28話 兄貴の代わりにはならないぞ
圭介は慌てて身を引いて、妃那の押しのけた。
「おい、兄貴代わりになってくれって言いながら、どうしてそういうことをしてくる?」
妃那は不思議そうな顔で圭介の顔をのぞき込む。
「どうして? お兄様はわたしの身体を抱くのが好きだったわ。圭介はしてくれないの?」
「ちょっと待て。それって……」
圭介は葵と妃那の関係に初めて気づいて、顔が赤くなるのと同時に、青くなるという形容しがたい感覚に陥った。
「お兄様は3日と開けずに、わたしの身体を隅々まで愛してくれたわ。わたしもお兄様がしてほしいということを何でもしてあげた。
わたし、お兄様が恍惚とした表情を浮かべるのを見るのが好きだったの。身体が熱くなって、声を出してはいけないのに、何度も声を漏らしてしまいそうだったわ」
妃那はその時のことを思い出すのか、どこかうっとりと、それでいて男を誘う色香を漂わせていた。
二人の関係がいつから始まったのかは聞きたくもなかった。
性に興味の出る年頃に、目の前に自分に従う人形がいたら、たとえ血のつながった妹でも触れたくなるものなのか。
しかも、自分が何をしても、誰かにバラされる心配もない。
妃那が人形であることをいいことに、葵は自分の妹を性欲を満たす道具にしていたのだ。
そこに愛があったかどうかはわからないが、あったとしても納得のいくことではない。
「おい、妃那、それは普通に間違ってるだろ。普通の兄妹はそんなことしねえ。
おまえ、『知る者』なんだから、それくらいの常識がないとは言わせねえぞ」
「ええ、もちろん、今ならわかるわ」と、妃那は事もなげに答える。
「でも、圭介はわたしのイトコでしょう? 法的な問題はないし、近いうちにわたしと婚約するのだから、何の問題もないわ」
「いやいやいや、問題アリアリだから! 言っとくけど、おれ、好きな女がいるし、おまえと婚約するつもりもねえ!」
「ああ、藍田桜子のこと? 知っているわ。でも、それのどこが問題なのかしら? わたしは圭介を伴侶にすると決めた。わたしの決定は神泉家の決定。圭介は逃れられないわ」
妃那がどうやって桜子の存在を知ったのかはわからないが、夜中に呼び出された時、メッセージには桜子の名前が入っていた。
あの時、すでに妃那は知っていたのだ。桜子の名前を使えば、圭介をおびき出せることを――。
「おい、マジで冗談やめてくれ。そもそも、おまえが継ぐなら、多少血のつながった程度の親戚だっていいわけだろ。
何もおれじゃなくても、やさしくしてくれる奴なんて、いっくらでもいる。
おれが代わりの奴を探してきてやるから、その決定とやらは、せめて保留にしてくれ」
「いやよ。わたしは圭介がいいの。圭介は死のうとしていたわたしを止めたのよ。今になって困るなんて言うくらいなら、わたしなんか放っておけばよかったのに。
今さら、責任逃れしようなんて、都合がよすぎるわ」
「あの状況で止めない人間がいたら、それは人間とは言わねえ!
だいたい、あの時、おまえは心の底では生きたいと思ったから、飛び降りなかったんだろ?
葵に首を絞められた時だって、生きたいって思ったから、人形になったんだろ?
おまえはおれがいるから、今生きているんじゃねえ。おまえの本能がおまえを生かしてんだ。それをちゃんと自覚しろ」
(やべえ……キツい言い方しちまったか?)
多少なりとも後ろめたく思ったが、妃那は圭介の顔を無表情にじっと見つめ、それからコクリとうなずいた。
「圭介の言うこと、よくわかったわ。もう2度とわたしの生きる理由を圭介のせいにしたりしない」
あまりに素直過ぎて、圭介は拍子抜けしてしまう。
「……あ、そう? わかってくれたならいいけど……。そういうわけで、婚約の話も――」
「白紙にはしないわ。だって、わたしの本能が生きたがっているのと同様、わたしの本能があなたを欲しているんですもの。
昨夜のキス、何度も思い出したわ。あんなに激しくて熱いキスは初めて。思い出すたびに身体が熱くなって疼くの。
お願い、圭介。わたしを鎮めて」
色気全開に迫ってくる妃那に、圭介は迷わず頭突きをくらわしていた。
妃那は「イタっ」と叫んで、額を抑えながらうつむく。
「このバカ! 少しは頭を冷やせ! 所かまわず、相手かまわず発情すんじゃねえ! おまえは痴女か!?」
「どうして? 昨夜は圭介だって股間を熱くしていたじゃない」
妃那は額に手を置いたまま、目に涙を浮かべた顔を上げると、不満そうに頬をふくらませた。
「あ、あれは、単なる寝起きの生理現象だ! おまえに発情したんじゃねえ!
だいたい人違いだって言っただろうが。おれは好きな女以外、抱きたいとは思わねえし、だから、おまえをそういう対象で見たりしねえ」
「圭介は普通の男の人とは違うの? 男の人なんて、よほど生理的に受け付けない限り、誰でもいいのでしょう?」
「……妃那、その普通は、どこから来てる?」
「ネット。思春期の男の子なんて、ちょっとかわいい子を見るとすぐにやりたい、やりたいって。それとも、もしかして、わたしがかわいくないということなのかしら」
妃那は真面目な顔で考え込んでいる。
「頼む……。その明らかにマトモでなさそうなサイトで語られることを、普通だと思うな」
「あら、違うのかしら?」
キョトンとした顔で聞き直す妃那に、圭介は深いため息が出ていた。
「世の中にはそういう奴もいる。けど、おれみたいな奴もいる。1歩外に出たら、いろんな奴がいるんだ。
おまえの『世界』は15年間、この家の中だけで、外とのつながりはネットやテレビや誰かが与えてくれる情報しかない。
おまえは外の人間を知らなすぎる。おかげで、頭の中は知識でいっぱいかもしれねえけど、社会性ゼロ。
せっかく人形やめたんだから、婚約だのなんだの言ってる前に、まずは外に出てみろ。
だいたい、イマドキの女子高生、遊んで楽しむことに忙しくて、結婚だの婚約だの、そんな先のことまで考えちゃいねえよ」
「わかったわ。圭介の言う通りにする」と、あっさりうなずかれて、圭介は再び拍子抜けしてしまう。
「ええと、じゃあ、そういうわけで――」
「もうあんな風に迫ったりしないわ。その代り、ぎゅっとして。せめて圭介がここにいることを実感したいわ」
(まあ、ここらが落としどころか……)
圭介はあきらめて妃那の身体を抱きしめてやった。
「ほら、実感できたか?」
妃那は圭介の胸に顔を埋めたまま、コクリとうなずいた。
「もう少しこのままでいさせて。なんだか、急にいっぱい話したら疲れたみたい」
圭介は妃那の細い体を抱きしめながら、何一つ解決していないことに気づいた。
「妃那、おれの言う通りにするなら、婚約も当然なしだよな?」
圭介は妃那の返事を待ったが、いつまでたっても聞こえなかった。
改めて妃那を見下ろしてみれば、圭介の胸でしっかり寝息を立てている。
疲れているというのは、本当だったらしい。
悲しいこともつらいことも、感情を表すことなく淡々と語っていた妃那は、まだ『話をする』ということに慣れていないのかもしれない。
無意識のうちに感情を封印してしまうのか、理性で押さえつけているのか。
長い間、感情も言葉すらも表に出すことのなかった妃那にとっては、それが疲れることでもおかしくない。
安心しきった子供のような寝顔を見て、圭介はやれやれとため息をついた。
(結局、かわいそうな奴なんだよな……)
当たり前のように注がれるはずの肉親の愛というものを受けられず、兄から受けた唯一の愛も歪んだ形のものでしかなかった。
『やさしくして』
『そばにいて』
妃那の要求は、赤ん坊や幼児が親に求める愛に他ならない。
見た目は15歳でも、中身は幼児と同じなのだ。
だから、甘えさせてくれる相手には従順になるし、相手の言うことをきちんと聞こうとする。
本来ならば親がすることを、圭介に求めている。
「やっと人間に戻れたんだから、少しずつでもいい、大人になっていけよ。おまえの人生はここから始まるんだから」
圭介は妃那をベッドに寝かせ、頭を撫でてから部屋を後にした。
次話、桜子側の話になります。
薫子の立てた策とは?




