転生公爵の展望。(2)
ブツブツと独り言を零すクラウスを見ていると、嫌な予感がする。
彼がまた突拍子もない事を思いつく前にと、さっさと話を変える事にした。
「お二人は、薬草の世話をされていたんですか?」
「はい。姉さんに手伝ってもらって、水やりを。それから、フランメが原産の植物の状態を確認していました」
フランメ王国は一年を通して気温が高い国だ。
ネーベルも比較的温かい気候とはいえ、冬場の温度はかなり違う。
「最近は寒くなってきたものね。もし何かあるようなら対策を立てるから、教えて。ミハイルに頼る事が多くて申し訳ないんだけれど、私も出来る限りの事はするから」
「温室のお陰で、問題なく成長しています。それに植物の世話は元々好きなので、苦にはなりません。こうして姉さんも、手伝ってくれますし」
「ここは温かいから、私としては役得だわ」
温室での作業は、良い事ばかりではない。夏場は蒸し暑くなるし、希少な植物の世話は責任だって重大。泥で汚れる上に、虫だって出る。嫌がる人は多い仕事だろうに。
そんな苦労を匂わせすらしない二人の気遣いに、私はほっこりした。
「それなら良かったです。でも、何か困っていたらすぐに相談してくださいね。仕事の事も、そうでない事も」
私が何を言いたいのか、察したのだろう。
ミハイルは眉を下げる。
「今度は真っ先に相談しますね」
「はい、そうしてください」
私がわざとらしい返事をすると、ミハイルは困り顔のまま微笑んだ。
「そういえば、義兄さんから手紙が届きました」
「ああ、商会長さんから聞いたわ。なんか、頑張っているみたいね」
「はい」
頷いたミハイルの声は、少し嬉しそうだった。
マルセルさんは現在、カロッサ商会の下働きとして雑用を請け負っているらしい。
ミハイルは特に罰を望んでいなかったし、プレリエ公爵家としても口出ししなかったのだが、商会長はマルセルさんを無罪放免にはしなかった。
従業員には『婿としての修行』という名目で、一年間、みっちり鍛え上げるつもりのようだ。
何事もなかったかのように過ごすのは、本人としても針の筵だっただろうから、良い判断だと思う。
商会長の厳しさは愛情でもあると理解しているからか、マルセルさんも腐る事なく、励んでいるらしい。最初は失敗も多かったそうだが、ちゃんと学んで次に活かし、容赦のない指導にも食らいついていく姿勢に、遠巻きだった従業員達とも徐々に打ち解けてきたそうだ。
このまま成長してくれたら、ミハイルと和解出来る未来も夢物語ではない気がする。
結果的に商会にも良い影響が出ているという事で、商会長はミハイルに心から感謝していた。
「私のところにも、マルセルから手紙が届いていたわ」
ビアンカ姐さんは頬杖をつく。
への字を描く口が、分かり易く不機嫌を伝えてきた。
「何か、嫌な事でも書いてありました?」
『あったら許さんぞ』と思いながら訊ねる。
反省しているのは確実そうなので、その可能性はないだろうとは思う。しかし万が一、この優しい人達を裏切る事があったら、今度はプレリエ公爵家が相手になろう。
しかし、そんな私の意気込みは空振りに終わった。
「ないわ。反省しているのが伝わってくる誠実な謝罪と、客観的な報告よ。前とは別人みたいに、ちゃんと成長しているわ。……だから、ムカつくのよ」
「あー……なるほど」
誠実な対応されて、憎み続けるのは難しい。
かといって許す事も、割り切る事も出来ずにモヤモヤする。なんなら、許せない自分の心が狭いのかと自省する場合もあるだろう。
でも、それは当然だ。謝ったら終わりなんて、人間はそれほど単純ではない。
「別に、嫌いなままでいいじゃないですか」
「そうかな?」
「はい、私が許します」
「……ふふ。ありがとう」
ビアンカ姐さんは、息を零すように笑った。
「じゃあお言葉に甘えて、もうちょっとだけ嫌っておくわ」
その言葉は、いつか許すと同義だ。
やはり、この姉弟は人間が出来過ぎている。誰かに搾取されないよう、しっかり見守ろうと、心の中で決意した。
それと共に、前から考えていた事を思い切って切り出す。
「そういえば、前々から聞きたかった事があるんです。その、……もし不快だったら聞き流してほしいんですけど」
ミハイルとビアンカ姐さんは続きを促すように、揃って首を傾げる。
ちょっとした仕草がそっくりで、改めて血の繋がりを感じた。
「お二人の籍は、そのままで大丈夫ですか?」
私を見ていた二対の目が見開かれる。
ミハイルはかなり前に家を出ているし、ビアンカ姐さんも数年前に実家を離れて、それきり戻っていない。しかし二人とも、籍はディーボルト子爵家に残したまま。
今のところは、特に不都合はないのだろう。
しかし、もし二人の父親である現当主が体を壊したらどうか。
ミハイルはディーボルト子爵家の嫡子であり、義兄のマルセルさんが婿入りした事で、唯一の直系の男子となっている。
実情がどうあれ、跡取りと見做されて、後継者争いに巻き込まれかねない。
「余計なお世話なのは、重々承知の上です。お二人が納得しているのなら、私もこれ以上、何も言いません。ただ、もし、お二人が籍を抜きたいと考えているのなら、協力させていただけませんか?」
「それは……私としては、願ってもない事だけれど」
ビアンカ姐さんは、戸惑うように瞳を揺らす。
「父が許すとは思えないわ」
ビアンカ姐さんの言う通り、当主の了承を得るのは難しい。
貴族の多くは体面を重視するし、二人の父親はその典型。直系の子供を二人も除籍したなんて知れたら笑いものになると、拒否する可能性は高い。
「そこはまぁ、権力で」
「けんりょく」
唖然とした顔で、ビアンカ姐さんはオウム返しする。
「わたし、一応は公爵家当主なんですよ」
「……よく知ってるわ」
冗談めかして言うけれど、二人は笑ってくれなかった。
失敗したなと思いつつ、苦笑する。
「冗談です。そもそもお二人は成人しているので、自分の意思で籍を抜くのなら法律上は問題ないんですよ」
何事に於いても、家長の許可が必要だというのは、古い貴族の間での不文律に過ぎず、実際は法的な拘束力がない事も多い。
ただ世間体や周囲の反応を気にして、実行する人がいなかったっていうだけの話だ。
「それに除籍ではなく、他家に養子に入るという手もあります。協力してくれそうな方もおりますし、後はお二人の気持ち次第です」
深刻な空気にならないよう、敢えて軽く言ってみせた。
けれど、心の中は不安でいっぱい。二人とは良い友人関係を築けていると思っているが、今回の私の発言はそれを壊しかねない。
友人として許されるラインを、大きく踏み越えてしまっている気がする。
「……オレは」
長い沈黙を破ったのは、ミハイルだった。
「オレは、家にも、姉さん以外の家族にも、特に思うところはありません。恥ずかしながら、最近では父の顔すら、まともに思い出せなくなっているんです。縁が切れたとしても、哀しいとか寂しいとか、感じるような思い出すらない」
ミハイルは自嘲気味な顔でそう言った後、表情を引き締める。
真剣な顔つきで彼は、話を続けた。
「だから実家に未練はないのですが、領地の事は気にかかります。貴族の子供として、オレが不自由なく成長出来たのは、領民の皆さんが納めてくれた税のお陰です。……ですが、オレはまだ、何の恩返しも出来ていません」




