転生公爵の立腹。(3)
「は、はすい……破水!?」
真っ青な顔色の兄様が、慌て始めた。
「兄様、あの、落ち着いて」
「落ち着いていられる訳がないだろう! 破水という事は、もうすぐ子が生まれるのだよな? 待っていろ、今、人を呼ぶ。レオンハルト、いや、医者か! 医者は何処だ!?」
見たこともないくらい動揺している兄様を見て、逆に私は冷静になる。自分よりも取り乱している人を見たせいか、妙に落ち着いてしまった。
「大丈夫です。私の出産が近いので、医者も薬師も屋敷に待機してくれていますから」
机の端に置いてあったベルを手に取って、鳴らそうとする。
しかし涼やかな音が響く前に、「失礼します」と外から声がかかった。
おそらく、兄様の声が部屋の外まで届いたのだろう。開いた扉の隙間から、異変を察知したレオンハルト様が心配そうに顔を覗かせる。
「どうかされましたか?」
「レオンハルト、大変なんだ。ローゼが、ローゼの子が……!」
「ローゼ?」
兄様の言葉を聞き、レオンハルト様の顔が強張る。
素早く私の元へと駆け寄ってきたレオンハルト様は、私の前に跪いて、手を取った。
「痛みはある? どこが苦しい?」
兄様と同じように酷い顔色ながらも、私を不安にさせないように、柔らかい声で話しかけてくれる。そんな優しい夫を労わるように、私は彼の頬に触れた。
「そんな顔しないで、大丈夫だから。ただ、破水が始まったみたい」
「!」
レオンハルト様は目を丸くする。
そして、すぐに表情を引き締めた。
「誰か」
レオンハルト様が部屋の外に呼び掛けると、控えていた侍女が返事をする。
私の破水が始まった事を伝え、準備するよう指示してから、彼は私に向き直った。
「寝室に移動しよう。抱き上げても平気?」
「ええ、お願い」
レオンハルト様に身を預けようとしたところで、棒立ちしている兄様の存在を思い出す。
青を通り越して白い顔色の兄様は、泣きそうな顔で固まっていた。完全無欠の王太子と謳われる兄様の、こんな顔を見る事になろうとは。
「兄様、こんな状況ではお見送りも出来ませんが……」
「……まさか、帰れと!?」
「ええ、公務にも差し支えるでしょうし、今日のところはお帰りください」
「出産を目前に控えた大事な妹を放って帰るほど、私は冷酷ではない」
「兄様が私を大切にしてくださっているのは、よく分かっております。ですが、お仕事も大事です。それに、どうせあと数時間はこのままの状態ですよ。出産まで半日近くかかる場合も珍しくないですし……」
「半日!?」
しまった。説得の仕方を間違えた。
長く待たせる事になるという説明をしたかったのであって、決して、不安を煽るつもりではなかったのに。
「半日も苦しむかもしれないのなら、益々、帰る訳にはいかない」
「すみません。今のはものの例えであって、実際に私がそうという訳ではないんです。おそらくですが、安産だと思いますよ」
明確な根拠はないけれど、そんな気がしている。
しかし、言葉で説明出来ない感覚的なものだからこそ、兄様の憂いを取り除けなかった。
「ローゼ、まずは移動を。クリストフ様は、オレが後で説得するから」
私達の押し問答を見兼ねたのか、レオンハルト様が口を挟む。
壊れ物を扱うような手付きで、彼は私をそっと抱き上げた。歩き出しても、振動が殆ど伝わってこない。
安定感のある腕の中で、私はほっと吐息を零す。
そんな私達の後を、兄様がついてくる。
こっそりと、足音を殺しているけれど、全く忍べていない。
「困った兄様だわ」
「強引にでも、御帰りいただこうか?」
レオンハルト様は、冗談とも本気ともつかない顔で言った。
身内認定されたのか、兄様の扱いが、かなり雑になっている。
「うーん……。兄様が残ってくれている事自体は嬉しいのよ。お仕事に影響がないか、心配なだけ」
「クリストフ様の事だから、ある程度は前倒しで仕事を片付けてきていると思うよ。真面目な方だからね。不測の事態にも備えて、対処はしているはず」
「でも、多くの人に影響を及ぼすわよね。護衛の方や、城で待つ臣下の皆さんは迷惑を被るだろうし。……あと、ヨハンが怒りそう」
「それはそう」
私とレオンハルト様は顔を見合わせ、頷いた。
理由が理由なので、護衛や側近の方々は納得してくれるだろう。しかし、その括りにヨハンは入らない。
たぶん、いや絶対に、ヨハンは怒る。今回の訪問に同行を許されなかった時点で、既に腹を立てているだろうに。
「ローゼマリー様!」
レオンハルト様の腕の中で、どうしたものかと思案していると、前方からクラウスがやって来た。
出産が近いという知らせを聞いたのか、怖いくらい真剣な顔をしている。
「体調は如何です? 何か、私に出来る事はございますか?」
「今のところ、痛みもないから大丈夫よ。特にしてほしい事もないから、仕事に戻って……」
「いや、クラウス。頼みたい事がある」
クラウスの申し出を私が断ろうとすると、レオンハルト様が割って入った。
「貴方に聞いた訳ではありませんが」
クラウスは嫌そうに顔を歪める。
しかし、レオンハルト様はそれを気に留めずに話を続けた。
「クリストフ様にお帰りいただいてくれ。もしくは、部屋でお待ちいただくよう案内してほしい。周囲を徘徊されると、ローゼが気を遣ってしまう」
「……かしこまりました。ローゼマリー様の御為になるのでしたら、喜んで」
凛々しい顔付きになったクラウスは、胸に手を当てて頭を下げる。
颯爽と彼が歩き出した数秒後、背後から口論めいた声が聞こえた。
「クラウス、そこを退け」
「いいえ、退きません。ここから先の立ち入りは、本日、お断りさせていただいております」
「私はローゼの兄だぞ?」
「兄でも王太子殿下でも、関係ございません」
慇懃無礼な態度を貫くクラウスに、頼もしさを感じた。
「騒がしいな」
「うん、でも何か安心するわ」
遠ざかる喧噪を聞きながら、私は微笑んだ。




