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転生王女の驚愕。

 


「…………」


 緩やかに意識が浮かび上がる。

 ぼんやりとした視界に、最初に飛び込んできたのは見慣れぬ天井だった。蔦模様の彫刻やフレスコ画、豪華絢爛な化粧漆喰などで装飾された城のものとは違う。色褪せた平天井に、黒い梁が等間隔に並ぶシンプルなデザイン。

 どこだろうと考えては見るが上手く頭が働かない。無意味に視線を彷徨わせていた私だったが、だんだんと思考回路が繋がり始める。そうして思い出したのは、護衛騎士の青褪めた顔。


「クラウス……っ、いったぁ……っ!?」


 飛び起きたのと同時に、鈍い痛みが襲う。私は頭を抱えながら呻いた。


 これは、あれだ。寝すぎた時のやつ。もしくは中途半端な時間に寝てしまった時の、片頭痛。

 指先で額を押さえながら、痛みをやり過ごす。脈打つような痛みが治まるのを待ってから、詰めていた息を吐き出した。


「クラウスなら、もう大丈夫よ。安心なさい」


 私が落ち着くタイミングを見計らったように、声がかけられる。室内をぐるりと見渡すが、誰もいない。こっち、と導かれた方向を向くと、開け放たれた窓の外、ひらひらと揺れる手が見える。私はソファーから身を起こし、窓辺に近付く。

 外を覗くと、見上げてくる蜂蜜色の瞳とかち合う。地面に座り込んだ青年は、外壁に凭れ掛かりながら海を眺めていた。


「ヴォルフさん」


「おはよう。お目覚めは、あんまり宜しくないみたいね」


 そう言って笑うヴォルフさんの顔にも、疲労の色が見て取れた。


「私、気を失ったんですか?」


「覚えてないの?」


「えーっと……多少は、ある? ような」


 話しながら記憶を辿っていたせいで、酷く歯切れの悪い言い方になってしまった。


 クラウスが意識を取り戻した後、自分は腰を抜かした。気が抜けたのか、立てなくなってしまったのだ。

 ヴォルフさんが言うには、私は彼に抱え上げられて別室に運ばれたらしい。飲み物をとりに席を外している間に、ソファーで眠ってたわ、と言われて頭痛が酷くなった気がする。


「死んだみたいに眠っているから、皆心配してたわよ」


「面目ありません……」


 私は項垂れた。

 重傷であるクラウスに集中していたが、他にも怪我人は多くいる。きっと皆、その治療に奔走していただろう。なのに一人だけ、呑気に寝こけていたとは。穴があったら入りたい。寧ろ自分で掘るから、誰か埋めて欲しい。


「なに萎れてんのよ」


「だって、皆の手当ても出来なかったし。助けてもらったのに、まだお礼も言ってません」


 クラウスを助けてくれたお医者様やミハイル。そしてミハイルを連れてきてくれたゲオルク。ビアンカ姐さんに、フローラさんやミアさん、船員さん達にも沢山助けてもらった。


「魔導師の兄さんには、ちゃんと言ってたわよ」


「え?」


「助け起こしにきた魔導師の兄さんの手を握って、ありがとうって繰り返してたじゃない。二人で泣き出して、どうしようかと思ったんだけど……」


 言われて、うっすらと記憶が蘇ってくる。

 紳士なミハイルは、腰を抜かした私を助け起こそうとしてくれた。でも私は伸ばされた手をガッチリと掴み、壊れた機械みたいに感謝の言葉を繰り返した。大きく見開かれた黒い瞳が、じわじわと潤む様子を覚えている。なに仕出かしてんだ、私。なんで恩人を泣かせているんだ。


「私に抱えられてからも、色んな人にお礼言ってたわね。すれ違う人達に泣きながら、ありがとう、ありがとうって」


 酔っぱらいか!? え、ちょっと待って。現実が受け止められないよ。

 それが本当なら、私かなりの醜態を晒してませんかね!?


「面白かったわよ。大の男共が、みんなして慌てふためいちゃって。情けなくて、見れたもんじゃなかったわ。アンタの知り合いの色男も、顔真っ赤にしちゃってねー」


「やめてください しんでしまいます……」


 私は真っ赤になった顔を両手で覆った。

 しゃがみ込んで小さくなった私の頭上から、楽しそうな笑い声が響く。


「アンタ、やっぱり王女様っぽくないわ」


 穏やかな声に、揶揄する響きはなかった。

 顔をあげて、指の隙間から上を見る。窓枠に頬杖をつき、身を乗り出しているヴォルフさんの目は、声同様に柔らかく優しかった。


 慈しむような眼差しに、強張っていた体の力が抜ける。

 ゆるゆると手を下ろし、私はヴォルフさんを見上げながら口を開いた。


「ヴォルフさん」


「ん?」


「ありがとう、ございました」


 ヴォルフさんより目線を低くする為、カーペットの上に正座して、背筋を伸ばす。膝の前に手をつき、指先と膝で三角形を作る。深々と頭を下げれば、ヴォルフさんは慌てたような声で私を呼んだ。


「ちょ、マリー! アンタ、なにしてんの!?」


「お礼を」


「そんなの見れば分かるわよ! そうじゃなくて、アンタは王女様なのよ!? 一介の薬師に頭を下げるなんて事、あっていいはずないでしょう!?」


「感謝の気持ちを表すのに、薬師も王女も関係ありませんよ。それに今は公的な場ではないし、いるのは貴方と私だけ」


「だとしても!」


「奇跡の一族、クーア」


「!」


 私の発した単語に、ヴォルフさんの目が大きく見開かれる。


「貴方がたは、外界と殆ど関わらない、謎に包まれた一族だと聞きました。正体を晒すのは最も忌避すべき事だったんじゃないですか?」


 膨大な知識と技術を持ちながらも、特定の雇用主を持たない一族。それはたぶん、私が想像するよりもずっと大変な事なのだ。


 有する知識を受け継いでいくだけならば、人と熱意があれば事足りる。しかし、更なる発展を望み、研究して研磨するならば、お金は必須だ。しかし彼らは、雇用主やスポンサーを募るでもなく、薬の値段を上げる事もしない。どこまでもストイックなあり方に、頭が下がる思いだ。

 それに、クーア族が拒否したところで、権力者達は簡単には諦めはしないだろう。地位と名誉を持つ人間は、往々にして自らの生に固執する傾向がある。彼らの知識と技術を、独り占めしようとする人間がいないとは限らない。


 人前で姿を晒さず、村の位置すら秘匿する理由は、きっと一族の伝統を護るためだけではない。


「見ないふりで通す事も出来たのに、貴方は正体を知られる危険を承知しながらも、クラウスを救うために全力を尽くしてくれた。その誠意と真心に、敬意と感謝を。私の大切な仲間を救って下さって、ありがとうございます」


 もう一度、深く頭を下げる。

 しん、とその場に沈黙が落ちた。遠い喧騒と潮騒だけが、静かな空間に響く。穏やかな静寂を打ち破ったのは、長い長い溜息だった。


「……?」


 呆れさせてしまっただろうか。疑問を確認すべく顔をあげた私が見たのは、窓枠に突っ伏したヴォルフさんの姿。


「ヴォルフさん?」


「止めてよ。私はアンタに感謝されるような、立派な人間じゃないわ」


 組んだ腕から僅かに顔をあげたヴォルフさんは、苦々しい声でそう言った。浮かべた苦笑は、自嘲の色が混ざり込んでいるように見える。


「侍女の子が倒れた時も、船員が腕を折った時も、アンタに押し付けていたの、覚えてるでしょう?」


「それは、正体を隠していたんだから仕方ないですよ。それにもし私が無理だと言ったら、自分で手当てをするつもりだったんですよね?」


 確かにヴォルフさんは、ミアさんの時もクルトさんの時も、治療を私に託した。でも私が出来ないと言えば、代わるつもりだったと思う。それは推測というより確信に近い。


「私は! アンタを試していたの! 分かる!?」


「私を?」


 ヴォルフさんの言葉に、私は目を丸くした。

 なんで? と単純な疑問が浮かぶ。そんな事をして、一体彼になんの得があるんだろう。私の疑問を読み取ったかのように、彼は話し出した。


「私は噂の女神に会うために、ネーベルに立ち寄ったのよ」


 暫く港で情報収集をしていたヴォルフさんは、女神に縁のあるアイゲル家の次男、ユリウス・ツー・アイゲルの船が出港する事を知ったらしい。


「一度帰る必要もあったから乗船してみたら偶然にも、女神じゃないかと噂されている女の子が乗っているっていうじゃない。なんて幸運なんだろうって思ったわ。まぁ、すぐに違うってのは分かったけれど」


 フローラ嬢を『違う』と判断したヴォルフさんは、次の旅の時に探そうと意識を切り替えたそうだ。しかし厨房で私を見つけ、これはもしやと思ったらしい。


「髪の色が違ったはずですが」


「そうね。でも気になったの。それに、アンタが女神じゃなくても良かったのよ。私の探しものは女神だけじゃなかったから」


 別の探しもの?

 視線で問うと、ヴォルフさんは何故か、くしゃりと顔を歪めた。余裕ある表情がデフォルトである彼らしくもなく、頼りなげな表情。まるで叱られる前の子供みたいだ。

 だから、問い詰めることは出来なくなった。私はかわりに、別の言葉を口に出す。


「……私は、貴方の期待に少しは応えられたでしょうか?」


 へらりと笑いながら、問う。馬鹿言ってんじゃないわよ、とヴォルフさんが軽口を叩いてくれるのを期待して。

 しかし予想に反し、彼の表情は余計に辛そうなものとなる。弱りきった顔で、ぐしゃりと前髪を掻き毟った。


「少しどころじゃないわ。本当、アンタなんなの? どうして王女様なわけ? 権力を持っているのは大変結構だけど、もう少し下の身分に生まれて欲しかったわ」


 シェークスピアの傑作、ロミオとジュリエットのセリフが頭に浮かぶ。しかし彼の口調には、愛を語る甘さは微塵もない。何故か糾弾されているかのような心地になった。


「もしくは王女様なら王女様らしく、もっと尊大に振る舞いなさいよ。アンタが甘やかされたお姫様らしく、無知で脆弱で傲慢だったら……別の人間を探せたのに。良識のある金持ちなんていくらでもいるって、割り切れたのに」


「ヴォルフさん……?」


 ヴォルフさんが何を言いたいのか、全く分からない。

 戸惑う私を、彼はじっと見つめた。


「……ねえ、マリー」


 彼の大きな手が伸びてきて、私の手首を掴む。

 彼の意図するところが、更に分からなくなって、私の戸惑いは大きくなった。


「アンタ、これから自分がどうなると思う?」


「えっと……王女だと明かしてしまった事ですし、フランメの王宮に連れて行かれて、その後は強制送還ですかね」


 穏便な言い方をすれば『歓待された後に送り届けられる』だろうが、実質的には大差ない。

 目標であるクーア族に会えたが、交渉している時間はない。クーア族だと一部にバレてしまっている事を考慮すれば、ヴォルフさんをこれ以上足止めするのも無理だろう。

 私は、なんの成果も得られぬまま、帰国する。


「もう一度、来る事は?」


「無理でしょうね……。城を出るのすら難しいかもしれません」


 あの父様が、失敗した娘に二度目のチャンスをくれるとは思えない。

 苦笑しながら呟けば、ヴォルフさんは長い溜息を吐き出す。ゆっくりと瞬きを一つ。こちらを見据えた彼の表情は、驚く程に真剣だった。


「そう。……なら、仕方ないわね」


「え? っ、て……なに!?」


 視界が反転する。窓越しの空を見上げていた私の目に、今度は地面が映った。

 体を引き起こされ、そのままの勢いで肩に担がれたらしい。ヴォルフさんは脇に置いてあった荷物を掴み、外套を乱雑に私に被せる。


 裏口から抜け、人通りのない階段を下りていくヴォルフさんの足取りに迷いはない。


「え、なに? これ、なんなんです!?」


 なんで私、運ばれているの!?

 ていうか、何処にいくの!?


 疑問だらけで混乱している私を見上げ、ヴォルフさんは片目を瞑ってみせた。


「ちょっと私に攫われてくれる?」


「……は?」


 呆然とした声が、口から洩れた。

 何を言ってるんだろう、この人。


 .

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