本葬の朝
ぴぃぃぃぃぃ、と高く澄んだ鳥の声に目を覚ます。
あれ、天井に池の水面の照り返しが映らないな…… と、わたしは一瞬、寝ぼけたことを考えた。
――― そういえば、久々にみた中庭の池は、昔の面影もなく涸れて、落ち葉がたまっていたのだ。
――― あと、さっきの夢の人、アカマ先生、だったけ……。
どうやら、その先生に意識だけついていったような状態で、上のケイイチさん宅へ往診に行ったようだ。
子供の頃は、こういう夢を見たときには、いちいち本人にきいて本当かどうかを確かめ、驚かれたり気味悪がられたりしていたな…… と、ぼんやり思い出す。
障子に影が映り、祖母の声が呼んだ。
「橘花ちゃん、起きてる?」
「はい」
「起きたらお風呂入りんさい。いれなおしたけえ」
起き上がって障子を開けると、祖母は廊下に雑巾をかけているところだった。
「ごめんね、昨日あのまま寝ちゃったみたい」
「起こしても全然、起きんかったよ。よっぽど疲れてたんじゃろうねえ」
「うん……」
変な夢を見ていた、と言いかけた台詞を、思いなおして呑みこむ。
子供の頃は言えていたのに、10年の間に変な遠慮ができてしまったようだ。
その代わりに、何気なさを装ってきいてみる。
「でも、おばあちゃんは元気じゃね。わたしよりも、早起きだなんて」
「慣れちょるけえ。それに、年寄りは早く目が覚めるもんでね」
「でも、アカマ先生も、あの後往診、っておっしゃってたし。わたしも体力つけないとなぁ……」
「ああ、先生は熱心じゃけえね。でも、ほどほどにせんと……前の先生みたいになっても大変じゃしね」
前の先生。
昨日の夢が、蘇る。……確か、ケイイチさんは言っていた。
――― 前の先生は 『はらはら様』 だった ―――
あんな夢を見てしまったのは、曾祖父あたりが、なにかを伝えたかったからだろうか。
「……前の先生が、どうしたの?」
「亡うなったんよ。お気の毒に」
「なんで?」
祖母は、誰もいないのに、周りに素早く目を走らせて、声を潜めた。
「崖から落ちたんじゃけどね、自殺じゃないかち、言われちょるんよねえ……」
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本葬は特筆すべきこともなく、終わった。
焼き場へ向かう遺族を見送り、会場の片付けを手伝う。
「まずは椅子を畳んで、集めてください」
指示を出しているのは祖父だ。
面倒見が良く、律儀で義理堅い祖父は、葬儀の度にお通夜に出ているそうで、いつの間にか仕切り役のようになってしまったという。
「まあ、良い葬儀じゃったの」
「次郎さんも、満足しちゃったろうのう」
「わしらも早い方がええでよ」
「ほうじゃのう」
冗談とも本気ともつかない口調で談笑しながら、のろのろと片付けを進める人たちに混ざって、アカマ先生が黙々と椅子を運んでいるのが見えた。
「昨日はお疲れ様です」
声を掛けると、少し驚いたような顔をされた。
「ああ、どうも。確か……」
「久仁本の孫です」
「ああ…… 久仁本さんには、よくお世話になっています」
ありがとうございます、とモゴモゴ言うアカマ先生に、さりげなく本題を切り出す。
――― 子供の頃のように、全てを確かめなければ気が済まない、というわけではないのだけれど……。
『はらはら様』 について調べている以上、それに関わりそうなことを放っておくわけにもいかないし、もし村の医師が本当に 『はらはら様』 と呼ばれているなら、その事実確認はやはり、しておきたい。
「昨日はお通夜の後に往診に行かれたそうですね。祖母が、先生は働きすぎと、心配していましたよ」
「それは、すみません」
「いえ、ご立派だと思います。こんな不便なところに来られただけでも」
「ああ、それは、そんな志とかじゃないんですよ」
アカマ先生は照れたように、言い訳じみた口調になった。
「医学部の受験者の中に無医村医枠、というのがありまして。
研修終了後、3年間は無医村勤務、という条件で奨学金が出るんですよ。希望者も少ないですから……合格のための裏技、みたいなものなんです」
僕はそんなに頭も良くなかったし、実家も金持ちじゃないんで…… と、先生は呟いた。
「動機がなんであれ……」
わたしは、どうやって昨晩あったことを確認しよう、と考えを巡らせ、慎重に言葉を選ぶ。
「こうして辺鄙な村に来て熱心に働いておられることは、誉められて良いんじゃないでしょうか」
「何もできていませんけどね…… 死亡診断書を書いて、お葬式に出るだけのような気がします」
アカマ先生が、寂しそうに目をパチパチさせる。
「……そんなこともないでしょうけど…… そう感じてしまうのならば、虚しいことですよね」
わたしは、大袈裟にならない程度に、うなずいてみせた。
人から話を引き出すためには、共感と、適切な誘導が必要だ。
フィールドワークの技術を、こういうことに使うのは、なんだか気が引けるけれど…… これだって、『研究』 というなら、そうに違いない。
――― けれど、 『研究』 という名目で、全てを暴くのが、果たして正しいのだろうか?
そうした疑問から目をそむけて、私はキーワードを口にした。
「往診に行くと、『はらはら様』 って言われるでしょう?」
――― もしかしたら、はぐらかされるかな。
心配は、先生の苦笑いで、杞憂に終わった。
「あれは、正直なところ、参っちゃいます」
「わたしも、祖父母があれを言い出すのがイヤなんです」
次の話を引き出すために、わたしは、小さな嘘をつく。
「まだ長生きできる年なんだから、『治ろう』 って思ってほしいですよね」
本当は、なぜ、村の人たちがそう言うのかは、知っている。
――― 何年も、新しい人の入ってこない村。道端にも家の軒先にも、子供の声がしない村。
――― 誰も、並べられたお菓子の、最後の1つにはなりたくない。さりとて、生まれ育った場所は、捨てがたい……
その感覚は、わたしにはわかるのだが、アカマ先生にはわからないのだろうか。
先生の顔が、わたしの嘘に、小さく輝く。やっと理解者を得た…… そんな、表情だ。
「その通りですよ。
街でリハビリを受けて生活すれば、寝たきりじゃなくて済む患者さんだっているんです」
周囲に気を使い、声をひそめて、「何もこの土地に固執することなんて、ないじゃないですか」 と主張する先生は、まだ、『はらはら』 様とは無縁なように、その時のわたしには思えた。




