第22話 パレード
ドルナクの屋敷での話し合いを経て、婚姻式までわずか三日。祝祭はすでに始まっており、王太子と聖女はパレードで王都を闊歩しているという。
ただのんびりと観光をしたり、待っているわけにはいかなかった。俺たちランキエールの戦士には、結婚式に出席するにあたって未だ解決せぬ大きな問題があった。
服装である。
一応、ランキエールでの伝統衣装は持ってきていたものの、連れてきた精鋭部隊は俺を含めて無精者ばかりで、その多くにはカビが生え、カビが生えていることに気付いても削って落とせば良いだろうとのたまう有様だった。それではいかんだろうということで、なんとドルナク家が王都の仕立て屋で人数分の正装を手配してくれることになったのである。
俺については、暫定ヴィヴィエンヌの夫ということで、きちんと貴人仕様の格好をせねばならないということにもなった。そして何よりヴィヴィエンヌの希望で、彼女自らが俺の宮廷服を選ぶというのである。曰く、
「あなたを一度、着せ替えてみたかったのよねぇ」
だそうだ。なんだか視線がねっとりしていたが、服のことなどわからぬし、ランキエールとドルナクの品性に関わるなら受け入れねばならない。
そういうわけで、祝祭中の王都へ繰り出すこととなった。
まずは俺と父上、ヴィヴィエンヌの三名とランキエールの兵士、そして数名のドルナク家の使用人で、先んじて王都に向かう。
ドルナク領から王都の中心地まではわずか二刻ほどである。
恥ずかしい話、俺は王都に来たことが一度もなかった。昔から魔獣退治と戦士たちの統率、権力者たちとの折衝に明け暮れ、王宮との折衝に関することは父上に任せきりだった。そういう意味でも、この旅はランキエールの後継ぎとして見聞を広める良い機会である。
王都へ着くために越えるべき一つの丘の頂上に差し掛かったころ、正面の窓を指し、父上が言った。
「トリスタン。見ておけ。これが王国を守護し、そして我ら地方貴族が生涯に渡って対決しなければならない、王権そのものだ」
眼前に広がったのは、リスヴァロン平原の全域を抱え込むかのように屹立する外壁と、その内側に隙間なく敷き詰められた人工物である。
常軌を逸しているほどの広がりだった。横は山脈、果ては水平線の向こうまで、橙色の屋根屋根が覆い尽くし、ついには世界そのものが都市へ変貌したかのように錯覚するほど。大地を削り、均され、意志をもって引かれた街道は東西南北へと正確無比に伸びている。その光景は、自然が技術によって制圧され、人類の覇権が証明されたことの示唆とすら思える。
そしてここからでもわかるのが、王国兵の、雲霞のごとき軍勢である。
不安定な国内情勢の中、パレードの警護のために総動員されたのだろう。この広大な王都のすべてに目を光らせ得るほど、全員が煌めく剣を掲げ、密度高く街道を犇めいている。まるで蛇行する川のようだ。
アドリアン殿下直属のレーンヴァルド兵はおよそ七万。王国軍本隊たる中央軍は二十万。常駐軍以外もかき集めれば、最大五十万ほどは動員できるという話だ。
実際に目にすると、その凄まじさに息を呑む。
これが、リスヴァロン王国の絶対的な王権の根拠。
あらゆる諸侯が束になっても敵わぬ最大にして最強の力。
いくつかの紛争を実際に治めてきた経験が、かえって俺を弱気にさせる。
「……ランキエールでは、とても敵わんな」
我らが常駐軍はせいぜい五千人。まだまだ動員できる余地はあるものの、その全員が王国兵十人を倒せるという仮定までした上で、まるで話にならない戦力差である。
──王家に睨まれた一族は、どんな貴族だろうと、平伏するしかない。
そういう王国の貴族社会の一般認識を、ようやく実感することができた。
「慄かないで。トリスタン。あなたはランキエールの後継ぎにして、私の夫なんだから」
しかし、ヴィヴィエンヌはあくまで、唾を呑む俺を見て楽しそうに、未来を見透かしたように笑う。
「あの軍勢が仇になる展開だって、あるかもしれませんよ?」
◆◆◆
王都に入るとまずは最初に、当日の警護対象の確認も含め、パレードで聖女ミレイユと王太子の姿を拝んでおこうということになった。
音楽と歓声でどんちゃん騒ぎの王都の街。ごった返す人々。ランキエールの大男は目立つから、敢えて建物に張り付いて、一団が通るのを待つことにした。
ヴィヴィエンヌは少し下がって、王太子たちがやってくる先の、街道のむこうを見据える。
そこにはうっすらと光の柱が立っていた。あれが話に聞く、聖女ミレイユの権能だ。
一団はまるで民衆との階級差を表すように、親衛隊に守られながら、御輿に乗って現れた。
「……は?」
姿が目に入った瞬間、見間違いかと思ったが、そうではないらしい。
──半裸というか、もはや全裸だろう、あれは。
御輿の上の聖女ミレイユは、大判のストールを巻いただけの姿で、自らに強めた日光を浴びせ、恍惚の表情で祈っていた。
その後ろのもう一つの御輿ではアドリアン王太子らしき人物が腕を組み、努めて硬い表情を保とうとしている。
聖女の姿を見たランキエールの部下たちは、
「「「「「ひゃ、ひゃああ……」」」」」
と情けない声を出しながら顔を伏せたり、掌(指を開いている者もいたが)で顔を隠そうとしていた。全員独身で今まで恋人もおらず、戦いに明け暮れてきたやつらである。刺激が強すぎるらしい。
俺もさすがに見ていられないので目を伏せようとする。
しかし、それを、隣のヴィヴィエンヌが咎めた。
「トリスタン。あなただけは、ああいうものから目を逸らすべきではないわ」
「……その心は?」
「私はあれに負けたのです。信じられないことにね」
彼女は至って真剣な表情だった。
反省して、聖女の姿を確と観察することにする。
それで俺は、自身が目を逸らそうとしたことは、単に異性の裸体を見ることの気恥ずかしさ以上に、何かしらの蠱惑に抗おうとしたのだと理解した。
落ち着いて民衆の方に目を遣ると、熱狂している者が三分の一ほど。その多くは男で、女は冷めた目線か、あくまで面白い見世物に相対している程度の関心具合にも見える。
ヴィヴィエンヌが言わんとしていることの一端を、俺はなんとなく掴めた気がした。
「不気味かつ、不健全だな。ただの卑しいもののようで、いまひとつ正体がわからない」
「ええ。理解してくれたようで何よりだわ」
一団が通り過ぎると、これ以上留まると目立つのもあって、退散することになった。
次にやってきたのが、ドルナク家御用達の仕立て屋である。
こちらの戦士たちを見た壮年の店主は最初に苦い顔をした。
王都では考えられない大男の正装を、二日以内に十二人分。通常なら不可能である。
しかし、大男たちの間からヴィヴィエンヌとドルナクの使用人が歩み出でてくるのを見ると、店主の顔つきが明らかに変わり、覚悟を決めた男のそれになった。
「……お嬢様。お久しぶりです」
「久しぶりね。事前にお父様から話は通っていると聞いたけれど」
「生地自体の、用意はあります。並みの大男たちではないと聞いたもので、鐙用の革まで準備しました」
店主はこつこつと衣裳部屋の奥に行き、扉を開け、その中に敷き詰められた生地の山を見せつける。
ヴィヴィエンヌはそれを確認して、笑顔で尋ねた。
「やってくれる?」
「ええもうやって見せましょうとも! 者共降りてこい! そして、ほら、そこの蛮族ども! 測ってやるから全員脱げ!」
店主の指示で、二階の階段からドタドタと音がし、巻き尺を持った若い店員たちがドタドタと降りてくる。店主の弟子だろうか。
店内の様相は瞬く間にくんずほぐれつ、といった様相に変貌した。俺は困惑して逃げようとする部下たちに、観念してさっさと脱げと顎で指示を出す。
父はその光景を眺めてかっかと笑っている。
俺も他人事である分、部下たちの慌てっぷりが見ていて楽しかった。
しかしその最中、俺の服の裾がくいっと引かれた。
ヴィヴィエンヌが、こっそり目をキラキラさせて、下から俺の顔を覗き込むように言う。
「さて、私たちも行きましょうか」
「行くって、どこに?」
彼女は待ちきれないとばかりに囁き声を張った。
「二人で街に繰り出しましょう!」
これについては、他人事ではないようだ。




