転生公爵の編物。
かなり、お腹が重くなり始めた。
出産が近付いてきていると実感出来て、嬉しい。でも辛いものは辛い。
内臓が圧迫されて苦しいし、足腰にも負担が掛かる。寝苦しさで夜中に目が覚める事も多く、日中は慢性的な眠気に襲われる。
とはいえ、たぶん私はマシな方なのだろう。
うちの子はかなり大人しいので、赤ちゃんからダイレクトに与えられる痛みは感じた事が殆どない。
以前に、蹴られるのも楽しみだったなんて零したが、たぶん他のお母様方の耳に入ったら怒られる。
聞くところによると、結構、痛いらしい。膀胱の辺りをグリグリ押されて、辛くて眠れなかったなんて体験を教えられたら、迂闊な私でも流石に反省する。
ごめんなさい、世のお母様方。そして、ありがとう、うちの子。
「ローゼ、少しいい?」
居室の暖炉の前でウトウトと舟を漕いでいると、扉の外から声が掛けられる。
覚醒した私は、半開きだった口の周りを慌てて手で拭った。
危ない、危ない。涎の痕が残っていたら大変。
「どうぞ」
戸口から顔を覗かせたのは、レオンハルト様だった。
「手紙が届いたよ」
「手紙? 誰かしら……」
安楽椅子に腰掛けていた私の傍まで来たレオンハルト様は、私に手紙を手渡した。
ひっくり返して封蝋を確認すると、見覚えのある印章。羽根をモチーフにしたソレは、手紙の送り主が我が国の王太子である事を示していた。
「兄様?」
レオンハルト様が自然に渡してきたペーパーナイフを、封筒の隙間に差し入れる。
便箋を取り出す時に、森林のように落ち着いた香りが鼻孔を掠めた。兄様が纏っているコロンの匂いだ。
教本のように整った文字で綴られた手紙は、季節の挨拶から始まった。身内であっても構成を崩さない堅苦しさは、兄様らしい。
ヨハンを始めとした家族の近況を語る時や、私の体調を気遣う文章には、ちゃんと温かみを感じる。愛されているのだなと伝わる、優しい言葉選びだ。
だと言うのに何故か、自分の事には素っ気ない。
淡々とした文体は報告書のようで、まるで他人事。
「まぁ、兄様らしいと言えば、らしいけれど……」
「何だって?」
眠気に負けた私が放り出した編み棒と毛糸玉を拾い、籠に戻してくれていたレオンハルト様は、私の独り言まで拾った。
「ええっとね、一度、こちらに遊びに来たいみたい?」
「いつ?」
「たぶん兄様なら、ある程度、こちらの都合に合わせてくれるわ」
父様と違って。
心の中で付け足した悪口を、たぶんレオンハルト様は正確に読み取っている。
「そうだね。クリストフ様ならきっと、余裕を見て下さる」
うん、誰かさんと違ってね。
今頃、王都でおかきを食べながら、誰かさんがくしゃみをしているに違いない。
「予定を確認して、いくつか候補日を選定するよ」
「お願い」
それほど大がかりな準備は必要ないだろう。
兄様も父様と同じく、派手な歓待は好まない人だし。
それにしても、何をしに来るんだろう?
ただ単に顔が見たいと思ってくれたのなら、それはそれで嬉しいけれど。
「それと視察ではなく、私用みたい。私達と話したら、すぐに帰るつもりだそうよ」
「慌ただしいな。ゆっくりしていけばいいのに。……まぁ、お忙しいんだろうな」
「でしょうね。あ、ありがとう」
話しながらレオンハルト様は、読み終わった手紙を受け取る。その代わりに、途中だった編み物を返してくれた。
「それは何を編んでいるの?」
レオンハルト様は興味津々な様子で、私の手元を覗き込む。
出来れば、あんまり見ないでほしいな……。
「ええっと……ケープ……?」
疑問形になってしまうのは、自信のなさの表れだ。
昔から習っていたはずの刺繍が下手な私が、編み物なら上手に出来るなんて奇跡が起こるはずもなく。
予想を裏切らず、普通に下手だ。
手順通りにちゃんとやっているはずなのに、編み目が不揃いなのは何で? 心持ち、反っているように見えるのは気のせい??
まだ半分も編んでいないのに、既に失敗の予感がする。
私は身の程を弁えて、難しい物は避けたのに。
本当は赤ちゃん用の帽子とか、靴下とか作りたかったけれど、輪編みが出来る気がしなくて、諦めたのに。
ただの横編みでも、私には早かったのかもしれない。
「へぇ、いいね。きっとこの子も喜ぶ」
優しく眦を緩めるレオンハルト様とは対照的に、私は微妙な表情になる。
「そうかなぁ? 私、不器用だから、失敗しそうな気がするの」
「それでも。喜んでくれるよ」
レオンハルト様は妙な確信を持っているようだが、私は不安だ。
生まれたばかりの赤子にデザインの好みはないかもしれないが、手触りの良し悪しは分かるはず。がったがたの編み目の私の作品が、認められるとは思えない。
「なんの根拠があるの」
「だって、オレの子だよ?」
胡乱な目を向けると、食い気味に返された。
何だろう、ソレ。なんの理由にもなってないけれど、不思議と説得力がある。圧で押し切られているとも言うかもしれない。
「貴方の事が大好きなオレの子で、しかも、胎動ですら貴方を傷付けない母親思いの良い子だ。貴方の手作りを、喜ばない訳がない」
「!」
自信満々な顔は、いつもよりも子供っぽい。
胸を張るレオンハルト様を軽く睨みながら、己の負けを悟った。
「……そんな事言うなら、お揃いでマフラーを編んじゃうわよ?」
「大歓迎だ」
そんな訳で来年の冬には、がったがたの編み目のマフラーを堂々と巻く美丈夫の姿が見られるかもしれない。




