11話 今日の目的はそっちじゃない?
彬視点です。
彬はスマホのメッセージ着信音で目を覚ました。
『今日、会える?』と妃那からメッセージだ。
彬はベッドからもそもそと起き上がりながら、この1週間ためてしまった自分の股間を見下ろした。
断る理由がなかった。
『何時?』
『11時にいつもの駅で』
『了解』
昨夜、遅くに寝たせいか、時計を見ればすでに9時を回っている。朝食を取って支度をしたら、すぐに出かけなくてはならない。
あくびをしながら部屋を出ると、桜子の部屋からは声が聞こえてくる。
さっそく圭介に電話をして、今回の婚約騒動についての報告をしているのだろう。
声がウキウキしているから、すぐにわかる。
(なんか、落ち着くところに落ち着いたって感じだよな……)
桜子が王太子の申し出を断れば、それでこの件は終了。
二人はめでたしめでたし。
桜子が遠くに行ってしまうこともなく、これからも幸せそうな笑顔を見ていられると思えば、彬にとっても悪い結末ではない。
ただこの結末を不満に思う人物は一人いる。
その相手にこれから会うのだ。
薫子に頼まれた通り、妃那が何を企んでいるのか、次に会う時には一応探りを入れるつもりで心の準備はしていた。
が、昨夜、問題は解決。その必要はなくなった。
(……昨日の今日で? そういう気分になる?)
いまいち理解ができなかったが、彬は時間通りに待ち合わせ場所の駅に向かった。
時間通りにいつものロールスロイスが目の前に停まり、彬は妃那の隣に乗り込んだ。
妃那はいつもと変わらず黙ったままだが、普段は無表情なのに今日は機嫌悪そうにムスっとしている。
案の定、ホテルの部屋に入ってから、妃那は怒りを爆発させた。
「あなたの父親、何なの!? 腹が立つわ! わたしのことを子ども扱いして!
しかも、おじい様とお父様にも告げ口したのよ! おかげで朝からものすごく怒られたわ!
この『知る者』であるわたしを叱ったのよ!? あの家では神にも等しい存在のこのわたしを!
圭介との婚約を白紙にするなんて、絶対に許さないわ!」
妃那はそこまでわめき散らしたかと思うと、わっと子供のように泣き出した。
「ねえ、どうしてわたしのしたことはいけないの? わたしはどうしても圭介が好きなの。
桜子と簡単に別れてくれないから、一生懸命考えて、絶対に別れるように頑張ったのに。
どうしてダメなの? どうして怒られるの?」
(おーい、自分のしたことが悪いことだってわからないのか……?)
彬はため息をつきながらベッドに腰かけた。
呼び出してきたのは、単に彬を怒りのはけ口にしたかっただけのことらしい。
加えて腹立つ相手の息子だから、余計に言いたくなるのかもしれない。
「圭介さんはなんて言ってたの? 君のしたことについて」
「圭介は詳しい話を知らないわ」
妃那はグスグスとしゃっくりをあげる。
「なら、ちゃんと話したら? 圭介さんが何て言うか」
「……もしかして、話したら圭介に嫌われることなの?」
「まあ、圭介さんはやさしいから、嫌ったりしないと思うけど、普通に叱るんじゃないか?」
「彬は叱らないの?」
「僕はそういう立場じゃないから、叱ることはしないけど、普通にあきれた」
「どうして?」と、妃那は涙にぬれた瞳でじいっと彬を見つめてくる。
「どうしてって……。たかが恋人同士を引き裂くのに、戦争起こしたりしないよ。
そのせいで何人が犠牲になった?
君が起こした内戦のせいで、家も街も壊されて、生きている人も生活に困っている。
君のほしいもののために、関係のない人まで巻き込むのは間違ってるよ。
人として許されることじゃない」
「なら、わたしはどうするべきだったの? どうしたら圭介は桜子と別れてくれるの?」
「それは無理だってあきらめるしかないんじゃない?」
「それはイヤ」
「じゃあ、好きな気持ちはどうしようもないから、姉さんより魅力的になるとか、二人を邪魔するにしても、他人を巻き込まない程度にするとかしかないと思うよ」
「それでは別れないから、他の方法を考えたのに。結局、無理ということになるじゃない」
「だから、最初からそう言ってるんだけど……。なんで、圭介さんじゃなくちゃダメなの?」
「その質問、そっくりそのままあなたに返すけれど」
「僕はちゃんとあきらめているから違うよ。
姉さんのことはこれからもずっと好きだけど、気持ちの上だけでそれ以上の関係は望まない。望めないっていうのもあるけど。
だから、こうして君と会っているわけ。君もはたから見れば、充分圭介さんに大事にされていると思うよ。それ以上に何を望むの?」
「圭介に抱いてほしいわ」
「僕とするのと、どう違うの?」
「知らないわ。したことないもの」
「なら、どうして?」
「圭介は最初からわたしにやさしかった。抱きしめてもらうととても心地よくて、もっと触れてほしいと思うのは普通のことでしょう?」
「けど、君がいくら迫っても相手にしてくれなかったんだろ? それ以上迫り続けたら、嫌われるってわかっていたから、僕とこういう関係を続けている。
それで、今は圭介さんともいい関係を築けているんじゃないの?」
「……そうよ。圭介は前よりもっとやさしくしてくれる。言うことを聞いてくれる」
「それなら、そのままの関係でもいいと思うけど。
僕も同じだから。
唯一好きな相手で満たされない部分を君で補って、姉さんと節度を持った関係を保つことができるから、仲良くしても全然後ろめたくない。
結構、今の状況が気に入っていたりする」
妃那は何を考えているのかわからない表情で彬を見つめ、しばらく人形のように動かなくなってしまった。
(放心してる? それとも恐ろしい勢いで脳が回転してる?)
わりと長いことそうしていたが、ようやく妃那の目がパチリと瞬きした。
「彬はあきれたと言っていたけれど、わたしのことを嫌いにならないの?」
「悪いことを悪いことだと思ってするような人だったら、僕は嫌いだと思うよ。
でも、君はいいことも悪いこともまだよくわかっていないじゃん。
そういうの、子供って言うんだよ。
そういう相手は嫌ったりする前に、きちんとした大人になってほしいって思うだけ」
「彬も父親と同じことを言うのね」
「ていうか、みんな思ってることじゃない?
圭介さんだって、君が子供だと思うから、わがままも身勝手もある程度許してあげて、甘やかしてくれるんだと思うよ。家族だからっていうのもあるかもしれないけど。
君がもしも本当に常識ある大人だったら、こんな女王様体質で自分本位の人を人とも思わない人間とは付き合わないよ」
「……あなたの言うことはわかったわ」
妃那が暗い顔をするので、言い過ぎたかと思って少し後ろめたかった。
「言いたいこと言って、泣いて、気が済んだ?」
「そうね……」
「じゃあ、帰るか」
彬が立ち上がると、ベッドに突き飛ばされた。
「気は済んだけれど、用事は済んでいないわ」
「ええー……」
「あなたの言う通りだということはよくわかったわ。
わたしは圭介には絶対に嫌われたくない。
抱いてもらえなくても、それだけは譲れない。
そのためにあなたを利用させてもらうことにするわ」
身体の上にまたがった妃那は彬のシャツのボタンを一つ一つ外していく。
「まあ、お互い最初からそういう利害で一致していたんだから、今さらな話だと思うけど……」
本当はこんなことをしているのも嫌われる要因になるかもしれない。
嫌われなくても、軽蔑される。
(この人、わかってるのかな?)
たとえわかっていたとしても、結局のところ、これ以上いい方法は見つからないだろう。
甘んじてこの妥協策を受け入れることで、大半の望みが叶うとなれば致し方ない。
少なくとも今の妃那にはさらなる企みを重ねて、圭介と桜子を陥れようとする意志は感じられなかった。
ある意味、彬の言ったことは通じたようだ
(わりと素直だよな……。子供だから?)
世の中のことをわかっていないだけで、悪い人間ではないのだ。
今回のことも、ほんの少し誰かに相談していたら、いけないことだと諭してもらえたのかもしれない。
そんなことを思いながら、目の前の妃那を改めて見た。
モタモタとボタンをはずしているのを見て、思わず笑ってしまう。
「不器用だな」
「失礼ね! わたし、普段は自分でボタンなんてはめたり外したりしないの!
笑うなら、自分でやりなさいよ!」
「そういうの、『逆ギレ』って言うんじゃなかったっけ?」
真っ赤な顔でぷうっとふくれる妃那を見て、彬は笑いを止められなかった。
次話は、圭介の藍田家2回目の訪問。
桜子の手料理、お家デートになるか?




