転生王女の船旅。(3)
ゲオルクが私の依頼で、薬を探しにフランメへと旅立って、もう一ヶ月以上経つ。しかも、まだ帰れる目処は立たない。
フローラ嬢は、そんなゲオルクを追いかけて来たか、もしくは会いに来たのだろうか。
もしそうだとしたら、恋する乙女のバイタリティ凄い。
「マリー。考え事をしていないで、ちゃんと前を見ろ」
考えこむ私に、クラウスは苦い声で注意を促す。
「もう、どこぞのボンボンの事は忘れなさい」
「……はーい」
もうちょっと他に言い方はなかったんだろうか、と引っかかりを覚えつつも、私は頷いた。今、フローラ嬢の目的が判明したところで、私にはどうする事も出来ない。
取り敢えず、目先の事に集中しよう。
まずは、この水。どうしようか。
「ねぇ、兄さん。これ、厨房に……」
「おーい、嬢ちゃん!」
クラウスを見上げ、話しかけた私の声に、別の声が被せられた。見ると、男性が階段を下りてきたところだった。
「?」
嬢ちゃん、とは私のことだろうか。
立ち止まって待つ私に駆け寄ってきたのは、甲板にいた船乗りだった。
彼は、腰をおって私へと顔を近付ける。浅黒い肌に、硬そうな赤銅色の髪。同色の瞳は眼光鋭く、気弱な人なら目を合わせる事もできなそうだ。年齢は、三十半ばくらいだろうか。
大柄で屈強な男性に上から覗き込まれると、威圧感が半端ない。
思わず固まった私を眺め、彼は、意外なほど人懐っこい笑顔を浮かべた。
「ありがとな、嬢ちゃん」
「……え?」
思いがけない言葉に、私は目を丸くした。
なんでお礼を言われたんだろう。首を傾げると、船乗りは笑みを苦笑に変える。
「あの我侭姫さんに、水を無駄にすんなって言ってくれたろ」
船乗りはバツが悪そうな顔で、頬を掻く。
「本来ならオレらが言わなきゃならねえ事を、代わりに言わせちまってスマンな」
「いいえ!」
私は慌てて、首を横に振った。
「考えなしに飛び出してしまって……寧ろ、ご迷惑をおかけしてしまったんじゃないでしょうか?」
場の空気を凍りつかせた自覚はある。
きっと心配もかけてしまっただろうし、お礼や謝罪なんて受け取れる立場ではない。
「そんな事はねえよ。嬢ちゃんが言わなかったら、もっと険悪な空気になっていただろうさ」
俯きかけた私の頭を、大きな手が撫でる。
「嬢ちゃんは勇敢で、優しい子だ。兄ちゃんもさぞ、鼻が高いだろう」
「自慢の妹です。……ただ行動力がありすぎるので、目が離せません」
話を振られたクラウスは、苦い顔でそう言った。
思い当たる節がありすぎるので、同様に苦い顔となった私とは対照的に、船乗りは破顔し、快活な笑い声をあげた。
「仲良い兄妹だな」
「ええ」
「そうですかね……?」
笑顔で頷くクラウスと、微妙な顔をした私。同時に真逆の反応をした私達を見比べ、船乗りは、本当に仲良しだな、と微笑ましそうに言った。
「オレはパウルという。アンタらの名前を聞いてもいいかい?」
そう問われ、私達は互いに自己紹介する事となった。
船乗り改めパウルさんは、この船で、主に厨房を取り仕切っているらしい。
丁度良かったので、パウルさんに水を託そうとしたら、何故か厨房に案内される事となった。
厨房は思ったよりも狭かった。調理器具や、積み上げられた食材が場所をとっているから、余計そう感じるのかもしれない。
中にいた二人の船員は、入ってきた私を見て目を丸くする。彼等は、説明を求めるようにパウルさんを見た。
「どうしました、パウルさん。随分可愛らしいお客さんが一緒じゃないですか」
「どこに行ったかと思えば、ナンパか」
「素晴らしい成果だろ。もっと褒め称えていいぞ!」
「うっせえ馬鹿! クソ忙しいんだから、さっさと仕事に戻れ!」
胸を張ったパウルさんに向け、罵声と共に前掛けが投げ付けられた。
「分かってるっつーの。ただその前に……あれ? オレの林檎どこいった?」
難なくキャッチしたパウルさんは、それを小脇に抱えたまま、近くの樽を漁る。
「ああ。お前が女神様に献上するとか言って、買ってたやつな」
「オレが食べました」
「何で!? ヤンなら兎も角、クルトが!?」
オレなら兎も角ってなんだ、と小柄な男性が憮然とする。たぶん彼が、ヤンさんなんだろう。
「だって、あんなワガママ女が、女神様なはずありませんもん。あんなのに食べさせるくらいなら、オレに食べられた方が林檎だって幸せってものですよ」
親指を突き出した金髪の青年……クルトさんは、いい笑顔のまま毒を吐いた。
そんな彼を、ヤンさんが呆れ顔で見る。
「噂と現実がかけ離れているっつーのは、よくある事だろ。お前は夢を見過ぎなんだよ、クルト」
「違います。女神様は絶対、別にいるんです! もっと謙虚で大人しくて、心優しい姫君が、どこかにいるんですよ」
あっ。もう絶対、名乗り出られないやつやコレ。
遠い目をした私は、そう悟った。
女神の名が一人歩きしていて私とは、かけ離れた存在になりつつある。一度ならず二度までも、彼の夢を壊してはいけない。
というか、フローラ嬢は一体何をしたんだろうか。
さっき甲板にいなかった彼等にまで、悪い印象を与えてしまっているようだ。
「お前ら、客の前で止めろ」
言い合いを始めた二人を宥めながら、パウルさんはガリガリと頭を掻いた。
「つか、オレの林檎……。せっかく嬢ちゃんに献上しようと思ったのによぉ」
「えっ」
パウルさんの呟きに、クルトさんが青褪める。
「すまねえな、嬢ちゃん。わざわざ厨房まで連れ回しておいて、無駄足になっちまった」
「そんな、気にしないで下さい。それより、お忙しいんでしたら、手伝いましょうか?」
「有り難いが、そこまでさせられねえよ。上で兄ちゃんと一緒に、ゆっくり景色でも楽しんでくれや」
樽一杯の芋や人参を眺めながら申し出るが、やんわりと拒否されてしまった。
絶対、人手足りてないと思うんだけど……。皮剥きくらいなら、私にも出来るんだけどな。
「……よければ、ここにいさせて貰えませんか?」
隣でずっと無言を貫いていたクラウスが、何かを思いついたように顔をあげる。
クラウスの意外な言葉に、私は目を丸くして彼を見上げた。
「なるべく、妹とあの女性を関わらせたくないんです」
「部屋でゆっくりするとかじゃ駄目なのか?」
「残念ながらオレの妹は、じっとしていられない性分でして」
「ああ、なるほど!」
パウルさんは、合点がいったと手を打った。
そこで納得されるのは若干納得がいかないけれど、自分の行動を振り返れば、否定する言葉も見つからない。
実際、クラウスと二人きりで部屋に閉じこもるなんて嫌だし。暇を持て余すくらいなら、仕事を与えてもらった方が嬉しい。
「じゃあ、お願いできるか?」
「はい、是非」
「オレも手伝います」
笑顔で頷く私の隣で、クラウスが付け足す。
「兄さんは大人しくしていて頂戴」
余計な事はするなと睨めば、クラウスは目を丸くした。
何故そんな事を言われたか分からない、と言わんばかりの顔に脱力しそうになる。
どれだけ自分が料理下手か、まだ分かっていないのか。この男は……。
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