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転生王女の支度。

 


「このくらいの色で、どうでしょう」


 細い指が、私の髪を梳く。視線を上げると、磨かれて曇りのない鏡越し、私の背後に立つ美女と目が合った。

 右目に銀縁のモノクルをかけた女性は、鏡に映る私を眺めながら言葉を続ける。


「ベールマー殿の髪色より少し暗く致しましたが、姫様は髪質が柔らかいので、陽の下ですと同じくらいに見えるはずですわ」


 鏡に映る私の髪は、クラウスより少し濃いダークブラウンに染まっていた。


 見慣れているはずの顔が一瞬、別人のもののように見える。

 髪の色一つで、大分印象が変わるものだと感心しつつ、私は頷いた。


「ありがとうございます。イリーネ様」


「いいえ、こちらこそ。実験へのご協力、感謝致します」


 カットクロス代わりにしていた布を取り払い、折り畳んでいたイリーネ様は、そう言って微笑んだ。


 実験という言葉が指し示すように、私の髪をダークブラウンにした染料は、イリーネ様の発明品だったりする。


 勿論この世界にも、ヘナやインディゴなど、既存の染料は存在する。でも、それらは色が定着するまでに五時間もかかり、更に一度染めたら落ちないという、安易に手を出せない代物だ。臭いも凄いしね。

 その点イリーネ様の発明品は、染めるのにかかる時間は三十分程度。しかも、洗い落とす事が可能である。


「色を落とす時は、湯を使って下さいね。水では落ちませんので」


「それは助かります。波がかかって落ちたらどうしようかと思っていたんですよ」


 染料入りの瓶を受け取りながら言うと、イリーネ様は苦く笑う。


「髪の色よりも、貴方様が落ちる方が困ります。波のかからない室内で、大人しくしていて下さいね」


「……善処します」


 船内をウロウロする気満々でしたとは言えない。

 でもきっと、顔には出ていたんだろう。イリーネ様は私を見て、苦笑を深めた。


「ねえ、君。どういうことなの」


「え?」


「外国へ行くって、本当なんですね?」


 鏡の前から立ち上がって振り返ると、今まで黙って待っていたルッツとテオから声がかかった。

 十分ほど前に、扉を破らんばかりの勢いで入ってきた二人だが、私に噛み付く前に師匠であるイリーネ様の冷ややかな一瞥で黙らされていた。終わるまで、部屋の隅で大人しく待っていた辺りに、教育の根強さが窺い知れる。


「本当よ」


「何処へ? 何しに? 誰といくの?」


 頷くと、矢継ぎ早に質問をぶつけられた。


「フランメに用があって、クラウスと行くのよ」


「男と二人で!? 冗談じゃないよ!!」


 答えを返すと、ルッツは大きく目を見開いた。私の両肩を掴んだ彼は、凄い剣幕で叫ぶ。

 至近距離で大きな声を出されて、鼓膜が死にそうだ。


「男って、クラウスよ? なんの心配があるというの」


「君に心酔していて、近付く人間全てを噛み殺しそうな狂犬の何処に安心出来るのかを、逆に教えてもらいたいね」


 困惑しながら言うと、食い気味で即座に否定された。

 凄い言われようだな。あながち間違いじゃないけど。


「ルッツ、落ち着け。ベールマー殿は、姫様を害したりはしない。その一点のみは信用出来る方だ」


 テオはルッツの手を数度、軽く叩き、私の肩から外させる。

 フォローしているかのような言葉だが、結構辛辣だ。一点のみって……それ以外は信用ならないって言っているも同然だよね?


「それよりも、姫様。オレが気になっているのは、護衛がたった一人ってことなんですが」


「それは……仕方ないのよ」


「目立つから、ですか?」


 テオの視線が鋭くなる。

 普段は明朗快活な彼らしくもなく、表情も声も硬かった。


「髪まで染めているんですから、公務ではありませんよね。かといって、お忍びで遊びに行くには、フランメは遠すぎる。……一体、どんな危険に首を突っ込もうとしているんです」


 ギクリ。鋭いな、テオ。

 思わず、軽く肩が跳ねた。そんな小さな動揺を見咎められ、赤い瞳が剣呑さを増す。


「ひめさ、」


「そこまでにしなさい。馬鹿弟子ども」


 すい、と綺麗な形の手が、私とテオの間に割り込む。

 今まで静観していたイリーネ様は、私を背に庇うように立った。


「疑問に思う全てを投げかけて許されるのは、幼子だけよ。少しは自分の頭で考えて発言なさい」


 呆れたと言わんばかりの目を二人に向け、イリーネ様は溜息を吐き出す。


「姫様は貴方達を友と呼んで下さるけれど、だからといって何をしても許されるということではないわ。王女殿下には、立場に付随する責務と事情がおありなの。何でも話してくれると思い上がるのは止しなさい」


 テオは反論しようとして、言葉を飲み込んだ。悔しげに唇を噛み締める。

 ルッツは不貞腐れて、外方を向いた。


 二人にそんな顔をさせたかった訳ではないが、正直、イリーネ様のフォローは有り難かった。

 全部をこと細かに説明するのは無理だし、かと言って嘘も吐きたくなかったから。


「ごめんね、二人共」


「姫様……」


「大丈夫。あんまり危ないことはしないようにするから、心配しないで」


「貴方の大丈夫は、あてになりません」


 私の曖昧な言葉に、テオは苦い顔で呟く。

 自覚があるだけに、反論しにくいと考えながら苦笑した。


「オレ達も一緒に行けたらいいのに」


 ルッツは、眉をひそめて俯いた。

 ここ数年で、背が伸びて顔立ちも大人びてきたのに、拗ねた子供みたいな顔をする。


「魔導師見習いである貴方達は、簡単には出国出来ないでしょう。ちゃんと無事に帰ってくるから、待っていてね」


 背伸びをして、絹糸のように細い銀の髪を撫でる。

 子供扱いしないでよと、ルッツは頬を膨らませるが、手を振り払われることはなかった。

 ツンデレの弟が出来た気分だと、思ってしまったのは秘密。絶対、怒られるからね。


「姫様。あとでお守りを渡しますので、持って行ってくれますか?」


「お守り?」


「あ、オレも! オレもあげるから!」


 この世界にも『旅立ちのお守り』的なものが存在するんだね。

 たぶん私が思う、長方形で布製のものではないだろうけれど。


「ありがとう」


 なんにせよ、二人の気持ちは嬉しいので、有り難く貰っておこうと思う。

 お礼を言えば、二人は嬉しげに笑った。


「……ところで、姫様。貴方の旅のパートナーは、どこに?」


「そういえば、扉の前に立っていた護衛、別の人だったね」


 テオが、思い出したとばかりに話を変えた。ルッツはそれに反応して、扉を振り返る。

 二人が言うように、今日の護衛はクラウスではなく別の近衛兵だ。


「しばらく留守にするから、仕事を前倒しにしているんじゃないかしら。忙しいみたい」


 遠い目をして、クラウスに話をした日を振り返る。


 旅をするからついて来て欲しいと、唐突に切り出した私に、クラウスは一も二もなく頷いた。

 書類仕事は溜まるし、不在時の仕事も引き継ぎしなくちゃならない。迷惑極まりない話であるにも関わらず、彼は満面の笑みだった。引くくらい喜んでいた。……正直、ちょっと怖かった。


 あんなにも上機嫌なクラウスと二人旅とか、不安しかない。

 浮かれた護衛騎士の顔を思い出しながら、誰か落ち着かせてくれないかな、と心の中で呟いた。


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