転生公爵の歓迎。
手紙が届いてから、一か月半が経過した。
年を越して、新年の行事も一通り終え、ようやく日常の落ち着きを取り戻した今日。プレリエ領に、兄様がやって来る。
天気は快晴。空には雲一つなく、空気は澄み渡っている。
冬枯れの枝を揺らす風は穏やかそうだが、膨らんだ雀達は身を寄せ合い、必死に暖を取っている。どうやら、外はかなり寒いらしい。
侍女達も、今年一番の冷え込みだと口を揃えて言っていた。
その辺りを見越した兄様からは、あらかじめ、出迎えは必要ないと手紙で言われている。出産予定日が近い私の体を、気遣ってくれているのだろう。
案内はレオンハルト様に任せて、私は暖炉で温められた応接室で待つ事にする。
窓から外の景色を眺めていると、敷地内に馬車が入って来た。
「兄様だわ」
二頭の鹿毛馬に引かれた黒塗りの馬車が、玄関へと近付いていく。
少し間を空けて、もう一台。今度は飾り気のない馬車が入ってきた。そちらは、おそらく兄様の荷物が積まれているのだろう。
良かった。ちょっと安心した。
兄様も父様と同じく、自分の事には無頓着な方なので、軽装備で来るのではないかと密かに心配していたんだ。
やがて、玄関ホールの方角が賑やかになる。
話し声や物音がこちらへと近付いてきた。
さて、そろそろかな。
よいしょっと気合を入れて席を立つ。
丁度良いタイミングで、扉が鳴った。
「どうぞ」
短い言葉を言い終わる前に、扉が開く。
逸る気持ちを抑えきれないかのような慌ただしさに、目を丸くする。兄様らしくない、やや乱暴な所作だ。
「ローゼ」
兄様は、喜びが溢れだしたかのような声で私を呼ぶ。
破顔した彼は、私に向けて大きく腕を広げた。いつもはしない行動も、再会を喜んでくれているのだと思えば嬉しい。
ただ自分の顔の良さは自覚してほしいとも思う。
滅多に笑わない兄様の満面の笑みは、妹の私であっても耐性がないのだから。
「……眩しいわ」
「ローゼ?」
「いえ、お久しぶりです。兄様」
転ばないように小さな歩幅で近付き、腕の中に収まる。私のお腹に負担をかけないよう、兄様は壊れ物を扱うような手つきで抱擁した。
「ああ。久しぶりのローゼだ」
兄様は噛み締めるように呟く。
万感の思いを込めるかのように、私の背に添えられていただけだった手にも、じわじわと力が込められた。
「に、にいさま……?」
戸惑いながら呼んでも、腕の力は緩まらない。
全く痛くはないけれど、流石に少し窮屈に感じる。兄様の背を軽く叩き、『緩めて』と合図を送っても、気付いてもらえない。
困った。困ったけれど、久しぶりに会った兄を突き放す事も難しい。
ぐりぐりと私の頭に頬擦りする兄様を拒絶出来ず、されるがままになっていた。
たぶん今の私は、飼い主に吸われている猫みたいな顔しているんだろうなぁ……。
「クリストフ様。妻が苦しがっているようなので、力を緩めてください」
「す、すまない! 大丈夫か、ローゼ? お腹は? どこか痛めていないか?」
救いの手を差し伸べてくれたのは、レオンハルト様だった。
彼の指摘を受け、我に返った兄様は、すぐに私を離してくれた。申し訳なさそうな顔で覗き込んでくる兄様に、私は笑顔を返す。
「ちょっと苦しかったですが、大丈夫。どこも問題ありません」
「良かった……」
そう言って兄様は、安堵の息を洩らした。
「ようやく会えたから、タガが外れてしまった」
照れているのか、兄様は頬を薄く染めてはにかむ。
やや俯き気味のご尊顔は、親族であっても直視出来ないほどに麗しい。
変装なのか、それとも伸びた髪が煩わしいのか。少し長めの髪をハーフアップにしている兄様は、以前よりも華やかさが増している気がする。
「まずは一度、落ち着きましょう。お茶を用意させますので、話はそれからで」
「そうだな。騒がせて申し訳ない」
苦笑したレオンハルト様が間に入ってくれた。
確かに、いつまでも戸口付近で立ち話していては、使用人達も困ってしまうだろう。
「クリストフ様、荷物は全て客室へ運んでも宜しいでしょうか?」
「いや。殆どは土産だから、置き場所は任せる」
「殆どがお土産……? 兄様のお荷物は……?」
首を傾げる私を真似るように、兄様も同じ方向に首を傾けた。
「私の荷物? トランク一つだから、既に侍従に運ばせたが」
兄様……。貴方もですか。
ほぼ身一つで旅行する王族なんて、父様くらいのものだと思っていたのに。
「……ん? という事はまさか、あの二台目の馬車の中身は」
「ああ、全て土産だ」
「兄様……」
目を細め、ジトリと睨み付ける。
私にそのような対応をされた事のない兄様は、慌てふためいた。
「違う、違うんだ。子供用の品は十分だと、ちゃんと理解している」
そう。私は手紙の返事で、贈り物はもう不要である事を伝えたはずだ。
流石に人様の厚意を跳ね除ける事は出来なかったので、遠回しな文章で、子供部屋がもう満杯である旨を書いたはずなのだが。
「だから、今度はローゼ用の品を用意した」
「兄様……」
「そ、それも駄目なのか……!?」
誇らしげに胸を張る兄様を、困り顔で見つめる。
私の呆れを感じ取ったらしい彼は、焦ったように「もちろん、レオンハルトへの土産もある」と言っていたが、そうじゃない。そうじゃないんだよ、兄様。
王家はプレリエ公爵家に貢ぎ過ぎだ。
いくら個人資産とはいえ、そろそろ自重してほしい。あと、居た堪れないから、私物を買うお金に回してほしい。
「駄目なのか……。ローゼに似合うと思ったのに……」
完全無欠と名高い王太子が、しょぼんと萎れる姿を生温い目で見つめる。
兄様の抜けた部分を見られて、ちょっとほっこりした。
なお、贈り物はかなり実用的なものだった。
既婚女性に意見を聞いてくれたのか、産褥期に着られるような、ゆったりしたワンピースやローブ。
素材は上質な綿や絹で、とても柔らかく、赤ちゃんの肌に触れても安心。それでいてデザインも、シンプル且つ可愛い。
まさか兄様が、ここまで女性の気持ちに寄り添ったプレゼントをくださるとは思わなかった。
手のひらを返して喜ぶ罪深い妹を、どうか許してほしい。




