第15話 侍女頭ロゼット②
奥様は激しい嫁取り武闘を、どっしりと構えて見ておられました。
流れとしては少し異例ではあるものの、既婚者であるトリスタン様が改めて武闘に出るとは、そういうことだと思われるのですが、まったく動じる様子がありません。まだ非常にお若いのに、きっと王都で王太子の婚約者をしていたご経験というものは、そのような色恋の些事を寄せ付けないほどの胆力をも備えさせるのでしょう。
一方で私は、奥様より一回り年上で、何倍もの大きな体をしているのにもかかわらず、この嫁取り武闘から醸し出される若い情熱に対して、みみっちい想いを抱いていました。
──ああ、若いって、いいなぁ。
あそこで己の体を張って、ぶつかる青年たちには皆、心に決めた女子がいるのです。
会場の周りを見渡すと、不安そうに戦いを見つめる大乙女が多数。中には視線が交錯していたり、同じ男に視線を注いでしまったせいで何やら猛烈な捻じれが発生しているような節があるところもありましたがそれはご愛敬。
とかく、とっくに行き遅れた身には、このような青春の輝きは毒でした。
かつての友もとっくに結婚し、三児の母までいて、徐々に誰とも話も合わなくなっている私の現在。決して誇れぬ人生を送ってきたわけではありませんが、目の前の光景とありうべからざる未来が線になって、その線が私の道とは絶対に交差しない予感を得ると、いかんともし難い寂しさに襲われます。
翻って、今まさに大暴れの大活躍をしているトリスタン様と、それを見守る奥様の、芯が通っているのにどこか可憐な乙女の気配というものが、心底羨ましくなりました。
別に、奥様と私など比べようもないのです。失礼です。それにランキエールでは大女であることは決して悪いことではありません。肉体は自慢です。良い戦士を産む可能性だってあります。
でも、なんだか、そういった実際的なことに対する自負が、今に結びついてこうなってしまった感も否めず。
とにかく何もかも、私には縁遠い話でした。
▽▽▽
翌朝に、また奥様がいなくなったという報告が入って、どうせ農場だろうと荷物を持って出ました。
今日も昼には嫁取り武闘の観覧をせねばなりません。農場に向かう傍ら、覚悟を決めた表情の青年たちが先にゆき、そのあとに若い女の子たちがおそるおそる、あの窪地へゆっくりと歩いていくのを見かけました。
その女の子たちを見て、最近ランキエールで流行っているというファッションが、本当に見慣れた奥様のそれだったので、ちょっと面白く感じます。
つまりその流行りとは、素足を見せることと、丈の高いところで結んだスカートの組み合わせのことです。この場合の素足を見せるというのは、裸足で歩くかサンダルになるということになります。
これは奥様が出かけて、農場の土や沼地を確かめるようなときにする格好でした。
そういうことをするための農作業用の、伝統的な装いはあるのですが、年頃の女の子たちには、都会からやってきたヴィヴィエンヌ様のやり方が非常に魅力的に映ったそう。夕日の中で貴人が堂々と沼に足を突っ込み、ぺろりと舌で土壌を確かめる様が、なんとも乙女心(なのでしょうか、ちょっと違う気もします)をくすぐったらしいのです。
なので、逸った者の中には、そうでもないタイミングで突然靴を脱ぎ、おもむろに汚泥に歩んで、あまつさえ舐めて見せ、腹を壊した娘なども出てきているのだとか。ランキエールの娘は虫くらいなら平然と食い、味わいますが、さすがにただの汚泥には勝てないようです。
そして、このファッションの肝はもう一つ。靴を履かないか、薄いサンダル一枚になるので、ちょっと背が低く見えるというのがあります。
まあやはり、男の子の本音については、女の子も反応してしまうのです。ランキエールでは大女は歓迎されますが、それは大女を受け入れる男性の度量を示すというだけであって、別段、大きい女を本能的に守りたくなるとか、大きいから好いたとか、そういうことはありません。むしろ真実は逆なのです。
情けない話です。そういう若い男女の気配に当てられて、ちょっとげんなりしながら、私は仕事をこなすべく、農場に向かいます。
農場が見えました。
そうすると、切り替えが効くどころか、なぜかほんのちょっとだけ、嬉しい気持ちが湧きます。
果たして、いつものあの大男と、その隣に小高く積まれた藁の上で奥様が、並んで水車を眺めていました。
「壮観ですわねぇ」
「壮観だなぁ、嬢ちゃん」
二人はぼんやり、そんなことを言い合っています。
私も歩きながらそちらを見ると、大きな水車が五台、ゆっくり回っているのが見えます。ああ、とうとう完成したんだと、毎日農場で送り迎えをしていた身ながら感慨深くなりました。灌漑設備だけに。
……独身極まってきたなぁ、と自分でも思います。
「カイル! 奥様を迎えに来ました!」
私がそう言うと奥様とカイルがゆっくり振り向きました。
奥様は膝を曲げ、藁の上からぴょーんと飛び降りようとします。
ああ、危ない!
と私が思ったところ、それをカイルが制止しました。
彼は大きな手を横に差し出して、奥様を乗せ、もう片方の手で囲い、ゆっくりと地面に降ろしました。
私はほっとして、奥様に追いつき、それで、カイルに言います。
「きょ、今日は、奥様を丁重に扱っておられますね。た、たいへんけっこう」
「……おめえがうるさいからだよ」
「う、うるさいとはなんですか。うるさいとは」
彼はじっと私の目を見つめてきたので、何も言い返せませんでした。なんだか、ちょっと彼を叱ってやるつもりだったのに肩透かしです。
……これでは情けないのは私だけではありませんか。
そういう私たちのやり取りを、奥様は眺めておられました。
そしてなんと突然、奥様は、
「ちょうどいいわ、カイル」
と始めて、次のように言い放ちました。
「あなた、嫁取り武闘に出なさいな」
そのとき、なぜか、私の心臓はぎゅんと跳ねました。
「何言ってんだ嬢ちゃん。それに、あれは確か昨日だったろう」
「昨日のは予選の一日目。今日は二日目よ。口利きしてやるから出たらどう?」
な、なぜいきなりそういう話になったのか。
私にはさっぱりわかりませんでしたが、何かこう、カイルと奥様の間には通ずるものがあったようです。
カイルは眉間に皺を一度寄せました。しかし、考えるようではあったのものの、すぐに腑に落ちた風だったというか、決断までの時間はほとんどなくて、まさに奥様が言った「ちょうどいい」ということを合点したようでした。
そして彼は、次のように答えてしまいました。
「……ああ。わかった」
そのあとはもう、あれよあれよ、といった感じで。
カイルはその日にあっさりと、予選を勝ち抜いてしまったのです。




