11話 友達になってください
日直――このクラスでは、席が隣同士の二人が組になって、順番に回ってくる。
意図せずに圭介は桜子と必ず組むことになるのだ。
これは『必要』にあたるので、貴頼に勘違いされないように、日直のために桜子と二人で放課後に残ることをあらかじめ伝えておく。
これまでの3回は日誌を書くのに必要なことを話すだけにとどめ、圭介が余計なことを話さないせいか、桜子の方から話を振ることもなかった。
――が、今日に限って、桜子が日誌を書きながら話しかけてきた。
「つかぬ事を聞くけど、瀬名くんって、もしかしてイジメられるのが、うれしかったりする?」
「は?」
唐突な質問に、圭介は桜子がどういう意味で聞いているのか、さっぱりわからなかった。
しかし、今まで桜子を見てきた中で、彼女は一見天然かと思うようなことを言うが、実はそこにきちんとした意味あることを知っている。
(けど、イジメられるのがうれしいのかって、他になんか意味あるのか?)
桜子が日誌を書く手を止めて、興味津々といったように圭介の顔を見つめている。
が、いたって真面目な顔だ。
「イジメられてうれしい奴なんて、いないと思うけど」と、結局、圭介は普通に答えた。
「だよねー」と、桜子はあっさりと同意する。
「なんで?」
「ほら、瀬名くんって、いろんな嫌がらせされても平気な顔してたじゃない。実はそれがうれしかったりするのかなって」
「んなわけないだろ!」と、圭介は思わず怒鳴っていた。
桜子の質問は言葉通り、天然丸出し。
桜子の本意を探ろうとしたのが、バカバカしく思える。
しかし、怒鳴られたにもかかわらず、桜子は平然とした顔で、しかも、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「よかったー。もしもそうじゃなかったら、この間みたいに仲裁に入った時に迷惑だったかなって。後で気になっちゃって」
そう言われれば、入学式の日の『貧乏くさい事件』も、先日の『盗難濡れ衣事件』も、桜子に助けてもらったのに、圭介は礼一つ言っていないことに気がついた。
そういう圭介を見ていれば、桜子が間に割って入って余計なことをしたのかと思っても仕方ない。
桜子に関わらないようにすることばかり考えていて、人間として大事なことまで忘れてしまっていた。
(おれ、最低じゃん……)
「ごめん。2度も助けてもらったのに、何にも言わなくて。ほんと、感謝してるよ。特にこの間から嫌がらせも止まって、やっと穏やかに過ごせるようになった」
そう言って、圭介はペコリと頭を下げた。
「あ、やだ、別にお礼を言ってほしくて、聞いたんじゃないからね」
桜子は慌てたように弁解するが、お礼を言っている相手に対しては、ある意味礼儀正しい返答だ。
しかし、それならば、もっと普通に『助けない方がよかった?』など、直球で聞けばいいものの、どうしたら『イジメられてうれしいのか?』などという質問になってしまうのか。
圭介にはいまいち理解ができなかった。
「もしかして、他に何か理由があるのか?」
圭介が念のため聞いてみると、桜子ははにかんだようにほんのりと頬を染めてわずかにうつむいた。
「その、瀬名くんに興味があって、いろいろ知りたいなって思って……。別に興味本位ってわけじゃないから、気を悪くしないでほしいんだけど」
桜子の言葉が圭介の頭の中をぐるぐると回り、何度も反芻してしまう。
(おれのカン違いじゃなけりゃ、告白みたいに聞こえるんだけど……?)
思わず舞い上がってしまいそうになるが、圭介自身、こんな美少女で金持ちのお嬢様から告白されるような人間でないことをよく知っている。
(つまり、カン違いだろうな……。で、告白じゃなかったら何だ?)
可能性としては一つしかない。
からかわれているのだ。
いかにもモテない君が、どう反応するのかを見るのは楽しいのだろう。
もしかしたら、教室の外で誰かがその様子を覗いていて、後で笑い者にするのかもしれない。
「へえ。興味って? たとえば、おれの何を知りたいわけ?」
圭介の中でふつふつと湧きあがる怒りに気づかないのか、桜子はうつむいたまま顔を上げない。
「ええと、たとえば、女の子に興味がないのかなとか」
その一言に圭介の頭の中で何かがプチリと切れる音が聞こえた。
(イジメにあっても黙ってるからって、こういう冗談まで笑って流せるほど、おれはできてねえんだよ!)
圭介は桜子の手首をつかんで、一気に自分の方へ引き寄せた。
「興味あるに決まってんじゃん。こんな誰もいない教室で、あんたみたいな美人に無防備に誘いかけられたら、遠慮なくやらせてもらうけど?」
思ったより抵抗なく近づいた桜子の顎に手をかけ、口付けようとした瞬間、ガンっと眉間に衝撃が走った。
「イテっ」
メガネをかけ慣れていないせいで、人との距離感がわからなかった。
まさかキスをするのに、メガネが邪魔になるとは。
圭介は桜子を離し、メガネをはずして痛む眉間をこすった。
(ちくしょー! おれ、めっちゃカッコ悪!)
あまりの自分の間抜けさに、桜子がどれだけ笑っていることだろうと思うと、恥ずかしさのあまり、圭介はしばらく顔を上げられなかった。
桜子が黙ったままなので、圭介がそろそろと様子を窺うように上目で見やると、桜子はゆでタコのように真っ赤な顔を両手で覆っていた。
(……おれが想像していたのと、ずいぶん違う反応なんだけど)
逆襲したつもりでまったくもって決まらなかった圭介を見て、てっきり嘲笑っているかと思った。
もしくは、反撃されるとは思わず、怒り心頭か。
人畜無害そうな顔をしている男がいきなり豹変したので、怖いと感じたのか。
そのいずれかだと思った。
この2か月、圭介は教室の中の『お嬢様』たちを見てきて、彼女たちの全部が『箱入り娘』ではないことに気づいていた。
今が青春の盛りと言わんばかりに、親の金で親の目を盗んで、夜遊びにいそしんでいる女子がとにかく多い。
いずれ親の決めた相手と結婚しなければならないのがわかっているからこそ、それまでは自由に恋愛を楽しみたいのかもしれない。
圭介を誘うようなことを言ってくるからには、桜子もそういう女子の一人なのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
(普通に『箱入り娘』なのか?)
しかし、それもまた納得がいかない。
そういう女なら、迂闊に男に近づかないだろうし、男に付け入るスキを見せたりしないはずだ。
(わけわからねえぞ、この女)
とにかく、桜子は嘲笑っているのではないので、圭介が驚かせてしまったのは確かなのだろう。
「悪い。冗談が過ぎた」と、謝っておいた。
「あ、なんだ、冗談……。びっくりしちゃって」
桜子は目をきょときょとと泳がせ、落ち着かない様子で目の前に座っている。
(ちくしょー! やっぱ、むちゃくちゃかわいいじゃねえか、この女!)
「これに懲りたら、男に向かって興味あるとか簡単に言うなよ」
(おれみたいなバカ男がカン違いするから……)
「ごめん。なんか、言い方が悪かったみたい。瀬名くんのことをいろいろ知りたいって言ったのは、友達になれたらなって思ったからなの」
「友達?」
「でも、友達になってくださいってストレートに言ったら、告白みたいで変かと思って。難しいね、この歳になると男の子と『友達』になるのって」
桜子はへへ、と少し困ったように笑った。
「……つまり、あんたはおれと色恋なしの友達になりたいって言ってるのか?」
桜子はコクンとうなずく。
「正直ね、この学校が嫌で嫌で仕方がなくて、何度もやめようと思ってたんだ。けど、瀬名くんへのイジメを放ってやめるのも後味悪くて。
で、ようやく収まって思い残すことはなくなったんだけど、あたしがいなくなったら、また同じことが起こるのかと思うと、心配でやめられないし。かといって、このままこの学校にいるのも苦痛だし。
瀬名くんとは1番話が合いそうだし、一人でも仲のいい友達ができれば、学校生活も楽しくなるかと思ったんだ」
「苦痛って、あんたの方がおれなんかより、よっぽどなじんでると思ってたけど」
たとえ周りの女子と話がかみ合わなかったとしても、ちやほやされたら人間悪い気はしないものだ。
富と権力のある人間は、当然享受していいものだと圭介は思う。
「そう見える? あたしからすると、どうもみんなと話は合わないし、遊びに行くにもお金かかるとこばっかで、あたしにはついていけないし。
それだけならまだしも、権力におもねって愛想笑いばっか浮かべて、機嫌を取ってくるような人たち、友達とは呼べないよ。
おまけに親の権力で人の優劣を決めて、子供じみたイジメまでする。
高校生にもなって、いつまでバカなことやってんのよっ。
あんなのが将来を担う大企業のボンボンやお嬢かと思うと、未来の日本はお先真っ暗よっ」
桜子は話しているうちに怒りも頂点に達したのか、そこまで言い切って、机をドンと拳で叩いた。
どうやら、みんなの語る桜子の『やさしい笑顔』も『物腰のやわらかさ』も、作り物だったらしい。
そういえば、この放課後、こうして顔を突き合わせて話していても、桜子は他のクラスメートに見せる笑顔を圭介に対して見せていない。
クラスの中で愛想のいい美少女然とした桜子は、どこか人間離れした完璧な深窓の令嬢だったが、実際、目の前の桜子は感情豊かで、表情もくるくると変わる。
美人なのは変わりないが、ごく普通の女子高生に見えた。
圭介はそんな桜子をもっと知りたいと思ってしまった。
居心地の悪いこの学校で、こんな風に桜子といつも話ができたらどれだけ楽しいだろう。
しかし、友達になりたいと思う一方で、桜子の魅力を知れば知るほど、『友達』ではいられなくなりそうだ。
『桜子に必要以上に近づかないこと』
それは好意を持たないようにするための必要条件だった。
近づいたら恋をする。
だから、近づいてはいけなかったのだ。
貴頼との契約が圭介の頭にずしんと重くのしかかってくる。
しかし、彼は『好意を持つ』イコール『好きになること』だと言った。
それが恋愛感情を指すのなら、圭介がどんなに恋をしようが、それを貴頼に悟られず、桜子と『友達』でいる限り、契約違反には当たらないはずだ。
(おれだって、せっかくの高校生活、もっと楽しんだってバチは当たらないだろ?
そのためなら、あいつをうまく言いくるめることくらいしてやる)
「ずいぶんストレスためてたんだな。この学校がどういうところか、だいたい想像ついてたんだろ? なのに、なんでこの学校に来たんだ? 中学は公立に行ってたのに」
「う、それを聞く?」
桜子は嫌そうに顔をしかめる。
「笑える話じゃないなら、やめとく」
「ちょっと、そこは興味津々に聞くところでしょ?」
ぷうっと膨れる桜子をやはりかわいいと思ってしまう。
恋するとわかっていても、近づきたい。
誰よりも近くにいたい。
それが『友達』という立場であっても、今は構わなかった。
「ほら、言いかけたんだから、ちゃんと話せよ。笑えない話でも聞いてやる。友達としてな」
圭介にとって『友達になってください』は、やはり改めて言うのは照れくさい言葉だった。
だから、冗談交じりにしか言えなかった。
きっとその言葉は桜子のものと違って、『友達から始めてください』という告白以外の何物でもなかったから。
そんな『告白』でも、桜子はうれしそうに鮮やかな笑顔を向けてくれたので、圭介も笑顔を返した。
次話はこの場面のまま続きます。時間がありましたら、続けてどうぞ!




