転生王女の依頼。(5)
本日、3月12日に『転生王女は旗を叩き折る』の二巻が発売されます。
書店で見かけたら、手にとってみて頂けると嬉しいです。
※残酷な表現があります。苦手な方はご注意下さい。
「……そちらもですが、マリーさ、……マリーちゃんが私を訪ねてきてくれた理由を、まだ聞いていないんですよ」
ビアンカ姐さんの言葉を聞いて、ユリウス様は苦い笑みを浮かべた。
僅かに引き攣った笑顔には、藪蛇と分かり易く書いてある。いつも優雅で余裕のあるユリウス様らしくなくて、ちょっと新鮮だ。
だが今は、ユリウス様らしくない表情を堪能する心の余裕はない。それは確かに大事な事ね、と真顔で頷くビアンカ姐さんに突っ込むのも後回しだ。
「船が出ないって、どういうことですか」
「え?」
前のめりになって、食い気味に質問する私を見て、ユリウス様は戸惑ったように目を丸くする。
私はまだ、船に乗せて欲しいという本題も話していないんだから、当然だろう。順を追って、説明してから問うべきだったかもしれないと思うが今更だ。
どうしよう、と混乱する私を見て、レオンハルト様が話に割って入ってくれた。
「失礼ですが、そのお話、我々にもお聞かせ願えますか」
「構いませんが、ご用件はいいのですか?」
「後ほど、ご説明させて頂きます」
「……分かりました」
暫し考えた後、ユリウス様は頷く。
話してくれたのは、一隻の船から端を発した不吉な噂だった。
ひと月ほど前、ネーベルの東に位置する隣国グルントの小さな港町へ、大陸の遥か南東にある島から来た船が入ってきた。
遠方から来たため、かなりの長旅だったろうが、船自体に損傷は少なかったそうだ。しかし何故か、船員の半分以上が死にかけていた。
その時点での死者は三名。残りの病人十五名のうち、重症者六名が治療の甲斐もなく亡くなった。
そして彼らの航海日誌を見て、船乗り達に広まり始めたのは、『海に長く留まる者には、死霊が憑く』という噂だ。
「病ではないのですか?」
「どうでしょうか。今のところ、それさえも分かっていません」
レオンハルト様の疑問に、ユリウス様は是とも否とも言わなかった。
「ですが病であっても、人から人へ直接うつる可能性は低いようです。死体を葬った者や介抱した者、薬師も含め、グルントの人間には、同じ症状は出ていないそうですので」
少なくとも、飛沫感染や接触感染する病ではないって事か。
でも同じ船に乗っていた人の半数以上が罹っているなら、別ルートでの感染症の疑いもあるよね。水とか食事が汚染されているとか。
私は皆の会話を黙って聞きながら、考えを巡らす。
最初は船に気を取られていたが、病が伝染病だった場合、そちらが最優先だ。ゲームから推察して立てた仮説は、あくまで仮説。
流行る時期や国が変わらないとは限らないのだから。
「原因不明の奇病だとしたら、船乗りが怯えるのも無理はありませんが……それにしても、話が飛躍しすぎだ」
「そうよ。どうして『死霊』なんて馬鹿馬鹿しい話になるのかしら?」
ビアンカ姐さんは、呆れたと言わんばかりの表情でレオンハルト様の言葉に同意を示す。
「航海日誌には、なにが書かれていたんですか?」
「最初は普通の航海日誌と変わりなかったそうです。出港した日から、天気や海の状態、備蓄状況、船員の様子など、ごく平凡なものだった。しかし、ひと月ふた月と日を重ねる毎に徐々に異変が起こっていきました」
ユリウス様は、日誌の内容をまとめてあるらしい紙を取り出し、読み上げ始めた。
「具合の悪い船員が出たのかしら?」
「そうです。ひと月を過ぎた頃、体の怠さや関節の痛みを訴える者が少しずつ増えて行きました。『たぶん風邪だろう、寝ていれば治る』と日誌には書かれていた。しかし予想を裏切り、体調が改善される様子も見られないまま、彼等は精神的にも不安定になっていったそうです」
倦怠感と関節痛。確かに基本的な風邪の症状だ。
でも寝ていて全く改善されなかったって事は、違う病気である可能性が高い。風邪だったとしたら、肺炎等、拗らせてしまわない限り、ほとんどの場合は寝ていれば回復する。
「次に太ももの辺りに、大きな痣が出来たと書いてありました」
「痣? ……それは、どこかにぶつけたとかではなく?」
「複数名に同じ症状が現れたそうですよ。全員が同時期に太ももをぶつけるとは、考え難い」
怪訝そうに目を眇めたビアンカ姐さんに、ユリウス様は冷静にそう返した。
「さらに日数を経て、今度は口の中や皮膚から出血が始まった。やがて歯が抜け落ち、古傷が開き、血まみれになって船員は死んだそうです」
シン、とその場に沈黙が落ちた。
レオンハルト様の表情は厳しく、ビアンカ姐さんの顔は僅かに青褪めている。
想像もしていなかった症状を聞いて、私も血の気が引いた。
「……今更ですが、そんな話をマリーちゃんに聞かせてしまうのは、どうかと思うのですが」
ビアンカ姐さんは、ユリウス様を冷えた目で睥睨する。
私は慌てて、頭を振った。
「い、いえ! 私の意志でここにいたのですから、気になさらないで下さい」
でも、と納得がいかなそうなビアンカ姐さんを宥めるために、笑みを浮かべる。たぶん引き攣っているし、顔色も悪いけど、その辺は気にしないでくれると嬉しい。
聞いていて気持ちのいい話ではないけれど、聞く必要性はあった。
そう、心から思う。
「その惨い最期から、死霊に憑かれたという話に繋がるという事ですか」
「それだけではありません。船員達の中には、初期の段階の症状を経験した事がある者が少なからずいるのです。航海の日数が多い船ほど、その人数は増える。船員たちは、長く海に留まれば、次は自分が血まみれになって死ぬ番だと怯えているんですよ」
症状が出る割合と、乗船日数が比例するから、『海に長く留まる者には、死霊が憑く』なんて噂になったんだろう。
「初期というと、怠さや関節の痛みでしょう? 珍しい事じゃないわ」
「疑心暗鬼になっているだけかもしれません。ですが、理由や対処法が分からない限りは、説得も難しい」
ユリウス様は、長い溜息を吐き出した。
「だからと言って、ずっと船を出さない訳にはいきませんわよね。ご商売にも、船員の皆さんの暮らしにも支障が出るでしょうし」
「それは勿論です」
ビアンカ姐さんとユリウス様の会話を聞きながら、私は頭の中の情報を整理していた。
「……ん?」
ぽつり、と呟く。
「マリー様?」
レオンハルト様は、他の人達に聞こえないような小さな声で、私を呼ぶ。
気遣わしげな視線を向けられるが、自分の中の考えをまとめるのに必死な私は、まともな返事もできなかった。
初期は倦怠感や関節痛。
精神的に不安定……鬱状態になり、その後、大腿部に痣が出来る。
さらに日数を経ると歯肉や皮膚から出血。
歯が抜け落ちて、古傷が開いて、やがて死んでしまう船乗りの病。
「……わたし」
なぜ、既視感を覚えたのか。
そう自問自答して、すぐに己の中に答えを見つけた。
そんな症状の人を、私は見たことがない。
でも確かに知っているのだ。
実体験を伴うような生々しい記憶ではなく、ただの知識として。
.




