転生王女の依頼。(6)
「ユリウス様」
「はい?」
「その船の食糧事情はどうだったんでしょうか」
私がそう問うと、ユリウス様の目が、驚きを表すように数度瞬く。
今まで会話に加わろうとせずに俯いていた私が、唐突に興味を示しだした事に戸惑っているんだと思う。
でもユリウス様は、変な探りを入れようとはせずに、手元の資料へと視線を落とした。
「長い船旅だから、豊富とは言い難かったけれど、飢えるほどではなかったようだね。船員の主な食事は、塩漬けにした肉や魚、ビスケット。それにチーズや酒」
「長期保存のきく食品ばかりですね。途中で、どこかの港に寄らなかったんでしょうか」
「記録を見る限り、そのようだよ。そもそも、寄れる港がなかったのかもしれないね。南東方向から大陸までの間に、小さな島はいくつかあるけれど、無人島、もしくは少数民族の暮らす島だ。独自の文化を築いている彼等の縄張りに侵入しては、いらぬ揉め事を起こすかもしれない」
食料事情が切迫していないのならば、わざわざ危険を冒してまで上陸するメリットがないと判断したんだろうか。
「……ちなみに、我が国の船乗りの皆さんは、同じようなものを召し上がっているんでしょうか?」
「ネーベルの? ……そうだねえ。大体は同じようなものじゃないかな。ただ、長旅になる場合は、途中で何度か食料補給のために港に寄るから、それから数日間は新鮮な野菜や肉も食べられる」
「やっぱり……」
そこがネーベルの船乗りと、亡くなった船乗り達との大きな違いだ。
「やっぱり?」
私の呟きを拾ったのは、ユリウス様だった。
我に返って口を噤むが、もう遅い。皆の視線は私に集まってしまっている。
なんて迂闊なんだろう。まだ考えは、まとまっていないのに。
「なにか気付いた事でも?」
ユリウス様の、普段は眠たげな印象を与える緑の瞳が輝いている。
なんか期待されているような気がするんだけど……勘違いかな。
私はゴクリと喉を鳴らして嚥下する。
どう話すべきか。どこまで話すべきか。どう立証すればいいか。何も決まってはいないけれど、しようがない。なるようになれ、と自棄になりながら、私は口を開いた。
「私、その病を知っているかもしれません」
「えっ!?」
私のとんでもない発言に、驚きの声をあげたのは、ビアンカ姐さんだけだった。
レオンハルト様は軽く目を瞠っただけ。ユリウス様は更に目が輝いている。過剰な期待を寄せるのは、本気で止めて頂きたい。
シクシクと痛み始めた胃の辺りを、そっと擦った。
「マリーちゃん? 知っているって、どういうことかしら?」
戸惑いを隠せない様子で、ビアンカ姐さんは私を見る。
「今、ユリウス様が仰った症状に、心当たりがあります。……と言っても本で得た知識ですが」
『人から聞いた』と『本に書いてあった』の二択しか、咄嗟には思いつかなかった。
誰かに聞いたとなれば、それは誰かとなるだろう。箱入り娘の私が会える人なんて、かなり限られてくるから、実質は一択。
本も出典元を聞かれれば終わりだけど、忘れたで誤魔化せないかな……無理かな……。
「本? そんな難しい本を、マリーちゃんは読んでいるの?」
「マリーちゃんは、おそらく私達の誰よりも読書家だと思いますよ。ネーベルの物だけでなく、他国の本も読んでいますからね」
ビアンカ姐さんの疑問に答えたのは、私ではなくユリウス様だった。
ね、と同意を求められ、私は曖昧な態度で頷いた。他国の本を持ってきてくれるのは、主に貴方ですけどね。しかも、未だに読み終わってない本もありますけどね。
大国の公用語ならまだしも、派生した言語で書かれている本とか、鬼畜過ぎますから。興味のある分野なら意地でも調べるけど。
ユリウス様の言葉を聞いて、ビアンカ姐さんは驚愕していた。
「外国の言葉が分かるなんて凄いわ! こんなに小さくて、食べてしまいたいくらい可愛いのに!」
食べないで下さい。
「マリーちゃんはとても勉強熱心ですから。最近は、珍しい本を見つける度に、お土産に持ち帰っています。きっと彼女なら読んでくれるに違いないと期待してしまうんですよね」
ユリウス様は、少年のように目を輝かせて言う。
他国の本って、子供への土産にはあんまり向かないような気はしていた。絵本ならともかく、料理や薬の本だし。絵だけ眺めてろって事かなあって思ってたんだけど、まさか読めるだろうと期待されていたとは……。
「お二人共。話が逸れていますよ」
脱線した話を元の道筋に戻してくれたのは、レオンハルト様だった。
「これは申し訳ない。……では、マリーちゃん。話の続きを聞かせてもらえるかい?」
指摘されて我に返ったのか、照れたように頬を紅潮させたユリウス様は、咳払いをする。改めて話を振られ、私は頷いた。
「この病の主な原因は、食事にあります」
「食事?」
私の言葉を鸚鵡返しするビアンカ姐さんに、視線を向けて話す。
「さっきユリウス様のお話にあったように、長期の船旅が続くと、どうしても食事は偏りますよね」
「そうね。新鮮な肉や野菜は、早めに食べてしまわないと腐るし。残りの日数は、日持ちのする固いビスケットやワインで凌ぐしかないんじゃないかしら」
「そんなの、体に良いわけないと思いませんか?」
「……それは、そうだけど」
私の言葉に、ビアンカ姐さんの表情が困惑に染まる。
「……栄養不足だと、君はそう言うのかい」
ユリウス様の言葉に、私はしっかりと頷いた。
「はい。食事の偏りは、健康を阻害する恐れがあります」
女子高校生だった頃に世界史の課題で、レポートを書いた事があった。
題材は、十五世紀頃から始まり十七世紀半ばくらいまで続いた、ヨーロッパ諸国が海外進出を行った時代。所謂、『大航海時代』。
当時の船乗り達に、海賊よりも恐れられた病がある。
現在では治療法も判明しているけれど、当時は原因さえも分かっていなかったため、インド航路航海においては、百八十人中、百人の死者を出した。
病名は、『壊血病』。
長期のビタミンC不足で発症する病で、倦怠感や関節痛から始まり、大腿部に痣ができ、皮膚や歯肉からの出血、歯の脱落。やがて死に至る恐ろしい病気だ。
「食事が大切だという事は、義姉上の件で良く分かっているよ」
ユリウス様は、頷いて同意を示す。
ユリウス様の義理の姉で、ゲオルクの母親であるエマさんは、食生活の見直しと適度な運動によって、体質を改善出来た。
身内に実例がいるから、肯定的なのだろうかと判断しかけたが、ユリウス様はすぐに表情を曇らせた。難しげな顔で、口を開く。
「しかし健康な成人男性が栄養の偏りで死に至るというのは、にわかには信じ難いね」
まぁ、そうなるよね……。
食事が出来ないなら死ぬのは当たり前だけど、食べていながら死ぬ、というのは納得が出来ないのかもしれない。
どうしたものか。頭痛を覚えながら、私は頭を悩ませた。
「……たとえば、ですが。煉瓦を作る時に、どんな材料を使います?」
「……れ、煉瓦?」
唐突な話題の転換に、ビアンカ姐さんは唖然とする。
「粘土と砂、それに石灰と水、かな」
ユリウス様は首を傾げつつも答えてくれた。
「では、その材料のどれかを入れずに作ったらどうなりますか」
「粘土がなければ話にならないし、水がなければ上手く混ざらない。石灰や砂がなくても固まることは固まるでしょうが、まともな物は仕上がらないでしょうね」
「強度に問題が出る……ああ、なるほど」
レオンハルト様の言葉を引き継いだユリウス様は、途中で何かに思い当たったように言葉を途切された。
「人の体も同じだと、そういう事かい?」
「はい。栄養が行き届かなければ、人の体も脆くなると思うんです。最初は小さな事……爪が割れやすくなったり、髪が切れやすくなったりと、そんな程度でも、長く続けばあちこちに不調が出るんじゃないでしょうか」
私は必死に訴えた。
現代日本の言葉を出さずに説明するのは、なんて難しいんだろう。
ビタミンCが欠乏すると、毛細血管が脆くなって出血しやすくなるとか。ビタミンCはコラーゲンの生合成に必要だとか。そんなの自分の言葉で上手く説明できる筈もなかった。専門外です。そもそも私、めっちゃ文系だし。
ユリウス様は考えこむように、暫し沈黙した。
透明度の高い翠の瞳が、じっと私を見据える。心の中まで見透かされてしまいそうで、目を逸らしたくなったけれど必死に耐えた。
「……分かりました」
「え?」
「君を信じよう」
今までの厳しい表情を消し、ユリウス様は笑顔でそう言った。
「えっと、その、……いいんですか?」
思わず、自信のない声が洩れてしまった。
証拠となる物はなく、裏付ける書物もない。ならばせめてハッタリでもいいから、堂々としていようと思ったのに。
つい気が抜けてしまった私を見て、ユリウス様の目が柔らかく細められる。
「原因も対処法も分からず、かといって放置する時間もない。元々、八方塞がりの状態だよ。これ以上は悪くなりようもないさ」
「それはそうですが」
「それに私は、君ならもしかして、と勝手に期待していた部分もあるんだ」
ユリウス様は、茶化すように片目を瞑った。
買いかぶりです、と返すが、彼は否定も肯定もしなかった。
「勝手に期待した上で、試すような真似をしてすまないね」
少し眉を下げて、ユリウス様は申し訳無さそうに微笑む。
「厚顔ついでに、対処法も知っていると、期待してもいいかい?」
そうだ。
ユリウス様に信じてもらえたら終わり、ではない。ここからだ。
「はい」
私は表情を引き締めて、頷いた。
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