16話 ロボットですか?
引き続き、彬視点です。
彬がひたすら元来た道を戻っていくと、妃那が先ほど放置した場所に座り込んでいるのが目に入った。
これも貴頼のせいかと思うと、やはり怒りでふつふつと全身が煮えたぎる。
「妃那さん。圭介さんの代わりに僕が迎えに来たんだ」
彬は内心の怒りを面に表すことなく、すべての女性に対するように、妃那にもやさしく接した。
――が、妃那は目を大きく見開いたまま微動だにしない。
何度呼びかけても反応がない。
(もしかして、ロボットなんじゃ?)
彬はゼンマイでもついているのかと、妃那の背後を思わずのぞき見てしまった。
(……あるわけないよな)
それなら、目を開けたまま寝ているのかと思って、頬をつついてみた。
指先にやわらかな頬のぬくもりを感じるので、やはり生きた人間には間違いない。
ところが、妃那の身体は指で押したせいで、ぐらりと揺れ、そのままゴロリと地面に転がってしまった。
「ちょっと待ってくれよ……!」
どう見てもさっきまで薫子とやりあっていた少女には見えない。
圭介が『何時間でも、何日でも動かない』と言っていた意味が、彬もここへ来てようやく分かり始めた。
圭介が心配するのも無理はない。
どうやらこの神泉妃那という少女は、圭介の存在なしに動くことがないらしい。
しかし、圭介が来たら来たで、すぐに気づくのだろうから、目も見えているし、耳も聞こえているはずだ。
「妃那さん、圭介さんは来ないよ。だから、僕が代わりに家まで送るから」
返事がないのはわかっている。
もともと背負って連れていく予定だったので、彬は妃那の腕を無理やり引っ張り、背中におぶった。
妃那は抵抗することもなく、おとなしく背負われているようなので、彬は坂を下り始めた。
そのあまりの無防備さに、彬の方が不安になってくる。
あのまま誰か別の人間が拾っていたら、大変なことになったのではないか。
相手は口も開かない、触っても反応がない人形のようなものだ。
加えて『人形』という表現がふさわしい、整った顔の美少女。
背負ってみれば、ふくよかな胸がしっかり背中に押し付けられる。
(変な男が拾ってたら、やりたい放題じゃないか)
「君、どういう事情か分からないけど、こんなことを繰り返していると、いつか痛い目あうよ。
そうなる前に、圭介さんがいなくても、ちゃんと自分の目で見て、自分の口で話して、自分の足で歩けるようにならないと」
妃那に聞こえているのか、聞いているのかどうかはわからないが、彬は思った通りのことを言ってやった。
「圭介さんはいい人だし、君にもやさしいと思うけど、圭介さんの1番は君じゃないんだ。
いつだって、こんな風に君を置いて、姉さんのところに行っちゃうってこと、自覚したほうがいいよ」
しばらくの沈黙の後、肩からぶら下がっていた妃那の両腕がゆっくりと引き上がって、彬の首筋に絡みついた。
(……動いた?)
彬が振り返ると、妃那の目が至近距離で自分の目をのぞき込んでいた。
「あなたはどうしてわたしにやさしくするの?」
言葉を発したものの、見開かれた瞳は相変わらず人形のように生気がないように思えた。
口調もまるでロボットのように一本調子。
奇妙だという感想はぬぐえなかった。
「別に……やさしくしてるつもりはないけど」
「そうね。あなたが好きなのは桜子であって、他の誰でもないんだもの。桜子のためだけにやさしくなれる、利己的な人間だわ」
「否定はしないよ」
たった一度の邂逅で、ここまで彬の本質をお見抜く人間はあまりいない。
彬は驚きと感嘆を込めてかすかに笑った。
(よくわかったよなー。圭介さんなんて、軽ーく僕の外ヅラにダマされてると思うけど)
「ねえ、わたしたち、協力しない? あなたは桜子がほしい、わたしは圭介がほしい。利害関係は一致していると思うけれど」
「僕にとって何のメリットもないから、お断りするよ」
「そう? 確かに兄弟で結婚はできないけれど、1番近くにいることはできるでしょう?
このまま桜子が圭介と一緒にいたら、この先、2度と1番になるチャンスはないのよ」
「僕にとって今、大事なのは、姉さんの1番になることじゃないからね」
「何が大事なの?」
「姉さんが幸せになること」
「そんなのあなたが自分で幸せにしてあげればいいだけのことではないの」
「僕には無理だってわかってるから。そういうことがわからないうちは、君がどれだけ頑張っても、圭介さんは手に入らないと思うよ」
「わたしは手に入れると決めたら、どんな手を使ってでも手に入れる。それだけの力がわたしにはあるもの」
「君がそのつもりなら、僕は全身全霊かけて阻止してあげるよ。それこそ、どんな手を使ってでもね」
「なんなの、あなたは? 腹が立つわ。年下のくせに生意気だわ」
「僕の方が精神年齢がずっと上ってことなんじゃない? 本当のことを言われて腹を立てるのは、子供ってことだよ」
「わたしのことを子供だとバカにしたわね! 頭に来るわ!」
妃那は腹立ちまぎれに拳をポカポカと叩きつけるが、その場所というのが両肩なので、肩叩きにしかなっていない。
彬は思わず笑ってしまった。
「で、そろそろ駅だけど、電車で帰るの? それともタクシー? 言っとくけど、タクシー乗るほど、僕はお金持ってないからね」
「藍田の令息のくせにカードも持っていないの?」
「母親が厳しいからね。そういうわけで、君はカノジョでもなんでもないし、僕の貴重なこずかいを使う理由はないと」
「それって、男としてどうなのかしら」
「最低だと思っていいよ。で、どうするか聞いているんだけど?」
「タクシーで帰るわ。カードならわたしが持っているもの」
「そう。じゃあ、僕はお役目御免ということで」
タクシー乗り場に行って妃那を背中から下して乗せてやろうとすると、キッと睨まれた。
「何を冗談言っているのかしら? わたしが知らない人の車に一人で乗れるわけがないでしょう?」
「知らない人って、タクシーだよ? 行先言えば、家まで連れて行ってくれるよ。日本のタクシーは安全なんだから」
「何をもって安全と言うのか、わからないわ。どれだけ今まで事件があったと思っているの?」
妃那は恐ろしい剣幕で日本にタクシーが発足して以来、何年何月何日、何が起こったのか、まるで年表を読むようにまくしたて始めた。
(なんなんだ、この子は……)
彬は唖然としながら、妃那が話し終えるのを待っていた。
「ちなみにタクシーの台数に対しての事件の発生率は?」
「およそ0.1パーセントよ」と、妃那は真顔で答える。
(冗談で聞いたのに……)
「じゃあ、それを安全ではないと判断する基準は?」
「1000台に1件かもしれないけれど、このタクシーで事件に絶対にあわないという可能性はゼロよ」
「それはまあ……確かに?」
「四の五の言っていないで、一緒に家まで行ってもらうわ。圭介に家まで送ると約束したのでしょう?」
彬は妃那に無理やり引っ張られ、タクシーに引きずり込まれた。
結局、妃那の要望通りに自宅まで送る羽目になる。
妃那の隣でタクシーに揺られながら、彬は込み上げてくる笑いを抑えられなかった。
「何がおかしいのかしら?」
「君、おそろしく変わった人だなって思って。ツボに入った」
「藍田の令息がここまで最低で失礼な人間だなんて思ってもみなかったわ」
妃那はふんと、そっぽを向いてしまった。
次話は薫子におぜん立てしてもらった圭介&桜子の初デート回です。




