転生王女の動揺。(4)
「とりあえず、坊っちゃんに文を送っといたから」
廃屋の中に戻ってきたカラスは、頭を振った。黒髪からパラパラと雨の滴が落ちる。その様子を眺めながら私は、水気を飛ばそうとする犬のようだな、と失礼な感想を抱いていた。
「坊っちゃんって……」
「侯爵家の坊っちゃんの事ですよ。アンタが無事だって知らせておかないと、探し回っちまうだろ」
焚き火を挟んで向かい側に座ったカラスは、私の問いに答えた。
そういえば、港町に駆け付けてくれたゲオルクが、鳥が運んできた文を受け取ったと言っていた。あれもカラスが送ってくれたものだと考えれば、辻褄は合う。一応。
「ありがとうございます」
完全に納得はしきれていないために、たぶん微妙な顔付きになっているだろう。
そんな顔でお礼を言われたカラスは、軽く目を見開いた。マジマジと眺められて、非常に居心地が悪い。
「……なんです?」
「まだオレの事を疑ってるくせに、お礼とか言っちゃうんだな」
珍獣を見る目を向けられ、私は、うぐ、と短く呻いた。
カラスが味方だと完全に信じた訳じゃないが、自分の態度が誉められたものではないと理解もしている。カラスが本当に父様の鳥だとしたら、私は何度も助けてもらっているのに、とんでもなく失礼な態度をとっている事になるんだから。
「……ごめんなさい」
バツが悪くて、俯く。子供みたいな拙い謝罪しか出来なかった。
するとカラスの瞳は、更に丸くなる。
「その上、謝罪ときたか。アンタ、本当に王族?」
「マリーに王族らしさを求めても無駄よ。威厳だってないわけじゃないのに、自分だけのためには微塵も発揮出来ない子だから」
呆れを多分に含んだカラスの呟きに、答えたのは私ではなくヴォルフさんだった。
「船の上でこの子を見守っていたのなら、その位分かるでしょ」
「見守っていたというよりは、監視だけどな」
カラスの言葉に嘘はないように感じた。
確かに父様なら、監視くらいつけるだろう。護衛としての役割もあるのだろうが、メインは私の行動の報告に違いない。
そう考えれば、矛盾はない……気がする。
ただ、簡単に信じるのにも抵抗がある。
私の知るカラスは、間諜ではなく完全な暗殺者だった。
しかも神子姫を亡き者にするために、ラプター王国が雇った暗殺者だ。
それが一体、どこをどう間違ったら、我が国お抱えのスパイになるのさ? 私が見ていない部分で、どんな化学変化が起こったの?
疑問と謎は尽きない。
でも、カラスがラプター王国の雇った暗殺者だったと仮定しても、私を騙す理由ってないよね。
わざわざ味方のフリなんかしなくても、とっとと攫うなり殺すなり出来ただろう。
それに、特に秀でた能力を持たない王女を、ラプター王国が狙うとも思えない。それよりは、どこかでゲームの道筋から外れて、カラスが我が国の間諜となったと考える方が現実的だ。
……よし。一先ず、信じてみよう。
私はカラスの端正な顔を眺めながら、心の中で決意する。
「まぁ、いいや。それよりも姫さん。この兄さんと話すんだろ?」
話を振られて、私は思い出す。
そうだ。カラスの正体もだが、ヴォルフさんの目的もハッキリしていないんだった。
視線を向けると、薪を焚べていたヴォルフさんは手を止める。
「私の目的を、まだ話していなかったわね」
「はい。どうして、私を攫ったんですか?」
ヴォルフさんは顔を歪め、苦く笑った。
「そういえば、アンタには、ちゃんと自己紹介もしてなかったわ」
「え? 自己紹介なら、初めて会った時に……」
戸惑う私に構わず、ヴォルフさんは私の前に跪く。
「クーア族次期族長、ヴォルフ・クーア・リュッカーと申します。王女殿下のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
「え……え……!?」
頭を垂れて恭しい挨拶を始めたヴォルフさんに、驚いていた私だったが、言葉の意味を理解して更に驚かされた。
次期族長……? え、誰が?
ヴォルフさんが!? マジで!?
「とんでもないのを釣り上げたもんだな……」
現実が受け止めきれない私の耳に、カラスの呟きが滑り込んできた。
「ほ、……本当に……?」
「本当に」
至極真面目な顔で頷くヴォルフさんに、私はなんと言っていいか分からなかった。
クーア族と出会えただけでも奇跡的なのに、次期族長を引き当てるとか、私の運はどうなっているんだろう。自分のステータスカードを見てみたい。たぶん、力や知性や速さに割り振る分のパラメータ、幸運に全振りされてる。
明後日な方向に現実逃避を始める脳みそを叱咤し、私はヴォルフさんの話を聞く事に集中した。
「ネーベルの女神を探していると、以前話したわよね?」
「はい。目的までは聞いてませんけど」
「ああ、それは嫁探しよ」
「は?」
今この人、なんて言った?
嫁? 誰が誰の!?
「女神を嫁に? つまり、色気が皆無なこの姫さんを娶るつもりか?」
本当に失礼極まりない鳥だな!?
確かに私に色気とかないけど! 成長しても発生する気が微塵もしないけど!! いくら事実だからって、世の中には言っていい事と言っちゃいけない事があるよね!?
……なんか言ってて死にたくなった。
「大丈夫よ、マリー。私はアンタを嫁にする気はないわ」
それ、なにが大丈夫なの!?
いや、私はレオンハルト様の嫁になるので、結果的にその方がいいんですけど。いいんですけどね? 傷口に塩を塗ってるの気付いてます!?
私の女としてのプライドは、ズッタズタだった。
誰かコイツらに天誅を食らわせて下さい。
引き攣った顔で、乾いた笑いを洩らす私を放置し、話は進む。
ヴォルフさん曰く。彼が女神を嫁に迎えようとしていたのは、クーア族の発展のためらしい。他国の新しい知識を取り入れて、更なる技術の向上を目指したんだろうな。
でも実際会ってみたら噂の女神は、色気のない私だったから諦めたと。いや違う、王女だったからだ、きっと、たぶん。そうに違いない。おい、そこ。可哀想とか言うな。
「確かにマリーは可愛いけど、アンタは『ただの可愛いお嫁さん』なんて器じゃない」
「え?」
虚を突かれ、私は俯けていた顔をあげる。真っ直ぐに私を見るヴォルフさんと、視線がかち合った。怖いくらい、真剣な目だった。
「ヴォルフさん……?」
「ねぇ、マリー。私が言うのもなんだけど、クーア族はお買い得だと思うわよ。知識は豊富だから、ちょっと珍しい薬も作れるし、腕も良いから治療も出来るわ。ちょっと人見知りで頑固で偏屈な奴が多いけど、まぁ、そこはご愛嬌って事で」
「は、はぁ……」
奇跡とまで呼ばれる一族を、『お買い得』なんて言葉で表していいものだろうか。軽いノリで言われても、なんて返したらいいか分からない。
というか、何が言いたいんだろう。ヴォルフさんの話の本筋が見えなくて、怪訝な顔をする私とは違い、何故かカラスは驚きと呆れが入り混じったような表情だった。
「確かにクーア族の知識と技術は素晴らしいです。現に私も、熱病の薬を譲って欲しくて、フランメまで来たんですから」
「あら、それなら丁度いいわね」
まさか、売ってくれるんだろうか。
予想もしていなかった好感触に、私は目を輝かせた。排他的な性質と聞いていただけに、簡単にはいかないと思っていたのに。
「どうせなら、クーア族ごと雇って欲しいんだけど」
「え?」
ぱちり、と瞬く私を眺め、ヴォルフさんはお手本のように綺麗な笑みを浮かべた。
「ローゼマリー・フォン・ヴェルファルト殿下。どうか、私達の主人になって頂けませんか?」
「……はい?」
脳の活動が停止した私の口から、やけに間の抜けた声が洩れた。
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