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126:光

 ぼんやりと浮かび上がる窓から零れる雷光が、足下に歪な陰影を刻む。

 血に浸されたような赤い絨毯を踏みしめ、足早に薄闇に覆われた廊下を進む。

 のんびりと食事をとっていたら、着替えに手間取っていたのもあり随分な時間が経ってしまった。

 少し位部屋で休憩出来るかと思っていたが、そんな余裕もなくウィルの元へと向かうハメとなった。


「ウィルの部屋はこの辺の筈ですよね」


 容量限界まで食物を詰め込んで重くなったお腹を押さえ、周囲を見回す。

 うぅ。苛立ったからといってあんなに食べるんじゃなかった。

 胃からせり上がりそうになる果物を感じ、やけ気味の暴食を早くも後悔する。

 食べ過ぎのせいか、躰が重たくて歩くだけでも多大な労力を用いた。


「ええ。ティティリアさんが二階奥にある突き当たりだと言っていましたから。

 なんだか調子が悪そうですけど、大丈夫ですか」


 ふらふらと頼りない足取りで歩く私に心配そうなシリルの声が掛かる。


「ん、ええ。ちょっと食べ過ぎました」


 情けない理由ではあるが誤魔化すことでもないのでお腹に掌を添え苦笑した。納得したように彼が頷く。


「ああ。普段から余り食べませんよね」


 その言葉に現状の自分の胃袋を思い返す。

 元々大食漢ではなかったけれど、この姿になってからめっきり食が細くなっている。教会に迷い込んだ当日は、空腹のせいか食べる量も多かったんだけど。

 食欲の落ち着いてしまった今は、お茶が一杯とビスケットが二枚程あれば満たされてしまう。

 低燃費は経済的だが、沢山の料理に舌鼓を打つ事が出来なくなり残念だ。


「そうですね、前よりは食べられなくなりましたから。

 私の胃の容量が無限なら嫌がらせをかねてこの屋敷の食材を食べ尽くしていたんですけどね」


 縮小した今の胃袋を考えると昼の分は随分な暴食だ。

 破裂しなかっただけ幸運だったが、結局果物ルールイエすら食い尽くすに至らなかった。

 過去の話に一瞬気遣わしげな表情となったシリルが、私の言葉に目を丸め。


「…………それは。見てみたかったですね」


 ほんの少し相好を崩して、小さく吹き出した。

 そうでしょうと首を縦に振り、視界の端に入り込んだ雷光とは違う光に、視線を巡らせる。

 廊下の端から一条の光の筋が伸びているのが見えた。


「あれ……。あの辺りがやけに明るいですね」


 呟いて、薄闇の奥から覗く光の位置を見定めようと金の双眸を細める。

 廊下を曲がった先から光が零れている。あの辺だけ絨毯が白みがかるほど明るく、日中みたいだ。

 雨粒に殴りつけられる窓を見上げる。雨脚はそれ程弱まっていない。


「本当だ。もう明かりを灯したんでしょうか」


 闇に同化しかけた私を何とか視界に収めたシリルが側に寄ったまま首を傾ける。


「じゃあウィルの部屋はあそこですね」


 ランプの灯りだとしても、使用人達とは違って油の残量に気を使いもしない光量だ。

 恐らく彼が居るであろう廊下の奥を見定め、鈍重に歩を進める。

 うう、しかし、体が重い。頭が左右に揺れ、目の奥で白い光が数度弾ける。

 吐き気のせいか視界に薄白くなっているし、暴飲暴食はするものじゃない。


「さあ、行きましょう」


 千鳥足の私を見かねたシリルが、手を差し伸べる。

 ここはお言葉に甘えようと、顔を上げて指先を伸ばそうとした所で、視界が揺れた。

 後頭部を殴打されたかのような衝撃に、掴もうとした指が空を切る。 

 ぐにゃりと景色が歪み、視界が一瞬ぶつ切りになった。

 薄れかけた視界の隅でシリルの驚いた表情が景色と共に留まり、慌てて霧散しようとする意識を鷲掴む。


「……あれ」


 揺れ、定まらない視界に呻きながら爪を立てると、宙を掻くはずの指先に柔らかな布の感触がある。

 水を吸った布のような重みを持つ腕を持ち上げ、彼の手を掴み損ねた自分の掌を眺めた。

 なんだか、視界が暗い。頭が垂れ下がり、体が鉛のように重く動かせなかった。


「大丈夫ですか!?」


 上から降りかかる悲鳴と、一滴ずつ血液が絞り出されていくみたいな脱力感に眉を寄せた。

 これは、まずい。

 砂粒程の量だが、ゆっくり確実に力が削がれている。

 力の容量は分からないが、身体の状態を考えればあまり残っていないと見て良い。

 軽く目を瞑って、心を落ち着け。緩慢な動作でシリルが居るであろう場所を見上げた(・・・・)


「……もしかして私、座り込んでますか?」

「え、ええ。気持ちが悪いんですか?」


 目眩のせいか、再度差し出された指先がぶれ、重なって見える。


「体全体が重くて。そんなに消耗することはして――」


 今日の行動を無意識に浚いながらのぞき込んだシリルの姿を視界に納め、言葉を飲んだ。

 彼の表皮を覆う、薄い光が瞳に映る。


 しまった。視界を固定したままだった。


 何度か使っている間、特に不調もなかったから油断していたけど、この視界を維持するだけで体力が削られるのか。

 考えてみれば視界を固定する際、瞳に力を入れる動作を行う。遠くのものをじっと凝視するようなものだから、疲労が溜まってもおかしくない。

 少し気をつけていれば防げた事だが、体調に異変が起きるまで気が付けなかった。

 間が抜けているにも程がある。これではティティのドジをとやかくいえない。己の馬鹿さ加減と浅慮さに項垂れたまま唇の端から笑いが漏れる。

 「フフフフ」と膝と両腕を地につけたまま不気味な笑い声を発する私に、一瞬脅えたように大きく腕を揺らしたシリルだったが気を取り直すようにまた指を差しだした。


「あの、体調が悪いんですか?」

「いえ……」


 気まずさで言葉を濁し光を探る視界を閉じる。波が引くように身体の重みと、目眩が消えていく。


「…………ほんの少しだけ力を使いすぎたんです」


 自分の馬鹿さ加減を露呈するので正直に告げるのは躊躇われたが、変な誤解と不安を与えたくないので率直に告げる。


「え? ですけど、食事中は平気そうでしたよね。後から力が削がれるんですか?」


 不思議そうな声に視線をずらす。はい、確かに食事中は平気でした。


「ええと、あまり使い慣れていない自分の力を探ろうとしたと言いますか。

 基本的に消費の少ない術だったみたいで初めて使った時も全然身体に負担が掛からなくて、気が付かなくて」


 背中に冷や汗を滝のように流しながらしどろもどろで説明を続ける。

 どうしよう。なんだか凄く言い訳がましく感じる! 

 出来る限り間抜けに感じられないように言い募ってる時点で、言い訳なんだけど。 


「それで……どうして食事中は平気そうで今倒れ掛けるんですか」


 心配そうだったスミレ色の瞳が徐々に剣呑な色を帯びていく。

 そうですよね、聞きますよね。

 シリルの目が凄く冷ややかになってきてる!


「色々探ってみようかと常時発動していて。それで力を垂れ流したのではないかと」

「何をしてるんですか」


 誤魔化す事も出来ず半ば自棄気味で答えると、深々と溜息をついた彼は疲れたように左手で顔を覆う。


「…………本当にご心配おかけしました」

「無事なら良いんです。でも、本当に気をつけて下さいね」


 目眩が収まりふらつくことなく立ち上がった私に、伸ばそうとした手を下ろしてシリルが咎めるような目を向けた。


「ええ」


 頷き、先程まで燐光の見えていた彼の身体を眺める。視界を切り替えれば恐らく今もまだ、青い光が少年を覆っているはずだ。

 ユハやティティ達は幾つかの光が瞬いていたが、シリルを覆う燐光は一色だけだ。

 彼らの周囲に混じり合う色を考えればこの世界は多くの神に祈る多神教か。シリルは単色だから一神教……一つの神を信仰して居るんだろう。

 神への信仰を表すだろう光を思い、紫の瞳を見つめる。

 彼は何の神を信仰しているのだろう。元の世界の神かな。

 血に染まった部屋の中、強く握り締めていた十字架を思い出す。


「シリルは、信心深いんですね。」 


 悪魔に襲われあれほどの地獄にあってもなお、変わらぬ信仰を保ち続けるなんて私にはとても真似出来ない。


「僕は……貴女が思うより、きっと信心深くありません」


 私の言葉に彼は一瞬目を見開くと、困ったような顔をしてゆるく首を左右に振る。

 シリルは自分の信仰心に対して自信がないようだ。疑うまでもないだろうに。

 申し訳なさそうな表情に頷き、小さく笑って問いかける。


「ですけど強く信じる神くらいあるでしょう」


 そうでなければ、彼を覆う光があんなに強く輝くはずがない。

 確信を持って尋ねる私に彼は暫し考えるように目を瞑り、


「……そうかも、しれません」


 思い当たる節があったのか胸元を押さえ、柔らかい微笑みを浮かべた。


 気を取り直して少し進んだ先に人の気配が僅かに漏れる黒みがかった扉があった。

 強い明かりが零れる扉の側面を軽く叩くと、そう経たずに答えが返る。


「ああ。良く来たな、鍵は開けてある入ってくれ」


 足音か気配で気が付いているのか、名を尋ねもせず促される。

 遠慮無くノブを握って、重みに負けないように勢いを付けて開く。


「失礼致し……う゛っ!?」


 網膜を埋め尽くす清浄な白に喉奥で挨拶が引っかかった。言葉を継ぐ前に両腕で目を庇う。


「どうかしま……っ!?」


 妙な呻きを聞きとがめ、後ろから覗き込んだシリルも悲鳴を漏らして目を押さえたのが気配で分かった。

 ウィルの部屋から漏れる純白の光を灯りと決めつけていた私達は、無防備のまま光にさらされ痛みに身を捩る。

 白い。眩しい。痛い。目の奥が疼く。

 目蓋を腕に強く押し付けても眩さは変わらない。


「うううう、眩しい」


 眼球の奥をしつこく針でつつかれるような不快感に唸る。


「う…………目が霞む」


 感度は私より鈍いらしいシリルが眼を薄く開いたのか、後方で身じろぎ苦しげに呻いた。

 この世界に来た時と同じように、純白に目を焼かれかけて悶絶する私達にウィルが不思議そうな声を上げる。


「どうかしたのか? あ、済まない。強い光は君には少々毒だっただろうか」


 確かに彼が言うように、本物の吸血鬼一族(ヴァンピリーム)の末裔であれば半分位溶けてもおかしくない光量だ。

 光は光でも、息苦しいほどの清浄な光が部屋に溢れている。


「私の種族云々では、なく、視える人間には、光が強すぎます」


 目を瞑っていても分かる呑気なウィルの様子に目蓋を押さえて嘆息する。

 聖堂もかくやという神々しさは美しいを通り過ぎて暴虐的な光量だ。

 これ程強い光では私やシリルは元より、教会関係者の目だって眩んでしまう。

 私に常日頃から付き添っているシリルは着実に視力を磨いていたらしく、鋭敏となった視界に入り込む光の強さに先程から苦痛の声を漏らしている。


「その様だな」


 眩い光に怯むシリルに目をやったらしい彼が納得したように肯定した。


「このままだと暫く私達の目が使い物にならなくなります! 早く布で隠して下さい」

「分かった」


 目の奥を舐められるような不快感に口調を強めると、衣擦れの音がして庇った腕の向こうの光が薄れる。

 腕を下ろして周囲を見渡すが、強い光を浴びた瞳は案の定麻痺していて使い物にならない。

 色や形の輪郭と表情が何とか分かるかどうかといったところだ。


「はあ、目が焼けるかと思いました」


 全く、私が自称吸血鬼一族の末裔でなければ様々な意味で大事になっている。

 ウィルは私を歓迎したいのか遠回しに焼き焦がしたいのかどっちなのだろう。

 正体をあぶり出すつもりでの茶番かと睨み付けたが、霞んだ視界の向こうのウィルは気まずげな表情だ。


「目の奥がピリピリします」


 蹌踉めきながら部屋に入り込んだシリルが、目元を軽く押さえて呻く。


「君達に少し検分を頼もうと思って布を取り払っていたんだが、目がくらむほどとは思わなかった」


 頬を掻きながら光へ更に布を被せる。

 内側にあるのはキャンバスか何かだろうか、遠目からぼんやりとしか分からないが私が腕を広げた程度の大きさだ。

 掛けたのは艶やかな布地で、金糸で何かの縫い取りがしてあり、封印札に近い気配を感じる。


「敏感な人ならすぐに気が付くほど露骨に輝いてますよ」

「……教会や聖堂でも此処まで光りませんよね」


 清浄や聖なるの一言では済まない純白の光が広がる布を見つめ、ウイルの台詞に半眼で答える。

 隣に立っていたシリルも静かに頷いた。教会にいた時でさえこれ程の光を発する道具を見た事はない。


「そ、そうか」


 冷めた眼差しの私達に困ったようにウィルが唸るのが聞こえた。

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