転生王女の船旅。
「……随分とご機嫌ですね」
割り当てられた船室で荷物整理をしていると、背後から声をかけられた。
言われて初めて、自分が鼻歌をうたっていた事に気付く。確かに、かなり浮かれていたみたいだ。
「良いことがあったから」
「へぇ……」
照れもせずに言い放つと、男の声が一段階低くなった。
手にとっていた荷物を置き、肩越しに振り返る。壁に凭れかかっているクラウスは、渋面を浮かべていた。
不機嫌なオーラを撒き散らしながら、ブツブツと独り言を呟く。次こそは膝をつかせてやるとか、なんとか。
意味は分からないが、嫌な予感しかしないので触れないでおこうと思う。
「ところで、兄さん。何度も言うようだけど、口調」
「……部屋の中くらいは、許して頂けませんか」
指摘すると、クラウスは言葉に詰まった。
叱られた子供のように眉を下げた彼が言うには、私にタメ口を利く事は、結構なストレスらしい。
「任務とはいえ、敬愛する御方に無礼な口を利かねばならないなんて、一体何の試練でしょう。貴方様への忠誠心を、試されているような心地になります」
「気のせいだから」
切々と語るクラウスを、一蹴した。
真顔でそんな事を訴えてられても困る。
「どうか……どうかお許し下さい」
軽く突き放しても、クラウスはめげなかった。
切なげに眉を寄せ、懇願する。
沈黙が数十秒続き、先に音を上げたのは私の方だった。
「……まぁ、外でボロを出さないと約束出来るなら」
しかたない、と私は胸中で呟く。
部屋は狭いながらも個室で、他の客はいない。壁の薄さは気になるところだが、隣は貨物室だった。あとは、室内と外との切り替えさえ気をつければ問題はないだろう。
本当ならタメ口が素となる位、慣れておいて欲しいところではあるが、ストレスを与えすぎて爆発されても困るし。
「ありがとうございます!」
クラウスは、精悍な美貌に、喜色満面の笑みを浮かべた。
子供のような邪気のない顔で笑われると、いつもみたいに冷たくあしらうのも躊躇われる。苦笑を浮かべた私は、溜息を一つ吐き出してから荷物整理へと戻った。
「……あ、そうだ」
一つ一つ、丁寧に荷を取り出していた手を止める。
筒状に丸めた紙を取り出し、クラウスへと差し出した。
「これは?」
受け取りながら問うクラウスに、『フランメから』とだけ告げる。察しの良い彼には、それだけで伝わったらしく、表情が引き締まった。
クラウスが無言のまま読み始めたのは、ゲオルクからの手紙だ。出立直前に届いた、最新の報告書である。
港町や山間の村で、地道に聞き込みを続けていたゲオルクとミハイルは、重要な情報を手に入れたようだ。
フランメの南西にある山脈のどこかに、とある一族が暮らす村があるらしい。彼等は山深くに住み、薬草を育て、質の良い薬を作る。その名を『クーア』。
「薬師の一族ですか。かなり有力な手がかりですね」
文章を目で追いながら、クラウスが呟く。
「そうね。でも大分、手古摺っているみたい」
クーアという一族が、私が探している薬の情報を持っている可能性は高い。
ゲオルクもそう考え、調査の対象をクーア族に絞った。しかし、そこからが難航しているらしい。
クーア族は、外界との関わりを殆ど持たない。
薬を売るため、定期的に下山してくるが、顔を隠し、最低限しか口を利かないそうだ。彼等の持つ薬学の知識と薬の良質さを認め、雇用契約を結びたいと申し出た大商人や貴族も、素気無く振られたらしい。
排他的なクーア族は、余所者の介入を嫌う。故に彼等の住む村の位置すら、知る人間は殆どいない。
「私達が追い付くまでに、少しは進展していればいいのですが……難しいでしょうね」
眉間にシワを寄せたクラウスの言葉に、私は頷いた。
「まぁ、どちらにせよ、船の上の私達に出来ることはないわ。今は目の前の事に集中しましょう」
荷物を一通り片付け終えた私は、立ち上がる。
「どちらへ」
「船内と甲板を見ておきたいわ。何処に何があるのか、把握しておきたいの。もちろん、乗船者もね」
「かしこまりました」
ドアノブに手をかけたところで立ち止まり、私は肩越しに振り返る。
「しっかりしてね。兄さん」
切り替えろよ、と目で訴える。
「ああ。行こうか」
瞬きを一つで忠実な騎士は、優しい兄の顔に変わる。
柔らかな声で促された私は、扉を開けて歩き出した。
「結構、綺麗に整えられているんだな」
甲板を目指している途中、クラウスが口を開いた。
自由に行ける場所は一通り巡り終えたが、彼の言う通り、船内は清潔に保たれている。予想に反して、というのは失礼だが、正直もっと雑然としているイメージだった。
「新しい船ではないけれど、大切にされているみたいね」
こつ、と靴底で床を踏みしめた。年季の入った床板だが、丁寧に磨かれているため、艶がある。
厨房の前も通って来たが、目立った汚れはなく、悪臭もしなかった。掃除が行き届いている船は、好感が持てる。
貨物も整然と積み上げられ、崩れないようキチンと固定してあった。
通路は狭いが、荷物や道具類で塞いである場所はなかったし。緊急時も、乗船者が混乱さえしていなければ、逃げ遅れることはないだろう。
「船員さんも気さくで親切だし。良い船だわ」
さすが、ユリウス様が推薦して下さった船だと胸中で呟きながら、階段を上る。
「暑いわ!」
「!?」
階段を上り終え、甲板を踏みしめたと同時に怒声が飛んできた。
目を丸くして、周囲を見渡すが、私へ向いている視線はない。どうやらその声は、私へと向けられたものではないらしい。
甲板にいた船員や乗客の視線を辿ると、とある一団へと辿り着く。
「冷たいものを、早く持って来て頂戴!」
苛立ちを隠しもしない声でそう命じるのは、船乗りに『女神』と呼ばれていた美少女だった。
侍従の差す日傘の下、デッキチェアに腰掛けた彼女は、侍女らしき若い女性を睥睨する。
「で、ですがフローラ様。ここには氷室もございませんし、その、どうしたら……?」
「私に聞かないで、それくらい自分で考えなさいよ!」
「は、はいっ」
美少女……フローラ嬢に怒鳴りつけられ、侍女は泣きそうな顔で頷き、踵を返して走りだした。
「使えない子ね。気が利かないったらないわ」
「後ほど注意しておきますので、どうかお許しになって下さい」
レース製の華美な扇で己を扇ぎながら毒づくフローラ嬢を、侍従の男が宥める。
「わぁ……」
その光景を呆然と見守っていた私の口から、意識しないまま、呻くような声が洩れる。
「とんでもないな……アレのどこが女神なんだ」
隣に立つクラウスは、呆れを隠しもしない声で呟いた。後半は、隣にいた私にしか聞こえないような、小さな声で。
失礼な事を言うなとか、言動に気をつけろとか、窘めるべきなのかもしれない。が、ちょっとだけ同意したい気持ちになる。
「早くなさい!」
春と花を司る女神と同じ名を持つ少女は、高圧的に言い放った。
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