転生公爵の立腹。(2)
慌てふためいている兄様と、不貞腐れて、ソッポを向いている私。
滅多に見ない構図に、皆は戸惑っているようだった。
兄様の内緒話が聞こえなかったらしいレオンハルト様も、それは同様で。
彼は私の様子を探るように、顔を覗き込んだ。
「ローゼ?」
どうしたの、と問うような呼びかけは優しかった。
宥めるような、心配するような声に、やさぐれた気持ちが少しだけ慰められる。
「……兄様が酷いの」
ボソリと零した言葉は、まるきり拗ねた子供のものだった。
レオンハルト様は何かを考える素振りを見せた後、私に顔を近付ける。意図に気付いた私は、彼の耳元で兄様の暴挙を告げ口した。
『兄様が結婚するらしいわ』
それだけ伝えると、レオンハルト様は少し前の私と同じように唖然としていた。やがて眉間に深い皺が刻まれ、難しい顔をした彼は兄様を見る。
「……それはクリストフ様が悪いですね」
「お前まで……」
レオンハルト様から呆れを含んだ眼差しを向けられ、兄様はショックを受けている。おそらく、仲裁に入ってくれる事を期待したのだろう。
「私でなくとも、誰が聞いてもローゼの味方をすると思いますよ?」
「うっ」
「そもそも滅多な事では怒らないローゼの機嫌を損ねた時点で、ご自分の過失を認めてください」
「うう……っ」
レオンハルト様の容赦のない正論が、兄様にグサグサと突き刺さっている。
でも兄様は自分の落ち度に気付いているからか、何も言い返せない。
しょんぼりと萎れる兄様を見て、レオンハルト様は溜息を吐く。
「少しだけ、出発を遅らせませんか? 予定は崩れてしまうでしょうが、このまま城に戻っても、クリストフ様も仕事が手に付かないのでは?」
「そうしよう」
兄様は真剣な顔で頷く。
そんな訳で出立は一時間後となり、私達は、居室へと戻る事となった。
さて。人払いは済ませた。
室内にいるのは、私と兄様だけ。レオンハルト様は部屋の外で待機してくれている。
向かいのソファに座る兄様は、昨日とは違い、身の置き所がない様子だった。常に冷静な兄様らしくもなく、どこか落ち着きがない。
チラチラと私の様子を窺っている彼は、悪戯を叱られそうになっているワンコのようだ。
私の反抗的な態度が、ここまで兄様を追い詰めるとは思わなかった。
怒りが完全に収まった訳ではないが、僅かに残っていた苛立ちをそっと息と共に吐き出した。
「兄様、事情を話してくださるんですよね?」
「あ、ああ! もちろんだ」
和解を提案するように微笑むと、兄様は目に見えて安堵した。
「そうだな……。どこから話すべきか」
そう前置きして、兄様の話は始まった。
「昨日話したように、今、グルント王国では水面下で王位継承を巡った争いが起こっている」
「はい。王子殿下のご気性や能力を理由に、次期国王としての資質を疑問視されているというお話でしたね。代わりに王女殿下の周りに人が集まっているとか」
「そうだな。だが、いくら優秀でも、グルント王国では女性に王位継承権はない」
そうなんだよね。
いくら能力が不足していても、後ろ盾が頼りなくても、王子は王子。法律という壁がある以上、王女では代わりになれない。
「そこで出てくるのが、筆頭公爵家の長男だ」
「その方は王位継承権をお持ちで?」
「ああ、先々代の国王の妹君が降嫁されている」
「なるほど」
家柄も血筋も申し分ない。筆頭公爵家というからには財力や発言権も他の貴族より……否、下手をしたら王家すら凌ぐのかもしれない。
「王家は、その方と王女殿下の結婚を阻止したいのですね?」
もはや、王子個人の事情ではない。
筆頭公爵家の影響力をこれ以上大きくしたくない王家と、王家の力を削ぎたい貴族派との戦いだ。
「そうだ」
「……それはお断りして正解ですね。巻き込まれたら、面倒な事になりそうな予感しかしません」
私の言葉に、兄様は深く頷いた。
「我が国としては拒否一択だ。しかし、友好国からの縁談を理由もなしに断る事は難しい」
「だから、正式な申し込みがある前に国内のご令嬢と婚約するつもりなのですね」
「流石、ローゼ。理解が速いな」
「そうならそうと昨日、仰ってくださればよかったのに……」
笑顔の兄様に毒気を抜かれつつも、不満を零してしまう。
だって、いくらでも言う機会はあった。
それこそ昨日、グルント王国の話をしたタイミングで言えただろうに。
「いや、その……相手が決まってからでもいいかなと……」
後ろめたさはあるのだろう。兄様の声が、分かり易く小さくなった。
大事な事を教えてくれなかった兄様に、腹は立つ。もう少し追撃したい気もしたけれど、時間は有限だ。
最も気になっていた事へと、話題を移した。
「決定でなくとも、候補はいらっしゃるんですよね? どなたです?」
ズイと身を乗り出す。
兄様は私の勢いに気圧されつつも、口を開いた。
「ザックス侯爵家のテレーゼ嬢だ」
「テレーゼ様……」
何度か遠目にお見掛けした事はあるけれど、殆ど面識はない。柔和な顔立ちの美人で、印象通り、穏やかな方だと聞いた事がある。
確か、私よりも一つ、二つ年上だったはず。
ご結婚されてはいなかったはずだけれど、婚約者もいなかったんだっけ?
由緒正しい侯爵家のご令嬢で、しかもあんな癒し系のふんわり美人、男性が放ってはおかない気がするんだけど。
「婚約者はいたんだが、諸事情で白紙に戻されたらしい」
疑問が顔に出ていたのか、声に出す前に兄様が答えてくれた。
諸事情って何だろうと私の中の野次馬根性が騒いでいるが、ぐっと抑えつける。人様の家の事情に首を突っ込むなんて、淑女のやる事ではない。
それに王太子の婚約者候補になったという事は、テレーゼ様及びザックス侯爵家には問題なしと判断されたという事。
そう、大事なのは婚約が白紙になった原因ではなく。
「テレーゼ様とはもう、お会いになったんですか?」
「ああ、短い時間だが話をしたよ」
「どんな方でした?」
目を輝かせる私に、兄様は戸惑った様子で首を傾げた。
「どんな、と言われてもな……?」
「穏やかで美しい方だと聞きましたが」
「うん? 確かに、落ち着いた女性だった」
暖簾に腕押し、糠に釘。
ぼんやりとした答えしか返ってこない事に、私は苛立った。
結婚するかもしれない相手なのに、何故、こうも興味が薄いのか。
まだ実感が湧いていないのだろうけれど、それにしても、酷い。
もっと、こう……あるでしょう?
綺麗だったとか、優しそうな方で好感が持てたとか!
理想の王子様だと思っていた兄の、意外な欠点を見つけてしまった。薄々気付いてはいたけれど、どうやら兄様は女心に疎いらしい。
未来の義姉の事が心配になってきた。
兄様は誠実な方だから、お嫁さんの事も大切にするとは思うけれど、細やかな気遣いが出来るかは分からない。
私が様子を見に行けたらいいけれど、この体では無理だ。
出産予定日が間近に迫る今、子供に負担をかける行動は出来ない。
そんな風に悩んでいる時、ふと、体に違和感を覚えた。
「…………?」
自分の意思とは無関係に、何かが体の中から落ちていく感覚。
生理とは似ていても、明らかに違う。痛みもなく、粘度もない。ジワリと洩れ出るものの正体は……。
「破水……?」
「……は!?」
一拍置いて、驚いた兄様が立ち上がった。




