやく、そういった彼女の人生の厚みに触れることができた気がした。
「じゃあ、時間もそんなにないですし、仕立て屋に向かいましょう。心残りはありませんわ」
「いや──」
食べ終わった彼女が立ち上がって行こうとするのを制止した。
太陽を見て時刻を確認する。屋台を見て、何件回れるか見る。
──これなら、走れば良さそうだ。
「いくぞヴィヴィ。あと三つは、屋台を回ろう」
彼女は目を丸くして、勢いよく一度、頷いた。
◆◆◆
なんとか時間に間に合い、仕立て屋に着くと、俺はすぐさま併設された美容院の方に放り込まれた。走って汗ばんだからなぁ、などと言ってみたが、ヴィヴィエンヌはまったく見当違いだと言った。
「あなた、まあ野性味あると言えば聞こえはいいですが、一歩間違えれば浮浪者ですからねぇ」
「うむ? 髭は一応、剃っているのだが」
「……今まで言ってきませんでしたが、これはいずれ教育が必要そうですわね」
やたら斜めに組み立てられた背もたれに座らされる。
美容師が剃刀を持ってきたときにはぎょっとしたが、こういうものらしい。
ドルナク家御用達の店とはいえ、俺はヴィヴィエンヌの護衛であり、今さっき尾行してくる不審者も確認している。
なので剣を椅子に立てかけ、彼女には一応、同じ店から出ないようにということで合意した。
「あらヴィヴィエンヌ様。旦那様は初めての美容院で?」
「ええ。切られるのが怖いから見ててぇ、と言うので、仕方なく」
「おいこら」
と思ったら、美容師の女性と一緒に、彼女は容赦なくその警戒ぶりをいじってくる。
まあ、とても楽しそうなので、それでいいと思った。
散髪と剃毛が終わると、首回りと頭の横がすかすかした。
そして髪型は、襟足のあたりを綺麗に整えられた上で、三つ編み……? のような髪束を後ろに流す形にされている。
手鏡に映った顔を見せられる。
そこにはやたらキザで眉が細い、王都風の男が映っていた。
「……あら、まあ」
「うん、想定通りですわね」
自分の仕事に満足したのか、美容師の女性は嬉しそうに片手を頬に当てている。ヴィヴィエンヌはうんうんと頷いている。
そしてすぐさま、隣の仕立て屋に連れていかれて、色とりどりの宮廷服がかかったハンガーラックがごろごろと音を立てて目の前にやってきた。
「ちょっと、立っていらして」
もうずっと彼女に言われるがままなので、そのまま立っていると、ヴィヴィエンヌは次から次へを背伸びをしながら、服を俺の胸に当て、組み合わせだのなんだのを確認してくる。
極めて真剣な目である。抵抗できようはずもなく、そのうち選抜された五着の服に着替えさせられ、そのたびに彼女の前でポーズを取らされる。
店員たちはなんだか拍手などしてきて、ヴィヴィエンヌと真剣に話し込んでいる。
そして最終的には二着に絞られ、今着ている服に儀礼用の剣を携えてみたところ、ようやく彼女が、
「これにしましょう」
と言ったので、それで俺の服選びは決着した。
俺は服を着せられたまま放っておかれ、ヴィヴィエンヌはこれで一安心とばかりに肩の力を抜いて座り、店員に渡された紙に何かを記入していた。
「何を書いてるんだ?」
「注文票ですわ」
「ああ。この服はいずれまた使うだろうし、ランキエールの方に付けてくれると」
彼女の手元を上からのぞき込む。
すると、横をちらりと見た彼女と目が合う。
「わ、わあ!?」
「は? え、どうした、ヴィヴィエンヌ」
「あ、いや、えっとですね」
急に驚かれたので、こちらも驚いてしまった。
彼女はしどろもどろになりながら続けた。
「思ったより、似合って、いますわ。我が夫トリスタン」
「あ、ああ、そうか。ありがとう。君が選んでくれたからな」
「そうでしたわね。ははは」
「そういえば、できればこの服は着たまま帰りたいのだが、いいだろうか? 少し歩いて動きを確認したい」
「……いえ」
ヴィヴィエンヌは思案してから、言った。
「着てきた服に戻し、帽子を被って帰りましょう。目立ってはいけませんから」
「目立つ?」
「お、お披露目は式の当日のお楽しみですわ! 練習は部屋の中でお願いします!」
そういうことに、なったのだった。
いつの間にやら閉店時間が来たので、迎えが来るまで二人で店の前で待つことになった。
無論、荷物はすべて俺持ちである。
ヴィヴィエンヌといえどもさすがにくたびれたようで、ぐーっと空に向かって両腕を伸ばしている。
「あー、いやはや、疲れましたわね」
「……ああ」
「でも、楽しかったですわ。王都でこんなにはしゃいだのは、本当に初めてでしたから」
彼女はランキエールにいたときよりも、屈託のない笑顔で笑っている。
思い返せば、彼女はずっと人目に晒されて生きてきたのだ。王太子の婚約者であるときは、王宮、民、権力者に。ランキエールに来たときは、敵か味方かもわからない辺境の者たちに。
ここでも、道行く者たちが振り返ったりもするし、尾行の者も未だについてはいるが、傍から見れば俺たちは完全に、ただの買い物をしていた男女だ。
もしかすると今が、彼女が人生で一番、解放されているときなのかもしれなかった。
「……で、ヴィヴィ。結局、これはどう使うんだ?」
俺は自分の宮廷服が入った袋と、反対の手に持った袋を、小さく掲げた。
これは、俺の後にヴィヴィエンヌが買った、もう一つのドレスだ。
ヴィヴィエンヌは式では実家に置いてきた上等な礼服を使うと聞いていたのだが、店をついでに見ていたところ、彼女は突然、自分のドレスも追加で欲しいと言い出した。
「当日まで内緒、ですわ」
ヴィヴィエンヌはいつもの、あの悪戯っぽい笑顔で答えた。




