16話 すべては計算されていた
朝食以外は食堂で取ることになったので、その日、圭介は昼食のために食堂に下りて行った。
冷たい空気の中で食事をするのに懲りたので、母親と一緒に食事をしてもいいか、執事の藤原に尋ねたのだが、あっさり却下された。
学生は夏休みとはいえ、平日の昼なので、源蔵も智之も仕事でいないのは当然だ。
琴絵も今日は人と会う用事があって、午前中から出かけているという。
おかげで昼食に来たのは、圭介と一樹だけだった。
(二人でこの長いテーブルって、かなり意味ないと思うんだけど……6畳ひと間でも充分広いぞ)
使用人に囲まれての食事はどうも人目が気になって、個人的なことは聞きづらい。
それは一樹も同じなのか、天気の話や最近のニュースといった当たりさわりのない話題を振ってくる。
「それで圭介君、ここでの生活は気に入った?」と、ついでのように一樹に聞かれた。
「気に入る前に慣れないというか……今までとあまりに違い過ぎて。一樹さんは戸惑ったりしませんでしたか?」
「始めは戸惑ったけど、慣れればこれほど居心地いいところはないよ」
「じゃあ、一樹さんは自由に友達と連絡取ったり、出かけたりできるんですか?」
「それはもちろん」
「ここに来た時から?」
「そうだけど。どうして?」
一樹は怪訝そうな顔で圭介を見つめてくる。
「僕は今のところ、そういう自由がなくて……閉じ込められてることもあって、そこまで居心地がいいとは思えないんです」
「閉じ込められてるって、圭介君はここに無理やり連れてこられたの?」
「いえ、ジイさんに孫って認められたいと思って、自分から来たのは確かです。でも、後継者とかは考えたことがなくて」
「そう?」と、一樹は意外そうに眉を上げる。
「でも、おじい様は君を後継者にしたいみたいだから、君が納得するまで自由にしておきたくないんじゃないのかな。逃げられたら困るって」
一樹の言葉には一理あると思う。
圭介が後継者になることに意欲を見せれば、源蔵も自由を与えてくれるのかもしれない。
スマホを返してもらえば、すぐに再契約をして、桜子と連絡が取れるようになる。
自由に外出ができるようになれば、桜子に会うこともできる。
そのためなら、今は形だけでも後継者になるという姿勢を見せた方がいいのかもしれない。
「一樹さんは後継者になるためにここに来たんですよね? もともと経営とかに興味あったんですか?」
「そうだね。もともと自分の会社を作ろうと思って、大学は経営に進んだし。
けど、おじい様から話があって、ここまでの大会社を経営できると思ったら、もっとやる気になったよ。だって、総資産13兆円、従業員5万人の大企業だよ?」
一樹が目をキラキラとさせて――というよりギラつかせて熱く語るのを聞いて、圭介はようやく彼の本心を垣間見た気がした。
巨額の金と人心を動かす権力に魅了された人間が放つ、独特の野心が一樹にはある。
「まあ、そうですね」と、圭介は一応同意を示しておいた。
「ところで、一樹さんはもう結婚相手が決まっているんですか? この家のしきたりみたいなのは知っているんですよね?」
「正式に決まってるわけじゃないけど、京都にいるハトコが候補に挙がっているらしいよ」と、一樹はこともなげに答える。
「まだ会ったこともない相手と? そういうの、平気なんですか?」
「なに、圭介君は政略結婚反対?」
「結婚はやっぱり好きな相手としたいというか……」
「若いねー。ていうか、まだまだ子供?」
「普通だと思いますけど?」
バカにしたような一樹に、圭介はムッとしながら答えた。
「野心のある男なら、それを叶えられる結婚相手を選ぶ。社長や上司の娘とかね。社会に出たら、それが普通だよ。
結婚に求めるのは愛じゃなくて、同盟関係。愛なんてあやふやなもので結ばれていて、いつか気持ちが冷めて関係が終わったら、せっかく築き上げたものも崩壊するだろう?」
ここでいちいち反論して一樹と敵対するのは得策ではない。
今の圭介にとって一樹が後継者になることこそが最善の策なのだ。
それは妃那にとっても同じことだろう。
圭介が後継者となってしまったら、妃那は否応なく圭介と結婚させられ、この家のために子を残す道具になってしまう。
「おれはそういった類の野心はないですから、やっぱりこういう大企業を動かすには一樹さんのような人の方がふさわしいんでしょうね」
圭介は好意的に言ったつもりだったが、一樹はそれを嫌味と取ったのか、ムッとしたように眉根を寄せた。
「またまた冗談を。野心のない人間が、生まれてこの方、まったく縁のなかった実家を訪れて、孫と認められようとなんてしないだろう?」
「野心が全くないとは言いませんけど、おれがほしいのは好きな女に釣り合う家柄だけです。孫と認められた今、それ以上に望むものはないですから、後継者の話も断ったつもりですけど」
一樹は圭介の言葉の真意を測るように疑わし気な眼差しを投げかけてきた――が、やがてふっと笑った。
「それにはずいぶんタイミングよくここに来たものだ」
「タイミングがいい……?」
「僕は後継者になるべくここに呼ばれたものの、おじい様は僕では血が薄いと、今一つ乗り気ではなかった。しかも、妃那とは異母兄弟だから結婚もできない。
そこで君が登場。君がどういうつもりであれ、おじい様にしてみれば、タナボタだろう。これも神の思し召しってやつかな。君が後継者になるのが運命だって」
一樹の何気ない一言に、圭介は手にしていたナイフをポロリと落とした。
タイミングが良すぎる。タナボタ――。
圭介がここを訪れた時、源蔵はすぐに会おうとしなかった。
つまり、あの瞬間まで源蔵は圭介を後継者としてまったく考慮に入れていなかったということだ。
しかし、たまたま母親が警察に捕まった。
だから、圭介はここに助けを求めにやってきた。
すべては桜子と付き合うことになって動き出したことだ。
(『呪い』か……!)
外孫とはいえ、貴頼は神泉家の現状を当然知っていたのだろう。
桜子の監視を依頼してきたのは、圭介が契約に違反して彼女に近づいたとしても、神泉家と関わりを持つことで、簡単に排除できることを知っていたからだ。
神泉家の後継者になってしまえば、桜子と関係は終わり。
貴頼にしてみれば、圭介以上の適任者はいなかったはずだ。
(ちくしょー!)
『呪い』に抗うつもりで、自力で何とかしようとしたこと自体が、すでに貴頼の計算の上で成り立っていた。
この件で真っ先に助けを求めなければならなかったのは、他ならぬ桜子と藍田音弥だった。
しかし、貴頼は圭介の性格を把握していたのか、そのたった一つの正解にたどりつくことがない方に賭けていた。
そして、圭介はまんまと貴頼の思惑にはまり、神泉家の門を叩いてしまった。
今さら、桜子に泣きつきたくても、簡単に連絡が取れるわけではない。
後継者になることを認めない限り、圭介に自由は許されない。
(もう遅いのか? どうあがいても、あのジイさんから逃れることはできないのか?)
次話はこの続きになります。圭介の身に何が?




