転生王女の船旅。(2)
テンプレだ。テンプレな我侭お嬢様がいる。
呆れつつも妙な感動を覚えている私の横を、戻ってきた侍女が通り過ぎた。
「フローラ様、レモン水を持って参りました!」
息せき切った彼女の手には、ピッチャーとグラス。
ピッチャーをなみなみと満たす水の中には、輪切りにスライスされたレモンが浮かぶ。私の近くに立つ船乗りは、それを見て眉根を顰めた。
言うまでもないことだが、船旅に置いて真水は貴重である。もちろん、果物も同様だ。飲むなとは言わないが、節約して欲しいというところだろうか。
今回の航海は、大海を横断するような大規模なものではないが、だからと言って資源を無駄遣いしていいという事ではない。備えあれば憂いなし。いつ何時、何が起こるか分からないのだから。
しかし船乗りは渋面を浮かべながらも、直接文句を言うことはなかった。ボソリと呟かれた『女神でなけりゃ』の一言に、背筋を嫌な汗が伝う。
もしかして、勘違いのせいで強く出られないんだろうか。『海のしずく』の恩恵を受ける身だからと、我慢してくれている感じ?
ど、どうしよう……。
っていっても、どうすることも出来ないんだけど。今更、私が開発者の女神(笑)ですー、なんて名乗り出るのも無理だし嫌だ。それ、なんて罰ゲーム。
「時間がかかった割に、レモン水? 面白みがないわね」
「も、申し訳ありません」
「まぁ、いいわ。さっさと注ぎなさい」
フローラ嬢は、音をたてて扇を閉じ、尊大に言い放つ。侍女は慌ててグラスを手渡し、レモン水を注いだ。
礼も言わずに口をつけたフローラ嬢は、柳眉をつり上げる。
「なによこれ! 温いじゃない!」
そりゃあ、そうですよ。氷室、ないって言ったじゃない。
心の中で突っ込みをいれつつ、ハラハラと見守る私の前で、フローラ嬢はグラスを侍女に押し付けた。
「いらないわよ、こんなもの!」
待って。いや、うん、待って。
どうしてそんなに、周囲の目を気にせずに振る舞えるのかな。私の方が、嫌な汗出っぱなしなんだけど?
「えっ。……で、では、これは、どうしたら?」
「捨てなさいよ!」
その一言に、周囲が殺気立つのが分かった。
船乗りは冷たい目で舌打ちし、私の隣にいたクラウスの表情が抜け落ちる。離れた場所にいる乗客らしき男性も、厳しい表情を浮かべていた。
「ですが……」
「捨てろと私が言っているの! 聞こえないの!?」
やめてぇえええ! お願いだからもう黙ってええええ!
「待って下さい!」
もう黙っては、いられなかった。
駆け寄った私に、フローラ嬢の目が向けられる。彼女の青灰色の瞳が私を映し、不愉快そうに歪められた。
「なに、貴方」
「えっと……その」
衝動的に飛び出してしまったが、よく考えたら失敗だった。凄く目立っちゃってる。
吃る私を眺め、フローラ嬢は目を眇める。
「身なりからして、庶民よね。私に直接声をかけるなんて、無礼だと思わないの」
「……申し訳ありません。ですが、お水は貴重です。捨てるくらいなら、頂けませんか」
「まぁ! なんて卑しい。捨てるものを欲しがるなんて、恥を知りなさい」
閉じていた扇を開き、口元へとあてたフローラ嬢は、まるで汚いものを見るかのような目で私を見る。
酷い言われようだなぁ……。
口元が引き攣りそうになりながらも、笑顔で乗り切ろうとしている私の手を、誰かが背後から引いた。
とん、と後頭部が、硬い何かに軽くぶつかる。
「もういい。おいで、マリー」
感情を無理矢理押し殺したような、低い声が耳朶を打つ。嫌な予感を覚えつつ顔を上げれば、綺麗な笑みを浮かべたクラウスと目が合う。
形の良い唇は弧を描いているのに、目は冷えきって氷のようだった。
わぁ。逃げたい。
「あんまり無茶をしないでくれ。オレの心臓が持たない」
「ご、ごめんなさい……?」
抱き寄せられた姿勢のまま、頭を撫でられる。
なんか近くない!?
周囲には見えないよう、さり気なく肘でクラウスの腹を押し、離れろと目で訴える。しかし笑顔のクラウスは、がっちりと私の肩を掴んだまま。
嫌がらせか。一人で突っ走った私への嫌がらせなのか、これ。
「あの……貴方は?」
地味な攻防を繰り広げていると、声がかけられる。
視線をそちらへ向けると、フローラ嬢がデッキチェアから立ち上がっていた。さっきまで不愉快そうに眇めていた目は潤み、頬は薄く色づいている。
フローラ嬢の視線は、彼女の態度の変わりように戸惑う私ではなく、クラウスのみに向けられていた。
なんでそんな熱心にクラウスを見つめているんだろうか。
首を傾げて考える事、十数秒。そこで私はようやく思い出す。クラウスは、容姿だけなら一級品。乙女が理想とする爽やか美青年である事を。
整った容姿であっても補いきれない残念な中身のせいで、忘れそうになるけど。
「お気になさらず。ただの庶民ですから」
にっこりと笑み、クラウスは毒を吐く。
庶民、のところを強調して言うクラウスに、私は呆れた。
分かり易い嫌味をぶつけられ、フローラ嬢は一瞬固まる。しかしすぐに言葉の意味を理解したらしく、再び赤面した。但し今度は、照れや憧れではなく、羞恥と怒り故に。
「あらそう! 育ちが良さそうだから声をかけたのだけれど、損をしたわ」
「ええ、そうですね。時間を無駄にしてしまって申し訳ありません」
「っ!」
なんで煽るかな!?
青褪める私に気付いているだろうに、クラウスは態度を軟化させる様子もない。どうやら、大分怒っていたようだ。
「……さっさと何処かへ行きなさいよ!」
「言われずとも。ああ、そうだ。その前に、水を頂けますか? いらないのでしょう?」
「勝手にすれば!?」
柳眉をつり上げたフローラ嬢は、苛立たしげに吐き捨てる。
ことの成り行きについていけずに戸惑う侍女は、フローラ嬢と私達とを交互に見た後、ピッチャーとグラスを私に手渡してくれた。
「ありがとうございます。では、行こうか」
受け取ったのを確認するなり、クラウスは強引に私の体を方向転換させる。
背を押す手に込められた力に、これ以上ここには留まらせないというクラウスの、確固たる意志を感じた。
「何よ。少しばかり格好いいからって調子にのって……やっぱり、ゲオルク様の方がずっと素敵だわ」
背後から聞こえた、負け惜しみのような呟きに、思わず振り返る。
しかしクラウスは、足を止めてはくれない。肩を掴む手も外れず、私は半ば強制的に退去させられた。
「ちょっと兄さん! 今、彼女が言った名前って……」
「気にするな。お前には関係のない話だ」
「え、いや、うん。確かに直接的には関係ないけどね。でも」
「お前には関係のない話だ」
「何故二回言った」
頑なに私を戻らせまいとするクラウスを一瞥し、私は嘆息する。
背を押され、惰性的に歩きながら考えた。
もしかしてフローラ嬢の目的って、ゲオルクだったりする?
.




