転生公爵の展望。
ミハイルとお義兄さんの話し合いは、無事、終了した。
まさかミハイルが『許さない』という選択をするとは夢にも思わず、私も度肝を抜かれたが、理由を聞けば納得できるものだった。
他の魔導師の尊厳を守るためだなんて、とてもミハイルらしいと思う。
カロッサ商会のお二人も納得出来たようで、ミハイルとお義兄さんの間の不和は、平和的に解決したらしい。
レオンハルト様からそれを聞いて、私も安堵した。
とはいえ、責任者として一度、様子は見ておきたい。
ミハイルもビアンカ姐さんも、小さな不満は呑み込んでしまう人達だから。
ヴォルフさんに用事があるというレオンハルト様に同行し、医療施設を訪ねた。
職員に二人の事を聞くと、どうやら温室にいるらしい。ネーベルの気候では根付きにくい植物の管理もミハイルの仕事なので、その関係だろう。
仕事の打ち合わせがあるレオンハルト様と別れ、本日の護衛をしてくれているクラウスと共に温室へと向かった。
温室の扉を抜けると、空気がふわりと緩む。
外気に晒されて縮こまっていた私の体も、自然と力が抜けた。冬場の晴れた日の温室は、癒しスポットだ。薬草の独特な香りも、慣れた私からすると気にならないどころか、癒し要素の一つになる。
鉢植えに水やりをしていたビアンカ姐さんは、扉の開閉音に気付いたのか、顔を上げる。入ってきた私を見つけると、ぱぁっと表情が明るくなった。
「マリーちゃん! いらっしゃい!」
「お疲れ様です、ビアンカさん」
私がひらひらと手を振ると、ビアンカ姐さんは、ジョウロを置いてから小走りで駆け寄ってくる。
「久しぶり……という程じゃないわね。でも、会えて嬉しいわ。体調は大丈夫?」
「ええ、問題ないです。家に籠ってばかりだと体力が落ちちゃうので、散歩がてら遊びに来ました」
「それなら良かったけれど、無理は禁物よ。あそこに休憩スペースがあるから、座ってお話ししましょ」
お腹が目立ってきた私を気遣い、ビアンカ姐さんは手を差し伸べる。
支えるように背中に手を回し、テーブルまで案内してくれる彼女は、おとぎ話に出てくる王子様か騎士様のようだ。
「エスコートでしたら、私が」
「後ろで突っ立ってただけの大木が何か言っているわ。空耳かしら」
焦った様子で私達の間に割り込もうとしたクラウスを、ビアンカ姐さんが切って捨てる。フン、と鼻を鳴らす嘲笑付きで。
「ローゼマリー様は過剰な手助けは望まれないから、控えていただけだ! 怠けていた訳でも、気付かなかった訳でもない!」
「なんて煩い大木なの。セミの鳴く季節はとっくに終わったのに不思議だわ」
クラウスは噛み付いたが、ビアンカ姐さんはまともに取り合う気はないらしい。
適当に往なしながら椅子を引いて、私を座らせてくれた。
笑顔のビアンカ姐さんにお礼を言うと、隣のクラウスが悔しそうな顔で歯噛みしている。犬猿の仲だったこの二人も、最近はすっかり仲良くなったと思っていたんだけど……気のせいだったのかもしれない。
「マリーちゃん、お茶は如何? リリーちゃんから譲ってもらった大麦のお茶があるのよ。確か、それなら妊娠中でも飲めるのよね?」
「お茶でしたら、私が!」
しゅばっと手を上げたクラウスに、私は生温い笑みを向ける。
「クラウスは大人しく護衛していて」
「以前の私は確かに未熟者で、お茶の一つもまともに淹れられませんでした。ですが、私は変わったのです! 侍女頭の過酷な指導を耐え抜き、侍女達の厳しい助言を学びに活かし、確実に成長を遂げたはず!」
私は唖然とした。
この男は王城の侍女頭だけでは飽き足らず、プレリエ公爵家の侍女達にまで迷惑をかけていたらしい。
その勤勉さと忠誠心は美徳だ。
しかし世の中には、努力ではどうにもならない事がある。
そして、残念ながら『クラウスがまともなお茶を淹れる』というミッションは限りなく、それに近い。
「クラウス」
「はい!」
「大人しく、護衛をしていて」
「!?」
『何故!?』と言わんばかりの顔をされても、許可は出せない。
休憩時間や休日を費やしてまで積み重ねた努力を、水泡に帰すようで大変申し訳ないが、私は我が身と我が子が大事なので。
しょんぼりと萎れたクラウスを横目に、ビアンカ姐さんはお茶の準備をする。
私はその様子を眺めながら、ふと思い出す。そういえばビアンカ姐さんも、あまり料理が得意ではなかった記憶があるんだけど、大丈夫なんだろうか。
一瞬過った不安を見過ごす事は出来ず、ついビアンカ姐さんの行動を見守ってしまう。
彼女は麦茶の入った容器を開けると、軽く首を傾げた。もしかして、適切な量が分からないのかもしれない。
中に入っていた木製スプーンを手に持ったかと思うと、何故か使う事なく横に置く。ティーポットの蓋を開けた彼女は、そこに向けて躊躇なく容器を傾けた。
ご、豪快―!!
「姉さん」
茶こしに大量の麦が投入される寸前、青年の手が容器を掴んで止める。
唐突に現れた救世主は、どうやら事態を察知して駆けてきてくれたらしい。肩で息をする彼を見て、ビアンカ姐さんは数度瞬く。
「あら、ミハイル。どうしたの?」
「お茶ならオレが淹れるから、姉さんは座っていて」
「え? でも」
「座っていて、ね?」
「……はい」
温厚なミハイルらしからぬ迫力に負け、ビアンカ姐さんは頷く。彼女はクラウスと同じように、しょんぼりと肩を落とした。
大人しく席に着いたビアンカ姐さんを見て、ミハイルは安堵の息を吐く。その様子に日ごろの苦労を垣間見た気がして、私はそっと視線を逸らした。
「美味しい……」
吐息と共に呟きを零す。
ミハイルの淹れてくれたお茶は、お世辞抜きで本当に美味しい。公爵家の侍女達の淹れてくれた上品なお茶とは少し違う、優しい彼らしい、ほっとする味だ。
「良かったです」
ミハイルは照れたように頬を掻き、はにかむ。
「確かに美味しい……」
「私だって上手く淹れられるはずなのに……」
少しばかりの悔しさを滲ませたビアンカ姐さんの言葉はともかく、後半のクラウスの妄言は黙殺する事にした。
クラウスが美味しいお茶を淹れるなんて、運動音痴の私がバク転出来るようになるくらい無理だと思う。
だから、私の胃腸のためにも、そろそろ諦めてほしい。




