医師の日記
「探してみたら、日記がありました」
昼食後に訪ねた診療所で、アカマ先生はいきなりそう告げて、わたしをぽかん、とさせた。
「え? そんな大切そうなものが? お家の人が処分してそうなのに?」
確か、前の先生には、わたしと同級生のお孫さんがいたはずだ。
いくら急な事故死とはいえ、プライベートなものがそのまま残っているとは思えない。
「気づかなかったんじゃないでしょうかね。診察机の奥にしまわれてたんで、仕事関係のメモと思われた可能性もあります」
「なるほど。では、それを調べてみましょう」
「人の日記を見るのは、申し訳ないですが……」
「大丈夫ですよ」
無責任かな、とは思うが、先生を励まさないことには、調査にならない。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない、といいますし」
「共犯ですか」
「その通りです」
事実を調べたいのであれば、亡くなった人の日記を見るくらい、仕方ない、とわたしは思っている。
けど、そこをいちいち遠慮するのが、なんだかアカマ先生っぽい気がして、おかしかった。
前の先生が遺していたキャンパスノートは、古くて表紙が黄ばんだものから順に、十数冊もあった。
おそらくは、着任当初から書かれたものなのだろう。
――― このノートのどれかには、幼い頃のわたしや両親、祖父母などの記述もあるのかもしれない。
そんなことを思いながら、わたしはいちばん新しいノートを開き、アカマ医師と覗き込む。
直近の日付は、3年前。
『2013年 4月 10日
今年は、桜の花のひとひら、ひとひら 「さようなら、ありがとう」 ち気持ちで見ちょるのよ、と小川さんが笑った。
良かった、という気持ちと、病院であれば、もっと長生きできるのに、という思いの板挟みである。
麻酔では痛みを止めるのに限界がある。ブロック手術を勧めているが、家から離れたくない、という。
今後、あまりに痛みが酷くなるようであれば、意識レベルを落とすのも視野に入れなければならない。
そうならないように、と祈るばかりだ』
『2013年 3月 25日
カミの谷口さんの葬式。ケイイチさんに 「俺の時もよろしく」 と言われる。「男やもめにウジがわかんよう、頑張って長生きしましょうよ」 と答えておいた。
糖尿病のケアは今はできているが、この後ヤケになったりしないよう、注意しなければ……』
『2013年 3月 15日
往診の帰り、じき、桜の季節と気づく。
色づいた枝に心が和むが、この季節は悔いの季節でもある。
私の信仰ゆえに、多くの患者さんに望む最期を迎えさせてあげられなかった。
もっと早くに、気づけば良かった。
トメばあちゃんには、申し訳ないことをした、と今でも思う。
だが、少々疲れた。
街の在宅医が羨ましい。ここでは交代もできない。』
『2013年 2月 25日
半ば強引に患者さんを病院に引き渡していた頃は、考えなかったことを、色々と考える。
最近ときどき 『はらはら様』 と呼ばれる。みんな、私のことを何だと思ってるのだろうか。』
『2013年 1月 30日
シモの中田さんの葬式。』
『2013年 1月 4日
ハツさんが、おせちと梅酒を持ってきてくれた。ありがたくいただく。
しかし、「先生のお陰で、主人は苦しまずに逝きました」 などと、皆に宣伝するのはやめてほしい。
あれは、痛みを軽減するための適切な処置で、あれで亡くなったわけではない。
命は神様のものだ。人には決めようがない。私が左右したりは、できない』
『2012年 11月 16日
正蔵さん葬式。方針を無理にでも入院を勧める方から、患者さんの希望に沿っての在宅に切り替えて始めての看取りである。
家族がなるべく最期まで、自然な形で寄り添えるように。患者さんの痛みがなるべく少ないように。
できることは精一杯やったつもりだが、街のようには万全ではない。
落ち着いたらハツさんと皆でカンファレンスを行う。日取り要相談。』
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アカマ先生が、少し険しい顔をして、日記のページをとん、と指で叩いた。
「やはり…… この正蔵さんという人に、例の処置を施した可能性がありますね。期間は短かったのでしょうが」
「そこまで、いけないことなんでしょうか?」
わたしは、思いきって尋ねてみる。
「先生がおっしゃっていることもわかりますけど、苦痛の軽減といっても、ここじゃ全部できるわけじゃないでしょう。次善の策というか……」
「昏睡状態の人を見たことがありますか?」
先生に不意にきかれ、首を横にふると、「見たら、あれを 『安楽』 とは言えないと思います」 と言われてしまった。
「顎を閉める力がなくなって、口があけっ放しになるので、1、2週間も経つと、歯磨きをしても保湿剤を塗っても、干からびてきて…… 舌が黒ずんで割れるんですよ。
わたしたちは、家族の方を 『意識がないので本人は苦しくない』 と言って慰めるのですが、本当に苦しくないか、なんて、誰にもわかりませんよね」
「はあ…… まあ、本人以外は、分からないでしょうね」
「息が苦しそうでも、無意味な延命になるので、酸素マスクはつけられません。もっとも、家族から要望があれば別ですが…… 説明したら、大体の方は諦めます」
言われると、確かにそうだろうな、としか思えない案件では、ある。
「つまり、昏睡状態が長引けば、周囲は、本人とコミュニケーションもとれないままに、本人が苦しそうに死ぬのをひたすら待たなければならなくなるんですよ」
「うわ……つらい……」
看取りということに関しては無知なわたしにも、これはわかる気がした。
もしも祖父母がそんな状態になったら……、と、考えるだけでも嫌になってしまう。
「あれ。でも……」
ふと、気づいて、質問してみる。
「それって 『はらはら様』 じゃないですよね」
「『はらはら様』 は、もともと、眠るように穏やかな死へ導くモノ、でしたっけ」
「導く、というより、見守る、というか、そこに居合わせる、というか……」
だから、わたしは村の医師が 『はらはら様』 と呼ばれることに、そこまで抵抗があるとは、考えていなかったのだ。
祖母の言うように、『居てくださるから安心して死ねる』 存在という点では、むしろ共通している、とさえ思っていた。
「前の先生が 『はらはら様』 と呼ばれていたのは、悪いことばかりじゃないと、思うんですよね。たとえばほら、ここにもありますけど……」
わたしは日記の 『そうならないよう祈るばかりだ』 の部分を指さした。
「求めがあったからといって、闇雲に処置をしたわけではなく、ぎりぎりの選択だったんじゃないでしょうか」
「そうかもしれませんが、どっちにしても、僕はやりたくないですよ」
アカマ先生は、困ったように目をぱちぱちさせた。
「そもそもが、安らかな死、なんていうのが、ファンタジーなんですから。生命が消える時は、大体、いつも、どんな方法でも大変なんです」
「『はらはら様』 はいない、とおっしゃるんですか」
――― ならば、わたしが幼い頃に見た、白い光はなんだったのだろう。
何をきいても、わたしはどうしても、あれを否定する気には、なれそうもないのだけれど…… 万人にとって良いもの、信じられるもの、というのは、そうないのかもしれない。
「いない、とは言いませんがね」
アカマ先生の顔は、引き続き困っている。
「『はらはら様』 とか、そういう美名の陰に、都合の悪い現実が隠されている可能性は、やはりあると思いますよ」
「…………」
わたしも、困った。
もしこれが 『はらはら様』 でなければ、先生の主張をすんなり納得できたかもしれない。
けれども、子供の頃から慣れ親しんできた隣人のような存在を、『美名』 だの 『偽善』 だのと言われても…… それは、少し違うのだ。
わたしとアカマ先生は、しばらく無言で前の先生の日記を読み続けたが、新たにわかったことは、前の先生が在宅医療に対応するようになるまでの経緯と、その後の苦労や喜びだけだった。
――― けれど翌日、わたしは、祖父に連れていってもらった街の図書館で見つけた資料から、アカマ先生の言うこともあながち間違いではなかった、と、知ることになる。




