転生王女の狼狽。
父様の面談を済ませたあとの母様の圧迫面接という、死のコンボをかまされて、精神を削られまくったその翌日。
図書館で薬学の本を探していた私に、新たな爆弾が投下された。
「え……」
ぱかり、と口を半開きにしたまま、私は固まる。
あまりの衝撃に、咄嗟に反応出来なかった。力が抜けた腕から滑り落ちそうになった本を抱え直し、視線を戻す。
目の前に佇む佳人は困ったように微笑み、私と視線を合わせる。冗談だろうかとも思ったが、表情を見れば違う事は分かる。そもそも彼女は、こんな悪質な冗談を言う人ではない。
「それ、は……本当ですか」
「はい」
モノクルの奥の切れ長な目が、動揺する私を映し、彼女ははっきりと頷いた。
「特殊なケースでしたので、姫様にお伝えする事が遅くなってしまいましたが、本当です。今日付けで、ミハイル・フォン・ディーボルトは魔導師見習いとなりました」
理知的な美女……魔導師長イリーネ・フォン・アルトマン様の言葉に、私はもう一度、衝撃を受けた。
「ミハイルが……」
言葉に詰まる私を、イリーネ様は痛ましそうに見た。
しかし途切れた声の後に続く言葉は、勘違いされているだろう。
ミハイルが魔力持ちだったなんて、と驚いてはいない。既に予想済みだったのだから、当たり前だ。私が衝撃を受けているのは、彼がそれを明かした事の方だ。
疫病対策の薬についてイリーネ様の見解をお聞きした後、ミハイルは、イリーネ様と何かを話しているようだった。おそらくその時に言ったのだろうけれど、どうして。
ミハイルはずっと、魔力持ちである事を隠し続けて生きて来た。
この国での魔力持ちの扱いを思えば、当然だ。忌避され蔑まれ、迫害される恐れさえあるのだから。
上手く隠れて生きてきたのだから、このまま隠し通したいと普通なら思うだろう。見つかるまでは平和に暮らしたいと望むのは、当たり前だ。
それなのに何故、今このタイミングで、ミハイルが魔力持ちである事をカミングアウトしたのか。それが私には分からない。
「ミハイルは、自分から告白したのですよね?」
「そうですね。とても勇気ある行動です」
私の問いに、イリーネ様は頷いた。
「どうして、今なのでしょうか? 今まで隠してきたのに、何故」
脳内を占める疑問を、そのままイリーネ様にぶつける。すると何故か彼女は、微笑ましいものを見つめるように、目を細めた。
「私の想像でしかありませんが、おそらく彼は貴方様に触発されたのではないでしょうか」
「え? 私にですか?」
「ええ。彼の魔力は……」
その後に続いたイリーネ様の言葉に、私は大きく目を見開いた。
イリーネ様との会話後、私は足早に図書館を出た。そして目指したのは、温室。
日は傾き、ドーム型のガラス張りの天井から夕日が差し込む。藍色からオレンジ色へと変わるグラデーションの空を背景にして、温室は静まり返っていた。
水やりの時間ではないので、ルッツもテオもいない。だが、端の方に一つ、細身の人影が立っていた。
ぼんやりと空を見上げる横顔からは、感情を読み取る事は出来ない。少し物憂げに見える彼の胸にあるのは、郷愁か、後悔か。それとも未来への恐怖か。
暫しその姿を眺めていた私は、足音を響かせて彼へと近付いた。
「ミハイル」
びくり、と彼の肩が揺れる。
しかしそれは一瞬で、すぐに平静を取り戻したミハイルは、ゆっくりとした動作で私を振り返った。
正面から彼を見た私は、目を丸くする。つい先日会ったばかりだというのに、彼の印象があまりにも変わっていたからだ。
顔の半分を覆っていた長い前髪は、綺麗に整えられ、後ろへと流されている。それにより今まで隠されていた一重の涼しげな目と、整った鼻梁が露わになった。目元の隈は大分薄れ、不健康そうな印象が拭われたように思う。
猫背気味だった姿勢が正された為か、背が高くなった気さえする。縦の成長に横の成長が追い付いていない痩躯を包むのは、ルッツやテオと同じデザインのローブ。但し色は白。中のシャツは逆に濃いグレーだ。
RPG風に言うと、ルッツとテオが黒魔導師、ミハイルが白魔導師のような外見といえば分かりやすいだろうか。
「…………」
西日が、ミハイルの端正な顔に陰影を作る。
彼は何も言わずに、じっと私を見つめていた。
「魔導師になったと、聞きました」
「……はい」
ミハイルは静かな声で肯定した。
浮かべた微笑が、少し困っているように見えるのは気のせいだろうか。
いや、たぶん気のせいじゃない。彼を困らせてしまうほど、今の私は酷い顔をしているんだろう。
「わたし……私が、」
私のせい? 私が貴方を追い詰めたの?
そう問おうとした声は、途中で切れて尻すぼみに消えた。ぐっと握り込んだ掌が、スカートにシワを作る。泣き出す子供みたいな顔で棒立ちする私を見て、青みを帯びた黒色の瞳が、優しく細められた。
「違います。オレはオレの意志で、ここに来ました。貴方は一切関係ない」
「関係ない? ……貴方は、私が探していた地属性の魔導師なのに?」
否定され、意図せず責めるような声になってしまった。
ミハイルは何一つ悪くないのに、勝手に落ち込んで、八つ当たりするなんて。自分の身勝手さが情けなくて、恥ずかしくて。消えて無くなってしまいたいと思った。
私はミハイルが魔力持ちだと、薄々気づいてはいたが、何の属性を持っているかまでは考えた事がなかった。
火属性のテオや氷属性のルッツとは違い、上手く隠し通せてきたのだから、攻撃系の能力ではないと、簡単に思い付きそうなものなのに。
無知で鈍感な私は、何度も彼の前で、地属性の魔導師の話をした。
地属性の魔導師であれば、薬の原料が分かるのではないか。沢山の民を救う薬を作るためには、地属性の魔導師の協力が必要だ。そう、何度も。良心の呵責に苛まれるミハイルの前で何度も繰り返したのだ。
王女として必要な努力をしているだけだと、能書きを垂れて。自分の好きな道を進めばいいと偉そうに言っておきながら。私は知らず、ミハイルの道を塞いでいた。
平穏を望み、神官として生きていたミハイルの選択肢を、私が潰した。
「……王女殿下」
長い沈黙の後、ミハイルは息を吐き出した。
「……ミハイル?」
「繰り返して言いますが、貴方は関係ない。今までも、これからも、オレの行動の全ては貴方には関わりのない事です」
吃りもせず、赤面もせず、彼は淡々と話す。
まるで別人のように凪いだ瞳で、彼は静かに私を突き放した。
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