第12話 王子の決意①
──やはり、ミレイユには不思議な力がある。
相変わらず妃教育は彼女の肌に合わないそうで、彼女はついぞそういった教養を身に着けてくれることはなかった。
そして彼女はうっかりやさんだから、面会を忘れてしまうことだって多々ある。
これだけ聞くと、とんでもない女だと思うだろうか? そう言う者は多い。母上だってそうだし、たまに臣下にだって窘められることもある。
けれど、彼女が不思議なのは、その先だ。
たとえば、こういうことが起きる。
緊張関係にある──あのときは確か、家畜の話をするためだったか──大臣が俺を訪ねてくる。そこでミレイユも同席するという話だったのに、時間になっても現れない。最初からピリピリしていた大臣は苛立ちを隠しきれず、じゃあ我々だけで話を始めましょうと言ってくることになる。
このままだと無論、話は悪い方向に捻じれるだけだ。
そこで俺は大臣に、いや、一緒にミレイユを探しに行こうと提案する。大臣は最初こそ困惑するが、少し強引に連れ出してやって、王宮を歩く。その途中で見かけた壁画などの意味を大臣に説明してやって、そんな話をしている暇はないのだと大臣はきっと思うのだけれど、辛抱強く、焦らないように言いながら、ミレイユを探す。
共に歩き、話しているうちに、大臣は途中で肩の力を抜き始める。詮無きことで気を急いていたことに気づくからだ。
そして最後に、中庭か、王宮の普段は閉じられている屋上(一番大きなバルコニーに当たる部分だ)を訪ねれば、多くの場合、そこにミレイユがいる。
あのときは確か、小鳥と話そうとしたのだったか。
彼女は軽く握った左手の指先に、青い小鳥を止まらせて、こう言っていた。
「もしもし、小鳥さん。明日の天気を教えて頂戴?」
答えは返ってこない。小鳥はちゅぴ、とか、ちゅん、とか鳴くのみだ。
ミレイユはそれを聞いてクスクスと笑う。
彼女はとかく動物に好かれた。彼女の自然体は、慣習や規則で雁字搦めになった人間よりも先に、動物が看破して魅了されるものなのだ。
聖女とは代々、転生を繰り返してその魂を磨き、純度を上げていくとされる。
きっと初代、歴代の光の聖女も、同じように動物に好かれていたのだろうと思う。
そんなミレイユを見つめる俺にも、大臣にも、彼女は気づいていなかった。
俺は優しく彼女に声をかける。
「ミレイユ。面会の時間だよ」
「……あれ、アドリアン。そうだったかしら?」
すると彼女は、太陽のような微笑みで振り返ったあと、おとぼけた顔でそう答える。
俺は彼女の言葉を引き継ぐように、大臣に振り返って、
「大臣もおかんむりだ。ねえ、大臣?」
と言う。
すると大臣は苦笑して、いいえ、と答えてくれる。
こうすることで、緊張関係にある者との面会も、最初に互いに打ち解け、うまくいくようになる。
ミレイユにはこういう魅力があった。出席したパーティーでも、彼女は既存の慣習に囚われることがない。周りが知っているようなことを知らずに驚かれるようなことは多々あり、それに呆れる者も多かれど、最後にはみんながミレイユのことを許して、好きになっている。
ここに至ってはもう、妃教育など不要も不要だろう。
道は彼女の跡にできる。むしろ、彼女に教育などしてしまっては、パーティーの主役を張るような魅力がなくなってしまう。
善悪の本能的な把握に優れているのも、彼女の凄みであると言える。
あの女然り、彼女は人の悪意や、悪性というものを、通常の人の数手先を読んで言い当てて見せる。そしてその悉くに、後から証拠がついてくる。
調査は教会がやってくれた。すべて無償だ。
……そうそう。教会勢力と仲が良い、というか、聖女は教会の権威そのものである、ということも、次代の王としてはありがたい限りである。王権は教会の承認によって保証されるから、平時であれば教会と王宮には緊張関係がある。
父上は教会との折衝に相当苦労していた。その点、俺とミレイユは王宮と教会の和解の証とすら言える。
ここまではすべて、精神の話だ。ミレイユは実務を担当していない。
けれど彼女は、本当にどうしようもないときに、不思議な力で助けてくれることもあった。
それは、どうしてもある公爵がパーティーに出てくれないだとか、手柄を称えて息子に騎士爵位を授与したいのに、応じてくれないときなどだ。
……認めたくはないが、それはきっと、母上の言う通り、件の婚約の破棄の影響もあるのだろう。
特にドルナク公爵と同類の、古来から王家に仕えてくれていた家などは、そういうことがあった。
俺はそのたびに頭を悩ませた。
自分が選んだ道。自分で選んだ正義。けれどもそれを実行する力が俺にはない。
そんなときには決まって、ミレイユが、あの、普段は何も政治に興味など示さぬミレイユが、俺の肩を叩いてくれる。
「アドリアン。誰があなたを、困らせているの?」
俺はそれで、相手方の名前を言う。事細かに、どこに住んでいる誰で、歴史はどうで、家族構成はどうだなどをつらつらを言っていく。
ミレイユは途中で、
「……うん。わかった」
と言ってくれる。
そうしたらなんと、翌週にはすべて丸く収まっているのだ。そのときは公爵の息子が自ら、親の反対を押し切り、俺の騎士爵位を受けたいと言ってきた。
実は、件の断罪劇でもそうだった。俺とミレイユは事前に準備を進め、俺も万全の努力をしたが、結局最後にすべてを巻き込んで、あの女を打ち倒したのはミレイユの力だった。
彼女が実際に何をしたのかは、聞かないでおいている。
他でもない、彼女の恋人である俺が、そうすべきでないという雰囲気を感じ取った。
そういう謎めいた力も全部含めて、彼女だ。
俺たちは様々な試練に当たりながらも、二人で力を合わせて乗り越えていった。
そうやって自然に、俺とミレイユに付き従う王太子派というものが、形成されていった。




