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転生王女の出立。(2)

 


 なんでビアンカ姐さんがここにいるの!?


 唖然としていた私だったが、すぐに我に返った。

 乗船手続きを手早く終え、タラップ代わりの木の板を渡って、ビアンカ姐さんへと駆け寄る。

 船へ渡り終えた瞬間に、待ち受けていた腕に抱き締められた。


「うゎ、ぷ……!」


「久しぶりね! 会いたかったわ、マリーちゃん!」


「ビ、ビアンカさん、苦しい」


「あ、ごめんなさい! つい嬉しくて……」


 図らずも豊満な胸に顔を埋める形になってしまった私は、軽く腕を叩いて息苦しさを訴える。するとビアンカ姐さんは、慌てて拘束を解いてくれた。


「今日も変わらず可愛い……あら?」


 満面の笑みで私を覗き込んでいたビアンカ姐さんは、何かに気付いたように言葉を途切れさせる。

 少し体を離し、私の全身をまじまじと眺めたあと、彼女は小首を傾げた。


「マリーちゃん、こないだと感じが少し違うのね?」


「……ええ、まあ」


 感じが少し違う、というレベルなんだな……私の変装。

 結構頑張ったつもりでいただけに、ショックも大きい。髪型も服装も、髪の色だって違うのに。そんなもんか。そんなもんなのか。


 歯切れの悪い私をどう思ったのか、ビアンカ姐さんは、暫し考える素振りを見せた。そして、私に顔をよせ、耳元で小さく呟く。


「もしかして、お忍び?」


「えっ!?」


 勢い良く顔を上げる。

 まさか、王女だとバレていたのだろうかと、冷や汗が浮かぶ。


「なんで……」


「やっぱり? マリーちゃん、育ちが良さそうだし。良家のお嬢様なんだろうなって思っていたんだけど、当たりね」


 ビアンカ姐さんは、悪戯が成功した子供のような顔で笑い、小声でそう言った。


 どうやら、王女であることはバレてはいないらしい。

 私はこっそりと、安堵の息を零した。


「あ。……だとしたら、ごめんなさい。名前を大声で呼んでしまって、目立ったわよね」


「大丈夫ですよ」


 しゅん、と萎れたビアンカ姐さんの言葉に、頭を振る。


「この辺りに知人がいる可能性も低いですし、変装っていっても、念のため程度のものです。現に、ビアンカさんには、すぐバレてしまったようですしね」


 苦笑を浮かべて、頬をかく。

 するとビアンカ姐さんは、目を丸くした。


「雰囲気は大分変わっているわよ? 私も初めは、マリーちゃんだとは思わなかったし」


「え? そうなんですか?」


「ええ。物凄く好み……じゃなくて、すごく可愛い子が歩いているなぁって見ていたら、マリーちゃんだって気付いただけ」


 不穏な言葉が聞こえたような気がするけど、聞き間違いだろうか。なんでだか、寒気がする。

 本能が命ずるままに、至近距離で色っぽく微笑むビアンカ姐さんから一歩後退した。


「わ!?」


 後ろから伸びてきた腕に、引っ張られる。

 バランスを崩して倒れかけたが、ぼす、と逞しい胸板に受け止められた。


「マリー。そろそろ荷物を置いて来たいんだが」


「……兄さん」


 私を引っ張った犯人は、クラウスだった。唇は笑みを形作っているが、上から覗き込んでくる翠の瞳は、不機嫌そうに歪められている。


 やっべ。存在忘れてましたわ。


「お兄さん? マリーちゃんの?」


「あ、はい。兄の……」


「クラウスです。妹がお世話になっております」


 私の言葉を引き継いで、クラウスはニッコリとお手本のような笑みを浮かべた。

 なんとも胡散臭い笑顔だが、たぶんクラウスをよく知らない人から見れば、爽やか好青年スマイルに見えるんだろう。


 ビアンカ姐さんも騙されるんだろうか、と複雑な気持ちになりながら顔をあげる。

 しかし私の予想を裏切って、ビアンカ姐さんはクラウスに見惚れていなかった。それどころか、彼女の柳眉が僅かに顰められているように見えるんだけど、気のせいだろうか。


「ビアンカよ」


 微妙な顔付きのまま、ビアンカ姐さんは簡潔な自己紹介をする。

 姓を省いたのは、貴族だと周囲に知られないためだろうが、それを差し引いても素っ気なさ過ぎると思う。


 腕組みをしたビアンカ姐さんは、値踏みするような目でクラウスを繁々と眺めた。


「……お兄さんは、あんまりマリーちゃんと似ていないのね」


「はい。私は母似で兄は父似なんです」


 似ていないと言われるのは想定内だったので、用意してあった答えを返す。

 ビアンカ姐さんは、ふぅん、と納得出来ていない表情で頷いた。


「マリー、そろそろ行こうか」


「あ、うん。じゃあ、ビアンカさん……」


「引き止めてしまって、ごめんなさい。またね」


 ひらひらと手を振るビアンカ姐さんに手を振り返してから、クラウスに促されるまま、歩き出す。


「なんですか、あの女。馴れ馴れしい」


 船室へと向かう途中、クラウスは、ぼそりと小さな声で呟く。


「兄さん、口調」


 横に並んで歩くクラウスの腕に軽くパンチして、猫を被りなおせと命じる。

 周囲に人はいないが、気を抜かないで欲しい。


「お前を見る目がおかしい。アレは変質者の目だ」


 お前が言うな。


「見かけに騙されては駄目だぞ。いくら顔が良くても、中身は碌なものではない」


 お前が言うな。


 どう考えてもブーメラン。だというのに本人は気付く素振りもなし。

 くどくどと続くクラウスの話を聞き流しながら、私は歩いていた。


「!」


 ぐら、と足元が揺れ、咄嗟に近くの壁に手をつく。


「出港するようだ」


 どうやら立ち眩みではないらしい。

 視線を港へと向けると、クラウスの言葉通り、船が動き始めている。

 さり気なく支えてくれていたクラウスから離れ、手摺に掴まる。下を覗き込むと、港から船が少しずつ離れていっていた。


 桟橋から手を振る見送りの人達の姿が、だんだんと小さくなる。

 身を乗り出せば、潮風が強く吹き付け、細かい飛沫が頬にかかった。


「…………いよいよだ」


 小さな声で、独り言を呟く。


 ここから、私の初めての旅が始まる。

 そう思えば、手すりを掴む指に、自然と力が入った。


 またこの景色を見られるのは、いつになるだろう。

 私はちゃんと、目的を果たせるだろうか。胸を張って、帰ってこれるかな。


「……、……?」


 不安を振り切るように首を振り、目の前の景色へと集中する。

 港町の全景を目に焼き付けようと、端から端まで見渡していた私は、ふと動きを止めた。港町の西側にある高台に、一つ。人影がある。

 見送りだろうか。青毛馬の手綱を引くその人は、外套を被っているため、女性か男性かも分からない。


 つい気になって、その人を目で追ってしまう。

 西へ向かう船は丁度、その高台の横を通り過ぎる。顔は見れるだろうか。そんな私の考えを見透かすかのように、その人は外套のフード部分をバサリと落とした。


 外套からこぼれ落ちた黒髪が、風に靡く。鋭い眼光を放つ漆黒の双眸は、真っ直ぐに私へと向けられていた。


「……!!」


 私はその姿を見て、息を呑む。

 自分の見たものが信じられなくて、見間違いではないかと己に問いかけた。


 違う、そんな訳ない。都合のいい方に考えては、駄目よ。

 そうやって冷静になろうとするが、心は裏切って、歓喜を叫ぶ。


 レオンさま。

 小さく呟いた私の目尻から、一粒の涙が零れ落ちた。


「…………、」


 嬉しくて、嬉しすぎて、言葉に出来ない。噛み締めた唇からは声ではなく、嗚咽みたいな音が洩れるばかりだ。


 見送りに来てくれた。

 来なくていいって言ったのは私なのに。来てくれたことが、嬉しくて堪らない。レオンハルト様が好き過ぎて、胸が苦しかった。


 勝手に流れ落ちる涙を拭い、私は無理やり笑顔を浮かべる。

 暫く会えなくなるのに、泣き顔で別れたくはない。


「……頑張ってきますね」


 ひらり、と一度だけ手を振る。

 するとレオンハルト様は、その場に跪いて頭を垂れた。


『お帰りを、お待ちしております』


 もちろん、声が届く距離ではない。

 けれど、そんなレオンハルト様の声が聞こえた気がした。


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