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101:予想外の謝罪

 一体何が起こっている。


 馬車の壁にへばりつき座り込んだまま、波立つ思考を整える。

 手の平に感じる分厚い板の感触は夢でも幻でも無い。

 肩にくっついたシリルが距離を取る事も忘れて馬車の小窓を呆然と眺め続ける。

 正確に言うならば少し目線をずらして、正視できないでいた。

 私も同じく、真っ正面から外を眺める事が出来ない。頭が現実に追いついていかない。


 ――これは、何事だ。


 問うたところで鮮やかな回答が差し出されもせず。

 我知らず乱れる息を整えながら、周囲を再度確認する。

 スーニャは外に手を掛けた状態のままぽかんと口を開いて固まっている。エイナルは目を見開いたまま身動きもしない。

 馬車を停止させた時と同じように止まったままなのかセザルも反応無し。


 右隣で自分と同じように座り込んだシリルと目を合わせ、痛むこめかみに親指を当てる。

 こちらの気持ちに呼応するかのように、抜けるような青空は瞬く間にどす黒い雲に飲み込まれていった。

 馬車の壁に手を付き、シリルがそわそわと辺りを見回して私を伺ってくる。

 縋るような目に深い溜息を飲み込んでもう一度外へ視線を向けた。


 見間違いだと良い。見間違いであってくれ。


 希望的観測を胸の内で述べる。

 でも見間違いではないんだろうな。

 諦めの混じった悟りの境地でのろのろと身体を持ち上げ、開閉式の窓に近づき顔を覗かせる。

 黒いスーツのような物を着こなした男性が目ざとくこちらに気が付き、またお辞儀をした。

 周囲に黒い波が広がった。

    

 


  休憩を終えてカタカタと進む馬車内で、弾む会話が途切れたのは突然だった。セザルが急に馬を止め、中にいた全員が慣性で丈夫な木製の壁にぶつかる。

 運動神経がお世辞にも良いとは言えない私も同じく放り出された。


「い、たたた」

「いったーい、ちょっとセザル何するのよ。急に止まったら痛いじゃないの」


 呻くエイナルの上で揉みくちゃになったまま、ぶつけたらしい頭を押さえスーニャが抗議の声を上げる。

 一瞬のことで受け身もとれなかったが、反射的に腕を掴んでくれたのか壁から庇われるようにシリルに寄りかかっていた。

 体重を預けたままでは悪いので身体を少し浮かし、周囲を確認する。 

 セザルの返答はない。

 何時まで経っても反応がない事に不安になったか、スーニャは外れ掛けた帽子を直しエイナルの身体から飛び降りると、様子を見る為に鍵を外して扉を開く。

 容赦のない開き方に扉が大きく悲鳴を上げ。ひょいと外へ顔を覗かせた彼女の動きがびしりと止まる。


「てて、何なんだよ」


 文句を紡いだエイナルも同じく薄く開いた扉から外を眺め、硬直する。

 続けざまの氷像化に怯えながらも、シリルに目配せをしてそっと窓を開け放つ。

 絡み合う飴のようだった風景は車体が止まった事で鮮明な映像として網膜に飛び込む。

 細い木立が立ち並び、少しだけ整地された赤茶けた土に車輪の跡が見える。

 四角く切り取られた外の光景を視界に収め、上げた悲鳴は声にならなかった。


「あれ、は。何なんでしょう」


 何とか凍り付かずに済んだシリルが震える指で窓枠を掴んでいる。

 尋ねられても困る。私だって分からない。

 硬直した二名をオブジェに話し合っていると、


「よくぞご無事でいらっしゃいました」


 窓の向こうから柔らかな声が耳朶を打つ。

 暗雲の影から染み出るようにゆっくりと現れた人物は丁寧に会釈をしてにこやかに微笑んだ。

 茂みが所々にあるにもかかわらず、仕立てられた上質の服には葉の一枚も付いていない。

 薄れていく木々で気がついてはいたがここは出口に当たるところらしい。

 森が途切れ、開けた道を縁取るよう、十は下らない数の人達が佇んでいる。


 見事なまでの交通妨害。それはともかくとして。

 庶民には手が届かなさそうなスーツのような服を着こなし、整列する姿は圧巻だ。

 全員が私を見ていた。いや、馬車を見つめていたところを黒ずくめの人物が現れたので目線が集中したと言うべきか。

 なんだこれ。ご無事って何!? 思わぬ歓待に思考が混乱しそうになる。

 どう見積もってもただ事ではない。城の手先か。大教会からの使徒か。

 とっさに身構える前に、相手が口を開いた。


「ユハ・アンセウム・ジェイヴェ・バリエイト様のお客人でございますね。我が社の馬車がとんだ不手際を致しました」


 謝罪の言葉と共に深々と頭を下げられる。間を置かず軍隊のような正確さで周囲も一斉に礼をした。なんともいえない圧迫感に思わず肩をすくめてしまう。

 そうか、この馬車の会社か。と納得する前に出て来た名前に目眩がした。


 御者が逃げたのは問題だろうが重役らしき人では飽きたらず、馬車を後ろに控えた御者が優に十名。

 この待ちかまえ方から察するに、徹夜で立っている可能性がある。

 幾ら何でもやり過ぎだ。どんな謝罪を求めればこんな事が起こるのか。

 というか。

 

 何考えてるんだあの坊ちゃんは!


 頭を掻きむしりたい衝動に駆られる。魂の叫びである。




 闇を含んだ空が不機嫌そうに唸りを上げる。

 不気味な音に眉すら動かさずフェルナンドと名乗った男性は胸元に白い手袋のはまった片手を添え、穏やかにこちらを見据えてくる。

 短く切りそろえ、丁寧に撫でつけられた焦げ茶の髪に白い物が混じり始めているが、中年と呼ぶには憚られるほどの活力が漂っていた。

 糊が利いたスーツを着こなして背筋をぴんと伸ばしている姿は若々しく見えるが、見た目の印象より年上なのかも知れない。

 居住まいを崩さず、物腰穏やかな喋り方。名前も相まって優秀そうな執事さんにしか見えない。


 ところでフェルナンドさん。どうして右腕を掲げてこちらを見ていらっしゃるんですか。


 聞けば墓穴を掘りそうで口にはせず、彼の位置を確認する。タラップの脇。つまり出入り口の側。

 ご丁寧なことに私の手を引くにちょうどいい場所。

 降りてこいと言うことなのか。

 純粋に疑問に思い、首を傾ける。狼の襲撃で馬は居なくなったがスーニャ達の馬で充分足りる。それに、横転した車体は目を見張るほどに丈夫で目立つ傷もほとんどなかった。


 元の世界のような車があるなら別だが、馬車くらいしかなさそうなこの世界では乗り換える必要性を感じない。

 不審が視線に混じっていたのか、こちらを安心させるかのように彼が微笑んで口を開く。


「ユハ・アンセウム・ジェイヴェ・バリエイト様から、見つけだし次第丁重に屋敷へお連れするようにと言付かっております」


 説明して貰えるのはありがたいが、この人数を見る限り、「お連れする」より「連行する」と言われた方が説得力がある。

 とは言えここで意固地になって断れば怪しい人物に磨きをかけるだけではなく、ユハから散々な嫌みを食らうだろう。

 ごねても仕方がない。言われた通りするのが得策か。

 仕方なく頷こうとしたら横合いから袖を引かれ、反射的に距離をとる。


「バリエイトって、あのバリエイト!?」


 つんのめるような前傾姿勢で私の袖をわっしと掴み、硬直から復活したらしいスーニャが興奮した面もちで詰め寄ってくる。

 妙な迫力があり、ちょっと怖い。


「ど、どのバリエイトですか」

「何言ってるのよ。バリエイトって言ったら有数貴族の一つじゃない。招かれてるの? だとしたら凄いわ」


 返答を考えながら袖を引き抜こうとするが、ビクともしない。見かねたシリルがスーニャの折り曲がった指をほどいてマントを解放してくれる。

 更に追求される前に彼女と間合いを開き、首を横に振る。


「仕事の関係で少し顔見知りになった程度ですよ」


 招かれているのではなくて押し掛けようとしている最中だ。

 初対面から縛ったり暴言を吐いたりと余り優しい対応をしてはいないが、馬車会社への過剰な圧力を見る限り嫌われてもいないらしい。

 連絡はおそらく悪魔祓いギルドからいっているのであろう。気を利かせたロベールさんかアマデオさんがしたんだろうけど。

 教会で聞いていた伝書鳩以外の、別の連絡法もあることに驚く。電話はないのに、この素早さ。電波ではない生命体が文を抱えて飛ぶのだろうか。

 今更だけれど、伝言位送ればよかった。場所が分からないとか、書いた字が文章になるか怪しいとか諸々の事情があったとは言え不作法だったと反省する。

 次があれば気をつけよう。


「そういえば馬車のことですが」


 スーニャの質問がややこしい方向に向かわない内、話を切り替えると、穏やかさはそのままにフェルナンドさんは眉を下げ、深々と頭を垂れる。


「はい。このたびは大変なるご迷惑を」

「不慮の事故も含まれていましたから、過度に責め立てる気はありませんよ」


 堅苦しい謝罪は聞くだけ疲れるので静かに首を横に振る。スーニャ達の話を聞く限りあの道に狼は現れないはず。

 悲しい事だが私達は単純に運が悪かったのだろう。ものすごく。

 馬車は貰うつもりだけど、対応も予測も無理そうな事態を槍玉に挙げて責任だ何だ声高に言う気は毛頭ない。


「いいえ、たとえ相手が魔物であろうとお客様を置き去りにするなど御者にあるまじき行為で御座います」


 フェルナンドさんが静かに首を振り、沈痛な面持ちで告げる。


「置き去りではなく馬に引かれていった気も」


 狼におびえて逃げ出したわけではないので御者さんの名誉のために言っておく。


「それは更に遺憾なことです。馬を操るのが私どもの責務、例え目前に溶岩が迫ろうとも、雪崩が起きようとも。我が腕である馬に引きずられる等あってはならないのです」

「そう、でしょうか」


 言っていることは大体に置いて理解できるが、溶岩や雪が流れ落ちてきて逃げたとしても誰も責めまい。命あっての物種だ。出来れば一緒に連れていってほしいのも本心だけど。


「私どもの務めはお客様の送迎。お客様が安心して目的地にたどり着けるようにするのが使命で御座います」


 見事なプロ根性に感心する。流石は貴族相手の馬車会社、徹底している。


「何事があろうとお客様を守り、送迎するのが誇り。送り届けられぬ者など真の御者とはいえません」


 そこまで言うんですか。

 断言されて眉を寄せる。狼に追い立てられた彼はフェルナンドさんの中では御者ですらなくなったようだ。

 挽回の機会はあると思いたい。


「御者は御者でしょう。戦士を雇っているわけではありませんから、魔物のたぐいの場合ある程度は仕方がないと思」

「いいえ!」


 今まで静かに耳を傾けていた彼がこちらの台詞を断ち切り、真剣な眼差しで言葉を続ける。


「不肖ながら私もではありますが、我が社の名を刻むのであれば、絶壁が迫ろうとも戦火の最中であろうとも、竜の鼻先だとしても一命を賭してお客様をお守りしお送りするのが務めでござます」


 い、命ってまた大げさな、と思うと同時凶悪かつ最強の代名詞を出されて腰が引ける。眺めはしたくとも遭いたくないナンバーワンなので、冗談でも出して欲しくない。


「ドラゴン、ですか」


 話題にすらしたくないので尋ねる言葉も自然と歯切れが悪くなる。

 スーニャじゃないけど、森が間近なこの場では言ったら出てきそうで嫌だ。


「たとえばの話で御座います。しかしながら、魔物の一、二匹。捌けなければ御者は務まりません。戦うことかなわずともお客様を送り届けられる瞬間を作ってこその御者ですので」


 それもう御者じゃない。

 厳しい表情で瞠目し、とうとうと語る彼に胸の内で突っ込みを入れる。

 破壊の別名である竜を目前にした状況下で、それだけのことが出来る冷静さと実行に移せる実力を兼ね備えるのならば、その人物は立派な歴戦の戦士だ。


 御者は猛者の集まりなのかと背景と同化していた方々を見る。

 平静そのものの顔で胸に左手を添え整列しているが、フェルナンドさんが熱く語る度、彼らの瞳に怯えが走る。

 際限なく積み上げられる“真の御者”という名の分厚い壁に冷や汗を流しつつも、必死で笑顔を保ち続けていた。

 竜の鼻先からの迂回は、フェルナンドさんはともかくとして、彼らには少々厳しい内容らしい。

 うん。どう考えても普通無理だと思う。そういうのは勇者かそれに近い人物に任せる物だ。

  

 縮こまる周囲の部下達を知ってか知らずか。彼の御者道を説く唇はしばらく止まりそうになかった。

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