第18話 王妃の手紙
「皆の衆ご苦労! 腰を伸ばして休憩なさい!」
カイルの肩の上に立ち、農場に響くよう大音声を上げる。領民たちはそれに応じて曲げていた腰を伸ばして休息に入る。
秋の種蒔きもいよいよ終盤に入った。最初の方に植えた種にはもう芽吹いているものもある。今日明日でしっかり種を蒔ききって同時期に発芽させ、地温が保たれているうちに太く育て、よく分げつを促し、冬の麦踏みにも耐えるようにせねばならない。
ということを、ちゃんと説明したばかりに、それを真に受け、逸ってしまった集団を見つけた。
休めと言ったのに休んでいない。農場の左奥の方。ランキエールの男らしく体格がよく、しかしそれにしては線が細くて顔に丸みがある少年たちだ。歳はまだ十四、五そこらだろうか。
「こらそこ! ちゃんと休みなさいな!」
カイルに足を進めさせ、寄って彼らの仕事を確認する。
地面の窪みとその間隔を見るに、やたら律儀かつ、よく作業が進められている。何やら仲間内で競争でもしているのだろう。
そして、彼らの顔をよく見ると、若干の焦りだとか、ここで良いところを見せようなどという使命感のようなものがあった。
「……あなたたちはよく頑張っていますが、ほら、太陽をご覧なさい」
そう言うと素直に彼らは空を見る。
「まだ高いでしょう。これが沈むまで作業は続くんですから、今一番種を蒔けているあなたたちにあとでへばってもらっちゃ困るの。おわかり?」
彼らはまた素直に私の方に向き直って、こく、と一度頷く。
「若い衆には期待しているわ。しっかり休んで長く働いて、大人より多く種を蒔ききって頂戴」
私がそう結ぶと、彼らは目を見合わせたあと、一様に両腕を横にピシッと当て、同時に叫んだ。
「「「ウィ! 奥様!」」」
これは、最近ランキエールの若い衆によく使われるようになった返答である。
一部軍隊だとか、王都のレストランの厨房で聞く言い回しだ。どうも、私が王都から来たので、それに応じて誰か若者が、にわか仕込みの王都知識でこう答えれば良いんじゃないかと発案したものらしい。言葉の意味として特に変ではないものの、指摘しないでいるうちに定着しつつある。
……実はちょっとだけ、悪い気はしていなかったりする。
なんにせよ威勢が良いのはありがたかった。その後も作業は粛々と進み、全員がちゃんとペースを守ってくれたこともあって、予定通り種を蒔ききれそうだ。
日が傾いてしばらく経った頃、屋敷の方角から、馬に乗ってやってくる見慣れた人影があった。
トリスタンである。
「ヴィヴィエンヌ!」
彼は少し急いでいるような、それでいて苦い顔をしているように見えた。
私はそれで、どうやら急ぎの確認ね、と頭に過った。
「よっ、と」
というわけで、カイルの肩の上で膝を曲げ、ぴょんと飛び降りる。
カイルの「あ」という声が聞こえた。
こちらを見ていたトリスタンが目を見開いた。
「馬鹿!」
疾風迅雷である。
トリスタンは馬から飛び降りるや否や信じられない速度で駆けてきて、着地より先に私をさっと横抱きにした。
「ふう、まったく、いつも君は」
そうして彼は、心底安心したように微笑んで、私の顔をまっすぐ見つめる。
最近、トリスタンがおかしい。
なんだか眼差しが優しいというか、過保護気味ですらある。これでは私も平静な応対に苦労してしまう。
「ご心配どうもトリスタン。ですが、ちょっとした高所から降りる程度で一々気遣われては、物事が円滑に進まなくてよ?」
「先週それで足を挫いて転げまわっていたのは誰だ」
彼は私の包帯が巻かれた左足首を、膝から軽くくいっと持ち上げて見せる。
……これについては過保護というより正論だった。
「に、二度同じ間違いはしませんわ」
「また飛び降りたじゃないか」
「飛び降り方を間違えないということです!」
「減らず口を」
それでトリスタンはようやく降ろしてくれて、なんとなく私はぱっぱとスカートを払った。
「……で、なんの用ですの?」
「これだ」
彼が懐から取り出して見せてきたのは、手紙だった。すでに封は開いているが、蝋に象られた印の片割れには見覚えがある。
これは、王宮の印だ。
入っていた文書は二枚。
一つはランキエール侯爵宛ての、王太子と聖女ミレイユの結婚式の招待状だった。
「思ったより早いですわね。あのときから一年も経っていませんが」
「どうもアドリアン殿下は焦っているらしい。そして問題は二枚目だ」
そう言われて二枚目を見る。こちらは王妃殿下からの手紙だ。
しかし、その内容は不可解だった。
「私たちにも、結婚式に出席してほしい?」
「だそうだ。王でも王太子でもなく、王妃殿下の依頼、という形なのがしっくりこないが」
「王妃殿下が私とトリスタンに個人的な用事があるということでしょうか」
「俺に心当たりはない。君はどうなんだ。その……王太子殿下との、婚約者時代のだな、王妃との関係は」
「たいへん可愛がってくれた覚えがありますわね。見込まれていたと思います」
となると、婚約破棄の件についての内内の処理をするつもりだと見るのが妥当だろうか?
王妃殿下はそう振りかざさないだけで、たいへんに聡明な方だ。後の火種になりそうなことや、無理が通されたときは必ずその補填に入るようなことをなさる。
「お義父さまはなんと言っておられます?」
「大人しく出るべきだろう、と言っている。そもそも古い例では、権力者の勅命通りに結婚したならば、そう証する必要があるそうだ。その王太子の勅命とその当人の結婚式、という取り合わせはさすがに異例らしいが」
「なるほど」
「当家だけで決めるべきことではないから、ドルナク公爵にも確認の文を出しているのだが……その前に、君にも聞いておかねばならない」
「私に、ですか?」
「ああ。誰より君が、アドリアン殿下の結婚式に出席するつもりがあるどうかだ」
そう聞かれたのと、私が全力で農作業に励む傍ら、知らないところで事が性急に進んでいた感じも併せて、少し呑まれそうになった。
私はなんだかそれで現実に引き戻されるような──いや、農作業は現実なのだが──気がしていた。長らく置いていたが、あの断罪劇について、私は未だに整理できないままでいたのだ。
「はい」
その油断を自覚したとき、反射的に私はそう答えていた。
逃げてはならない。このランキエールの暮らしは私の敗北の結果。そして私はこれから、私を打ち負かした者たちの巣窟へ、きちんと負けた格好をして出向かねばならない。
伝えることを伝えると、トリスタンは屋敷に戻っていった。
私もすぐ農作業に戻り、今日のノルマをこなしきるべく指示を出し続ける。
しかしそれでも、私の胸の奥底ではずっと、封印していた、人生最大の疑問が燻り始めていた。
──なぜあのとき、私は負けたのか。
いい加減私にも、向き合うときが来たようだ。
◆◆◆
いつもの調子で、ヴィヴィエンヌは淡々と考え、答えただけだった。
彼女の目は据わっていた。それは間違いなく、王太子の結婚式と王妃の依頼について思考を張り巡らせ、あるいは何か決意をもった企みをするような、そういう顔だった。
それを見て、一つの嫌な──それが俺にとって嫌なものであるとは認めたくないが──予感が過っていた。
もしもこのまま彼女と共に王都に向かったとして。
たとえばそれで、王妃の前で丁々発止の議論を繰り広げるだとか。
結婚式で、ドルナク家の名誉を回復するような縦横無尽の大立ち回りをするだとか。
ヴィヴィエンヌはそういう物語じみたことを実行してしまえるような器だと、俺は知っている。
しかしそれは、彼女が王都にて何かを成し遂げてしまうだろうということだ。そして、彼女の力でそれを実現せしめた場合。
──果たして彼女は、俺と共にランキエールに帰ってくれるのか。
そう考えると、まかり間違ってドルナク公爵が「娘はまだ王都に呼び寄せるべきでない」などと返してきてくれることを期待さえした。
我ながら本当に情けないことだ。
結局、十日後にはドルナク公爵から文が帰ってきた。
中には「王都に行く前に、ぜひドルナク領へ寄ってほしい」と書いてあった。




