4話 これ、ひと言ですむ話?
彬視点です。
放課後、彬は通い詰めているいつものホテルで、妃那と一緒にいた。
あまり約束というものはしたことがない。
その日、突然どちらかが呼び出して、会うことになる。
この関係になってすでに半年は過ぎているが、何度呼び出しても、妃那に断られたことは一度もない。
その逆も、よほど外せない予定が入っている時以外は、断ったりしない。
お互いにお互いを必要としているこの関係の中で、どちらかが呼ぶというのは、『なんとなく』でないことの方が多いから断れない。
呼ばれた時は最優先にしないと、傷ついている相手を放置してしまうことがわかっているからだ。
今日、呼び出したのは妃那の方だった。
大した話もなく部屋に入って、すぐにベッドに行くのもずっと変わらない。
わりとあっさりと短い時間で、互いに快感を得て、まずすっきりしてしまうことが先。
そうすると、それまで抱えていたもやもやとした思いも吐き出されて、わりと穏やかな気分になれるのだ。
そうでなくても、性欲発散は大事なので、別に悩みがなくても歓迎なのだが。
一回果てた後、妃那は中途半端に脱いでいた制服のブラウスとスカートをうっとうしそうに取り除け、それからベッドに転がってふうっと息を吐いた。
「なんか、あった?」
「別にないわ。どうして?」
妃那は不思議そうな顔で隣でうつぶせになっていた彬を見る。
「何にもないならいいけど」
「彬は何をイライラしているの?」
「そう? 別にそんな気はなかったけど」
「彬って、何かあると、わりと乱暴になるから」
「……ごめん」
「謝ることはないわ。そういうのが好きだと言ったでしょう? 雑に扱われると、余計に興奮するの」
言われて、自分が苛立っていたのかどうか考えてみたけれど、あまり思い当たらなかった。
「気分的なものかな。そんな感じでやりたい日もある、的な」
「わかるわ」
「ていうかさ、今日、すれ違った時、気づいてたよね?」
「ええ、もちろん」と、妃那はあっさりうなずく。
「気づいたら普通、あいさつくらいしない?」
「その場でキスして押し倒していいのなら、あいさつしてもいいわ」
「……はい?」
「わたし、気づいたんだけれど、彬とここ以外でほとんど会ったことがなかったのよね」
「そう、かも……? 出会った時に1回、一緒に帰って、あと、車の移動で、君の家で1回。それだけ……?」
妃那に言われて、彬も初めて気づいた。
半年以上も顔を頻繁に付き合わせている相手と、まさかここまで外で会ったことがないという事実は、ある意味ショックだった。
「彬、『パブロフの犬』って知っている?」
「知ってるけど。条件反射みたいなものでしょ?」
「まさにそれだったわ。今日、初めてあなたとすれ違って、そのままセックスしたくなったわ。だから、あれからすぐにメッセージを送ったんだけれど」
「……僕、そこまで見境なくないけど」
確かに性欲はかき立てられたかもしれない。
それはでも、この歳の男なら普通にあることだと思う。
しかも相手は、自分と性的関係にあるのだから余計だ。
妃那が真面目に言っているので、彬はため息をついた。
「やっぱ、いい。すれ違うくらいなら、あいさつなしで」
「これからこんなことがいつでも起こりうるなんて……。ねえ、知っている? 旧生徒会室」
「高等部にあるの?」
「今は物置になっていて、そこのカギを圭介が持っているの。授業を抜け出して、桜子と会っていたことがあるのよ。そういう時は、わたしたちも使えばいいと思わない?」
「圭介さんは節度のある人だから、よっぽどのことじゃない限り、授業をサボったりしないからいいだろうけど。君の場合、学校に何をしに行くかわからなくなるよ」
「ダメなの?」
「ダメ。僕は君と違って、真面目に授業を受けないとマズいんだよ」
「頭が悪いから、仕方ないわね」
「あのねえ! 僕、普通だよ? 君に比べたらバカかもしれないけど、少なくとも中等部でトップだったんだから、圭介さんとあんまり違わないんだよ。圭介さんにも頭悪いとかいうの?」
「言わないわ。わたしが言う前に、自分がバカだとか頭悪いと言うから、言う時がないのよ」
「……そういう人だった」
「そう。だから、圭介が好きなの。自分のダメなところもちゃんと認めていて、それでも誰かに何かをしてあげようとするところが」
妃那はホクホクと幸せそうな笑顔を向けてくる。
「どこが氷姫なんだか……」
「みんなが勝手に言っているだけのことよ。わたしがそう名乗っているわけではないわ」
「中身は3歳の痴女なのに」
彬がニッと笑って言うと、妃那は目を吊り上げた。
「相変わらず失礼ね!」
「ほら、そんなにいっぱい表情あるのに」
彬は笑って口づけると、妃那を押し倒した。
「シャワーは?」
「後でもいいじゃん。今すぐしたい」
妃那は返事の代わりに彬の首筋を引き寄せた。
その帰り際、シャワーを浴びて、いつものように妃那の髪をとかしてやっていると、突然、爆弾発言をしてくれた。
「ねえ、彬。お父様があなたに会いたいんですって」
「はっ?」
「聞こえていなかったのかしら?」
「き、聞こえてるよ! ていうか、なんで!? 二度と顔を見せるなって、言われてるよね?」
妃那との関係は親公認とはいえ、基本的にはただの身体の関係でしかない。
『恋人同士』ということにはなっているが、それも家族内限定で、外部にもらすことは許されていない。
恋人同士でない以上、相手の親に会うこともない。
それどころか、会ったら最後、ぶん殴られる。
そういうわけで、彬は妃那の父親、神泉社長の来るようなパーティには行かなかったし、圭介が入院した時も病院で鉢合わせしそうだったので、お見舞いにも行けなかった。
そんな神泉社長が彬に会いたいなどと言ってくるのは理解できないし、何があるのかと思うと、末恐ろしい。
「話をしたいんだと思うわ」
「何の? ……て、もちろん君のことだよね?」
「直接聞いた方が早いと思うわ。明日4時に東都ホテルのラウンジでお父様が待っているそうよ」
「て、なんで、勝手に決めてるの!?」
「彬、明日の放課後は空いているのでしょう?」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくって」
「どういう問題かしら?」
「時間は問題ないけど、何を言われるかと思うと……つまり、行くのが怖い」
「お父様の方が話があると言っている以上、何かしたりしないと思うわ」
「そういう怖さじゃなくて、やっぱりこの関係は終わりにしてくれって言われるかもしれないってこと」
「彬はイヤなの?」
「イヤに決まってるよ。君はいいの? 終わっても」
「イヤよ。だから、断ればいいだけの話でしょう」
「……面と向かってそんなこと言われたら、お父さん相手に簡単に断れないよ」
「なら、好きにすればいいわ。ねえ、彬、手が止まっているようだけれど、このままだと剣道の前に夕食がとれなくなるわよ」
「ああーっ、時間!」
彬はすっかり止まっていた櫛を妃那の髪にすべらせた。
「やはりあなたと話していると、ひと言で済む話が、ずいぶん時間がかかってしまうわ」
「あのねえ。君がひと言で済む話だと思う時点で、間違ってるんだよ」
ドライヤーで妃那の髪を乾かしてやってから、ホテルを後にした。
次話は、「ほのぼの」よりは「ギラギラ」した藍田家の食卓風景になります!




