第14話 侍女頭ロゼット①
「ロゼット様! ヴィヴィエンヌ様はまた農場だとのことで!」
「……はいはい。やはりそうでしたか」
報告があったので、急いで鞄を背負い、屋敷を出て、農場まで駆けました。
風の音が鳴ります。追い越した馬が「またこいつか」と呆れた視線を注いできました。
あのお方がランキエールに来て、半年が経ちます。
生まれたころより侍女としてランキエールの屋敷に務めて二十五と余年。なぜか出世が早くて、そのうち侍女頭として勤めたのが直近の五年。この地にあっても目立った巨女として有名だったせいも相まって、とっくに行き遅れて久しいですが、寂しい独り身ながらも、それなりに充実した人生を送れていた自信がありました。
けれどこの半年の目まぐるしさに比べれば、なんと穏やかな日々だったことでしょう。
当初、王都から王太子妃になるはずだった姫がやってくる、と聞いたときには、屋敷の女中たちは戦慄しました。話では王太子殿下の勅命らしいのです。王国民には逆らえるものではないから、少なくとも、この屋敷の当分の女主人が決まったことは確かでした。
ですが、王都の女にランキエールが合うはずもありません。我儘を言われたときにどうすればいいかわからないし、尽くすにしても我々では的外れだろうし、そもそも大男どころか巨女に囲まれる日々でたった一人生きていけるんだろうか、とか、あるいは──
──何かの拍子に殺してしまわないか、とか。
実際に現れたヴィヴィエンヌ様は、想像の通り、本当に童のように小さなお方でした。ここランキエールではもう八、九歳の娘と同じくらいのちんちくりんです。
しかし、それは体の大きさだけでした。
当初心配されていたことのすべては杞憂に終わりました。高飛車で人使いの荒い主人は嫌だなぁ、揉め事は嫌だなぁ、とみんなが思っていたところ、現実にやってきたのは、それはもう想像の遥か上を超える高飛車なご令嬢。しかもそのご令嬢は、坊ちゃんを初対面で手玉に取ってみせたどころか、もう顎で使うくらいの勢いを見せ、遂にはあのランキエールの悲願であったヒュドラの根絶まで成し遂げたのです。揉め事どころではなく戦の勝利まで勝ち取りました。
彼女の物言いの率直さなどは、あるいは悪評にも成り得るものではありましたが、もはや事はそういう次元にありません。すべては凌駕されました。ランキエールの者共には、早くも、あの伝説上の「ランキエールの戦乙女」まで想起する者もいるほどです。
何より、坊ちゃんと旦那様が彼女を受け入れ、それがうまくいっているのがすべて。
このように振り回される日常にも、だんだん、慣れてきました。
農場が近づくと、私の背の高さと同じくらいに、昔馴染みの大男が見えました。
「カイル! 奥様はいらっしゃいますか!?」
止まって、大声で問います。
するとカイルはこちらを一瞥してから、右下を見下ろし、なにやら「おいよ」と一言呟きました。
嫌な予感がしました。
彼は手を横にやって、大根を引き抜くかのように、一人の人間を引き抜きました。
彼は泥んこのヴィヴィエンヌ様の首ねっこを掴み、ぷら~んとぶら下げていました。
「ああ! もう!」
私はもう、急いで奥様を彼からひったくり、そっと草むらの上に置きました。
「奥様ですよ! カイル! そんな粗雑に扱っては行けないでしょう!」
「嬢ちゃんが言ったんだから仕方ねえだろう」
「領民なら止めるのも仕事でしょうが!」
「……ったく、おまえはいつもうるせぇなぁ」
「うるさいとはなんですかうるさいとは!」
彼は大農の息子、私はランキエールの使用人として幼い頃から交流がありましたが、近頃は疎遠になっていました。こうして奥様の出迎えお見送りを繰り返すうちにまたやり取りが増えたのが、つい最近のことです。
昔から変わらず、なんて不愛想で雑な男なんだろう、と思います。
唯一気が合うとすれば、そんなんだから独身なのだ、と互いに言い合えるところです。
奥様は草むらの上で泥を軽く払い、すっくと立ちあがって言いました。
「あらロゼット。何か予定があったかしら?」
「あります! 次は、播種祭の嫁取り武闘の観覧です」
「あらあら。着替えは持ってきてる?」
「それは、持ってきていますがっ」
「じゃあちょっと、カイルと一緒に壁になってくれない?」
これもまたいつものことです。
仕方ないので、さっき言い合ったカイルに目配せします。彼も彼でため息をつくまでもなく、私の反対側に背を向けて座り、肘を広げ、奥様の周囲から隠します。
私もその反対側で座り、多少は壁になりつつ、鞄を開けてタオルと着替え、水筒に入れた清潔な水を取り出し、奥様にお渡しします。
「まったく、奥様は人使いの荒い……」
「荒く使われる能のない者を、そう使ったりはしませんわ」
泥んこでそう言われると、侍女頭的にも返す言葉がなくなります。
この方は、とかくこういうところがありました。普段奔放で無茶苦茶をする癖に、何かこう、締めるべきところで猛烈に、誰もが望む形でギュッと締めます。
……もしかして一生、この方に振り回されるのだろうか。
そういう、恐ろしいとも嬉しいともつかぬ思いが、過る日々です。
***
どぉん、どぉん、たまに、ぺきゃぁ、と、もう闘牛の衝突でしか聞いたことのないような音が鳴る。
草原のど真ん中の窪地──自然の地形だが、どうも毎年そこが整地されるがために会場のようになっているそうである──で、もう石像のような大男たちが目を血走らせて向き合い、そしてぶつかり合う。
「これは、毎年こうですの?」
隣で佇むロゼットに尋ねる。
「ええ。そうですよヴィヴィエンヌ様。若いっていいですねぇ」
「……まあ、壮観ではあります」
つまり私の目の前で、大男たちがくんずほぐれつの大乱闘を行っていた。
ランキエールでは秋の種蒔きの前に、夏に収穫した小麦を使って祭りを行う。
それが播種祭であり、中でも一番の催し事が、“嫁取り武闘”と呼ばれるものだ。
この武闘ではランキエールの若い男たちが、円の内側の中で相撲を行う。ルールは簡単、足を使わずに互いを円の外に押しやった方が勝ち。
そしてこの大会の優勝者には、その年の収穫でもっとも実りある麦穂の束が贈られることとなる。
大事なのが、この次。
これはもうほとんど絶対的な規則とされている慣習だ。男たちが優勝者の特権である麦穂を求めてこの武闘に参加している。
──嫁取り武闘の麦穂を送られた女は、その男の妻にならねばならない。
聞いた話、どうも本当にそうなるそうだ。
女を物のように扱う野蛮な風習だと、王都の者なら言うだろうか?
実は、その実態は違う。
ランキエールに来てわかったことだが、ここの男たちはとかく純情で奥手なのだ。女を口説こうなどということそのものが破廉恥だとされるし、愛を語るなどもっての外。基本的には結婚は家が決めることだと思っていて、恋愛結婚に分類されるものだって、仲の良さそうな男女を両家の親がそれとなく察し、世話をしてやらないと成立しない有様である。
そんな風土の中にあって、つまり嫁取り武闘とは、純粋に愛を告白できない男たちの最後の寄る辺だった。
これに参加するということは、仲の良い女に対して、おまえを嫁にしたいのだと告白することに等しい。
そこが捻じれたり、勘違いがあった場合はご愛敬。
まあ、そういう背景を知れば非常に微笑ましい光景と言えた。あの寡黙な大男たちが、自分の愛する女のために全力で、時に命を懸けてぶつかり合っているのである。
しかし、私が見ている光景には、大男の中に一人混じって、もう逆に目立つような奇怪な男がいた。
背丈は大男たちの三分の二ほど。体の太さは半分未満。
なのに柔よく剛を制し、大男たちの相打ちを誘発し続け、注目を集めたと思ったら一気に剛よく何もかもを断つように、複数人まとめてばったばったと巨体をなぎ倒していく、それはもうお強いお強い御仁がいた。
トリスタンである。
既婚者のはずの、私の夫トリスタンが、なぜかそこにいた。




