次期族長の緊迫。
※クーア族次期族長ヴォルフ視点となります。
マリー達と別れて、玄関前で待ち構えていた馬車へと乗り込む。
扉が閉まるのと同時に馬車は、慌ただしく駆けだした。
「ヴォルフさん、ミハイルさん。呼び出してしまって、すみません」
向かいの席に座る薬師見習いの青年……インゴは、言葉通り、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「いいわよ、私達の手が必要だと思ったんでしょ?」
オレがそう答えても、インゴは恐縮して身を縮めたまま。
休憩中に急患で呼び出されるのは、そう珍しい事ではないというのに。不思議に思い、首を傾げる。
インゴが答える前に、珍しくもミハイルが割って入った。
「あの。患者さんがいるのは医療施設ではないんですか?」
ミハイルの視線を追って窓の外を見たオレも、彼の質問の意図に気付く。
行きと景色が違う。今、馬車が走っているのは医療施設へ向かう道ではない。
「患者の自宅に向かっています。患者は二十歳の女性。自宅で出産後、容態が悪くなったそうです」
「出産は予定通り?」
「いいえ。予定よりも二週間ほど早かったそうです。幸いにも産婆が近所に住んでいたので、どうにか子供は生まれたそうですが」
「早産なら、子供の方も診た方が良さそうね。母親の症状は、具体的に分かる?」
「産婆の見立てでは、出血が止まらないせいではないかとの事です」
「それでオレが呼ばれたんですね」
ミハイルは静かな声で呟く。
表情がやや硬いように見えるのは、緊張ゆえだろうか。
「インゴ。同意書はちゃんと持って来ている?」
ミハイルは、普段、治療行為に魔法を使わない。
彼の魔法はとても優れたものだが、それ相応の制約があるからだ。
ミハイルの能力は病気に対しては効果がなく、治せるのは怪我のみ。
そして傷口を塞ぐのも奇跡の力ではなく、患者自身の治癒力。ミハイルが出来るのは、患者の持つ治癒力を引き出す事。
もちろん患者の負担は大きく、怪我を治す前に体力が尽きてしまえば、逆に死を早めてしまう可能性だってある。
それをよく理解しているミハイルは、魔法を使う事に慎重だ。
ただミハイルは慎重であっても、臆病ではない。使うべきと判断した時は、迷いなく使う。以前、命の危機に瀕していたクラウスを、わざわざ遠方から駆けつけて救った事がそれを証明している。
医者としてのミハイルは、非難も罵倒も恐れはしない。
だからこそ、予防線を張るのは上司であるオレの仕事。
患者の家族の同意が得られなかった場合は、ミハイルの力は使わせない。
「直接、患者宅に向かった先生が持っています。診察後、ミハイルさんの力が必要だと判断したら、説明してから同意書にサインを貰うと仰っていましたが、それで宜しかったでしょうか?」
「問題ないわ」
「それから念の為、患者の診療録を持ってきました」
「通院歴があるの? 持病?」
「いえ、妊娠による貧血が酷かったようで……」
診療録を受け取り、ミハイルと共に目を通す。
「血が止まらないのも、血圧の関係かし……」
独り言を零していたオレの思考が、一瞬止まる。
患者の名前は、リンダ・カロッサ。
カロッサ商会の一人娘で、ミハイルの異母兄マルセルの妻だ。
ディーボルト家の兄弟達の間で、ひと悶着あったのは記憶に新しい。
医療行為に私情を挟むつもりはないが、僅かでも動揺してしまったのは、オレが未熟である事の証左なのだろう。
「貧血の薬を三回処方されていますが、ここひと月ほどは来院されていませんね。一時的に改善されたものの、また悪化してしまったんでしょうか?」
一方、隣のミハイルは冷静だ。
情けなくて、自分をぶん殴りたい心境になった。もちろん、クソ忙しい今、そんな生産性のない行為に時間を割くつもりはないが。
「出血とは別の原因の可能性も考えられるから、まずは先発隊と合流しましょ。判断は、それからよ」
私の言葉に、ミハイルは神妙な面持ちで頷いた。
オレ達を乗せた馬車が、立派な邸宅の敷地に滑り込む。
玄関前には使用人だけでなく、身なりの良い男性と、ミハイルの義兄マルセルが立っていた。
おそらく商会の頭である身なりの良い男は、オレが馬車から降り終わる前に、駆け寄ってきて縋りついた。
「お待ちしておりました! どうか、どうか娘を……っ!」
一代で王都に店を持てる規模まで商会を育て上げた傑物も、普通の父親だったらしい。悲壮な顔で声を詰まらせる男の肩を宥めるように叩く。
「落ち着いて。先に到着している者から、説明は受けておりますか?」
「え、ええ、はい。出血が止まらない事が原因なので、魔導師様にお力添えをいただく事になると」
商会長の隣で俯いていたマルセルの肩が大きく揺れる。しかし、それには言及せずにミハイルの背を押して前に出した。
「彼がその魔導師です。ただ、魔法は万能ではありません。欠点も理解した上で、同意書にサインをなさいましたか?」
商会長の顔が歪む。苦痛に耐えるように、涙を堪えるように。険しい表情はすぐに崩れ、眉を下げた彼は頷いた。
「はい……! 娘の体力は尽きかけており、魔法に耐える事が出来ないかもしれないと、そう聞いております。ですが、お医者様の処置だけでは限界があり、このままでは、どの道……」
言霊を畏れるように、商会長の語尾が消える。
拳を握りしめた彼は、ひと呼吸置いて顔を上げた。
「これほど取り乱していては説得力がないでしょうが、同意書の隅から隅まで目を通した上でサインしました。曲がりなりにも商人ですので、契約を違える事はありません。……ですから、どうか。どうか、娘をお願い致します……!」
商会長は、深く頭を下げる。
ミハイルはそんな彼の前に立つと、「顔をあげてください」と言った。
「全力を尽くすと、お約束します」
「……っ、ありがとう、ありがとう……!」
商会長の目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「そうと決まれば早速、患者の元に案内してもらえますか?」
縋る商会長と困り顔のミハイルを引き離し、オレは声を掛ける。袖口で乱暴に涙を拭った商会長は、慌てて玄関扉を開けた。
「こちらです!」
荷物を持つという使用人の申し出を断り、医療道具の入った鞄を肩に担ぐ。
商会長の後ろに続き、ミハイルを視線で促した。
「あ、あのっ」
慌ただしく室内へと入っていくオレ達に、背後から声が掛かる。
肩越しに振り返ると、さっきからずっと蚊帳の外だったマルセルが所在なさげに立っていた。
一刻を争う時に何を言う気だと殺気立つオレを、ミハイルが手で制した。
「後で僕の事、どうしてもいいから」
真っ青な顔をしたマルセルは、震える声で続ける。
「お前を侮辱した事、家族に話してもいいし、殴っても、蹴ってもいい。どんな形でも、お前の気が済むまで、償う、から……」
ぐしゃりと潰れるように、マルセルはその場に膝をつく。
手をついて頭を下げた彼は、酷く小さく見えた。
「妻を、リンダを……助けてください……」
土下座するマルセルを、ミハイルは黙って見つめている。
張り詰めた静寂を破ったのは、ミハイルの静かな声だった。
「任せて」
決然とした表情と声で、ミハイルはそう言い切った。




