侯爵子息の葛藤。
※ゲオルク・ツー・アイゲル視点です。
窓ガラスに手を添え、窓の外へ目を向ける。
傾きかけた日に照らされ、オレンジ色に染まる景色の中、一台の馬車が遠ざかって行くのが見えた。
どんどんと小さくなる姿を追うように、指先に力が入る。冷たいガラスに熱が伝わり、白く曇って景色が滲む。
やがて馬車が見えなくなっても、窓辺にずっと立ち尽くしていた。
「良かったのかい?」
背後からかけられた声に、肩が軽く跳ねる。
唐突に声をかけられた事に驚いたというよりも、見られたくない場面を見られてしまった事への動揺だった。
だって、情けないじゃないか。
自分から突き放しておきながら女々しく見送るなんて、他人に見られたいものではない。
「何がです」
そっけない返事をした。
ゆっくりと窓ガラスから手を離す。さり気ない動作を心がけたつもりだが、手のひら型に縁取られた曇りは、僕の情けなさを突き付けるみたいに、中々消えずに残っていた。
振り返って、話しかけてきた相手と対峙する。
睨みつけるといっても差し支えない鋭い視線を向けるが、叔父であるユリウスは、怯むどころか、まるで気にした風もなく話を続けた。
「もちろん、マリー様の事だよ」
「……仰っている意味が分かりません」
触れないで欲しいと願った話題を、直接的にぶつけてくる叔父に、僕は眉を顰める。一瞬言葉に詰まったが、険しい表情で質問を跳ね除けた。
しかし、叔父の表情はまったく崩れない。甘い微笑を浮かべ、首を軽く傾げる。
「おや。そんな簡単な事を、丁寧に噛み砕いて説明してあげなくてはならないほど、私の甥っ子は察しが悪かったのかな? それとも都合の悪い話には触れないでおくれと甘えているのかい?」
「…………」
貴公子然とした笑顔で毒を吐かれ、僕は黙りこむ。
優しげな風貌の叔父だが、中身は優しいだけの人ではない。誤魔化そうとした僕の言葉を、甘ったれるなと一蹴した。
「……調査の経過をご報告していただけです」
渋々口を開くが、素直に答える気にはならず、あくまで白を切る。
しかし当然ながら叔父は、そんな回答では納得などしてくれるはずがなかった。
「それはおかしい。経過を報告しただけで、何故マリー様があんな沈んだ顔をするんだろうね?」
「…………」
「私はてっきり、何処かの頑固者がマリー様の意見も聞かずに、自分の考えを押し付けでもしたのかと思ったよ」
「……見ていたかのように仰いますね」
顔が引きつりそうになるのを堪えつつ、返す。心の中ではクソジジイと吐き捨てながらも、表面上は笑ってみせた。
「覗き見なんて行儀の悪い真似はしていないよ。だが君が言いそうな事くらい、見ずとも分かるさ」
さっきまでの厭味ったらしい笑みではなく、苦笑を浮かべる叔父を見て、僕は言葉に詰まる。
隠していた失敗を見つかってしまったような後ろめたさが込み上げた。
「現地の調査には、関わらないで欲しいとお伝えしたんです」
自分の決断が間違いだとは思わない。
どんな危険があるか分からないような場所に、王女であるマリー様をお連れすべきではない。動くのはあくまで僕達。マリー様は安全な城で、僕達の報告を待っていて下さるだけでいい。
そう、思っているのに。
マリー様の呆然とした顔が、脳裏に焼き付いて消えない。
調査は僕らに一任して欲しいと伝えた後、マリー様の表情は曇り、悲しげに歪んでいた。
あんな顔をさせたかったんじゃないのに、どうして上手くいかないんだろう。
「なるほどね」
叔父は、低い声で呟いた。
カッと顔が熱くなる。責められた訳でもないのに、酷く恥ずかしい気持ちになったのは、後ろめたさがあったからかもしれない。
「王女殿下を危ない場所にお連れ出来ないのは、当然だと思いますが」
つい言い訳めいた言葉が、口をついて出た。
「君の意見が間違っているとは言っていないよ」
「でも、正しいとも言わないのでしょう?」
「やけに突っかかるね」
即座に言い返せば、叔父は呆れた目で僕を見た。
「まあ確かに、私と君の意見は少し違うようだ」
「……どういう意味です」
鋭い目で睨むが、叔父は気にした素振りも見せず話を続ける。
「言葉の通りだよ。そもそも、フランメ王国を危険な場所だと決めつけるは早計だろう」
「お言葉ですが、現在のフランメは女王が統治されております。中継ぎの王の時代は、混乱が起こりやすい。危険だと表現しても問題ないでしょう」
「現在の情勢は安定しているよ」
「現在は安定していても、将来どうなるかは分かりません」
「その理論から言うと、マリー様はどこへも行けなくなってしまうね」
叔父は、そう言って溜息を吐き出す。
「危険のない場所なんて、この世には存在しないよ。いつ何時、どこで何が起こるのかなんて誰も分からない。こうして話をしている間にも、この屋敷に賊が押し入らないと断言出来るかい? 空から隕石が落ちてきて、私達を押し潰さないとも限らないよ」
「詭弁です」
「ああ、そうだ。詭弁だ。だけど大きい括りで見れば、君の言っている事も同じなんだよ。石橋を叩いて渡るどころか、君はマリー様に橋を渡らせない気だ」
叔父は声を荒らげる事なく、淡々と続ける。
「君はマリー様を守っているつもりなのかもしれない。だけどそれは、エゴだ。大事な人を鳥籠の中に押し込めて、自分の心の安寧を図っているだけに過ぎない」
「僕は、そんなつもりではありません!」
反射的に言い返す。
「王女殿下と僕らとでは、立場が違い過ぎます。万が一でも危険があるならば、お連れするべきではない。それに、マリー様が動かずとも最終的に薬が手に入れば、それで良いではありませんか。大事なのは経過ではなく結果でしょう」
「……ゲオルク」
叔父は、窘めるような声で僕を呼ぶ。
「これ以上、問答を繰り返すつもりはありません。お話がそれだけでしたら、失礼致します」
それだけ言い捨てると、叔父の横を足早に通り過ぎる。
自分の中の決意を、これ以上揺るがされたくなかった。
「君の初恋の女性は、鳥籠の中の平穏を幸福と感じるような人か?」
背中に投げかけられた問いには答えず、後ろ手に扉を閉める。
逃げるように廊下を進む僕の頭の中では、ずっと叔父の言葉が木霊していた。




