30話 空耳?
圭介視点です。
大騒動の夜が明けてその翌日、圭介は母親の部屋を訪ねた。
――が、部屋は掃除中で、彼女は庭のテラスにいるという。
圭介はそのまま1階に下りて、応接室から庭をのぞいた。
母親はテラスの椅子に座って、のんびりとティーカップを傾けている。
「母ちゃん、ずいぶんノンキだよな……。息子が危機的状況にあるってのに」
思わずぼやかずにはいられなかった。
「あら、圭介。あんたもお茶する?」
圭介に気づいた母親が振り返って、聞いてきた。
「……そういう気分じゃねえんだけど」
「まあまあ、ゆっくりお茶でも飲めば、気分も少し楽になるかもよ。
天気もいいし、ここ、涼しくて気持ちいいのよ」
圭介はため息をついて松葉杖をテーブルに立てかけると、空いていたイスに座った。
チリンチリンと鳴らすベルの音に、雪乃が姿を現した。
「圭介の分もお茶をお願い」
「かしこまりました」と、雪乃は心得たように去っていく。
「あのさあ、母ちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「なによ、改まって?」
「昔、よく家出してたんだろ? この厳戒態勢の家から、どうやって脱出してたんだ?」
「あんた、逃げたいの?」
圭介は素直にうなずいた。
「なんか、何をどうやっても全部ドツボにはまって、おれ、このままだとなし崩し的に婚約させられちまう」
「まあ、焦らなくてもまだ時間はあるわよ。お父さんも言ってたじゃない。婚約発表するのは葵の喪が明けてからだって。今すぐどうこうされることはないわよ」
「ていっても、あと7か月じゃねえか。あの妃那の勢いにそれまで耐えられんのか、おれは……?」
「耐えられなければ、婚約すればいいだけのことでしょ」と、母親はあっさり言ってくれる。
「事情がわかってるおれはともかく、桜子は? 何の連絡もなしに、おれを待っててくれるなんて、楽観視できるわけねえだろ」
「向こうがそれであんたのことを忘れるなら、それまでの想いってことじゃない。それなら、あんたもあきらめがつくでしょ」
「そんなに簡単にあきらめられるわけないだろ! 向こうにその気がないって思ってても、どうしても好きで、一緒にいたくて、やっと思いがかなったってのに……。
こうしている間も、声が聞きたくて、逢いたくてどうしようもないってのに……。
母ちゃんだって、父ちゃんのことを好きになったんだから、おれの気持ちくらいわかるだろ? だから、脱出方法を教えてくれ」
必死の思いで頼み込む圭介に、母親は呆れたようにため息をついた。
「逃げたところでムダだったって話もしたと思うけど? あっさり連れ戻されるのがオチよ。
だいたいその足で、どうやって逃げるつもり? 少しは頭冷やして、落ち着いて物事をよく考えてみなさい」
「ひでえよ、母ちゃん……。協力してくれねえのかよ」
「あのねえ、恋愛なんて、しょせん当人たちの気持ちの問題で、二人の気持ちが揺れているような状態なら、誰が助けようが上手くいかないものは、上手くいかないの。
そもそも、泣き言言ってるあんたに、協力なんてするわけないでしょうが」
母親の正論が、今はただ痛かった。
このどうしようもない状況から抜け出せる希望の光がほしいのに、それすらも自分で見つけなければならない。
何をやっても上手くいかない現状、自分の選ぶ道がいつも間違っているようで、どんどん自信がなくなってくる。
次に何かアクションを起こして、取り返しのつかない事態に陥ってしまったら――。
そう考えると怖くて一歩踏み出せない。
(おれ、情けないよな……)
ふと自分が呼ばれているような気がする。
聞こえるはずのない桜子の声が聞こえて、圭介はとうとう桜子逢いたさに、空耳まで聞こえるのかと青くなった。
空耳……ではないので、次話は神泉家までたどり着いた桜子側の話になります。




