転生公爵の懸念。
父様の電撃訪問から、二週間が経過した。
たった一泊二日でこちらの情緒をかき乱していった父様だが、帰ったあとも地味に色々あった。
母様と兄様とヨハンから、それぞれ贈り物と共に父様への怒りを滲ませる長文の手紙が届いたり、おかきを気に入ったらしい父様からの定期的な購入の申し込みがあったりと、落ち着く暇がない。
私の家族は、こんなにも愉快な人々だっただろうか。
「このままだと、貴方が生まれる前に贈り物で部屋がいっぱいになっちゃうわね」
お腹を摩りながら、語り掛ける。
日当たりのよい子供部屋にはまだ誰も住んでいないのに、既に家具は一式揃っている。丈夫なベビーベッドに、肌触りの良い寝具。上質なマホガニーのワードローブに詰まっている肌着や子供服は、洗い替え用なんて可愛らしい量ではない。
玩具も各種取り揃えられており、大分気が早いものもある。木馬とか、せめて一人で立てるようになってからだろう。
何もかもが、もう十二分にある。
しかし、家族曰く、まだまだらしい。
性別が分かってから贈るつもりのものもあるし、晴れ着はサイズもデザインも拘り抜いたオーダーメイドで作りたいから、まだ我慢していると言っていたのは母様だったか。
更に恐ろしいのは、待ち構えているのは母様だけではない事だ。
兄様もヨハンも、なんだったら父様も。王族に生まれながら物欲が枯れている彼等は、自分自身の買い物には無頓着だ。経済を回す為、定期的に使うようにしているらしいが、気を抜くと貯まってしまうらしい。
そこに私の妊娠が判明し、ここぞとばかりに散財し始めている。
切実に止めていただきたい。
せめて晴れ着の何着かは、オルセイン侯爵家の皆様に譲ってあげてほしい。
お義父様もお義母様も穏やかな方だから抗議はされていないが、あちらにとっても孫だ。孫の服を作りたいな、という意思を遠まわし且つ控え目に伝えられている。
本当に申し訳ない。
王族相手には、呑み込んだ言葉も多かろう。ちょっとはこっちの顔を立てろとか、言い辛いよね。
いざという時は私が戦おうと思う。
「……幸せな悩みだわ」
愛で溢れた子供部屋を見回して、私はポソリと呟いた。
「ローゼ」
増えた贈り物の確認と目録の追加を終え、家令や侍女と共に子供部屋を出ると声を掛けられた。
「レオン、と……」
レオンハルト様の背後には、見慣れた顔が数名。
「どうしたんですか、ヴォルフさん。ミハイルも」
家令に目録を手渡してから、皆の方へと歩み寄る。
「仕事の報告に来たのよ」
「オレはただのお供です」
「放っておくと一日中働いているからね。無理やり休憩をとらせるために、連れてきたわ」
「い、言われてからは、ちゃんと休憩はとっていますよ?」
「五分やそこらで戻ってくるのを、休憩とは呼ばないのよ」
呆れ顔のヴォルフさんに軽く睨まれ、ミハイルは気まずそうに視線を逃がす。相変わらず、社畜適性が高過ぎる。
聞いている限りは、ヴォルフさんの主張が正しい。
しかし誤魔化すのが下手なミハイルが少し可哀想で、私はレオンハルト様と目を合わせて苦笑した。
「なら、私の休憩に付き合ってください。丁度、レオンを誘ってお茶をしようと思っていたところなんです」
『目録を確認しながら、お礼状を書く』という予定をそっと翌日に持ち越し、私は彼らにそんな提案をした。
「なるほど、それでレオンに報告がてら相談しに来たんですね?」
「そうよ。まったく、魔導師って強情なやつばっかりだわ」
ヴォルフさんの隣で目を輝かせながらマドレーヌを食べていたミハイルが、ギクリと肩を揺らす。
流れ弾に当たった彼は、ひょろりと縦に伸びた体をやや縮こまらせた。
「それは困りましたね。あ、良ければこちらもどうぞ」
相槌を打ちながら、焼き菓子の載った皿をヴォルフさんの前に移動する。プレーンのクッキーを一枚摘まみ、口に入れると、彼の眉間の皺がすっと消えた。
「あら、美味しい。こないだお客さんから貰った有名店のやつより好みだわ」
「ありがとうございます。料理人に伝えておきますね」
矛先が変わり、ミハイルが安堵の息を吐く。
うん、うん。安心して、もっとお食べ。
親戚の子供を見守るような気持ちになっていると、ヴォルフさんからジトリとした目を向けられた。
蜂蜜色の瞳が、不必要に甘やかすなと言っている気がする。
「まぁ、生き方なんてすぐに変えられるものじゃないとは分かっているんだけどね。それでも、自分を疎かにするのは見過ごせないわ」
目を伏せたヴォルフさんは、カップを手に持つ。
短く零した溜息が、紅茶の水面を小さく揺らした。
たぶん、テオ自身にその気はないんだろうな。
実際に自分を疎かにしている訳でもないと思う。ただ認識が違うだけ。自分に厳しい分、高く設定したハードルが、他の人からは理不尽に見えてしまうだけなんだろう。
現在、テオの発案で、薬の開発を進めている。
新薬ではなく、既存の薬の一部の材料を差し替えて、同等の効果のものを作れないかという試みらしい。
理由はいくつかある。
一つは価格。一部の薬草は貴重で、その分、薬自体の値段も跳ね上がる。また、材料の確保も容易ではなく、大量生産が難しい。
ミハイルのお陰で、フランメとは気候が違うネーベルでも根付かせる事は出来たが、医療施設での仕事もある彼に、これ以上の負担を強いる訳にはいかない。
ただ幸いな事に、同じような効果のある別の薬草がネーベルにもあった。
まだ代替が可能か慎重に調べている最中だが、もし成功ならば、薬の値段はぐっと抑えられる。
しかも既存の薬に使われている一部の薬草は、早産や流産の危険性を高める可能性があるため、妊娠中の頻繁な服用は禁じられていた。
貧血やむくみという、妊娠中に起こりがちな症状に効果のある薬なのに。
もし差し替えが上手くいったら、以前よりも安全で安価な薬が出来る、画期的な発明だ。
しかし、テオは成功したとしても自分の手柄ではないと言っているらしい。
たぶんテオは、既存の薬を作った方に申し訳ないんだろうな。
一から新薬を開発した訳ではないから、人の手柄を横から掠め取ったような気持ちになっちゃったのかもしれないと私は思った。
「少し、認識がズレているんだろうな」
レオンハルト様が独り言のように零す。
大らかな笑みを浮かべた彼は、「大丈夫だ」と続けた。
「テオは賢いから、すぐに気付く」
「……アンタまで頑固者達を甘やかす気?」
「いや? オレはローゼと違って甘くはないかな」
ヴォルフさんに冷ややかな目を向けられたレオンハルト様は、さらりと返す。
笑顔も声も、さっきまでと同じ。しかし何故か、ヒヤリと冷たいなにかが背筋を撫ぜたような心地がした。
きっと気のせい。そう気のせい。
思い込もうとしても、視界の端のミハイルが更に縮こまっていた事で出来なくなった。
日当たりの良い談話室に、温かいのか冷たいのか分からない空気が流れかけたその時。
少し強めに扉が鳴った。
入ってきたのは若い執事で、その表情に僅かな緊張が見て取れた。
「どうした?」
「医療施設から、使いの方がいらっしゃっております。どうやら急ぎの御用のようですが」
その言葉を聞いたヴォルフさんとミハイルは、同時に立ち上がる。
「急患かしら。すぐに行くわ」
「オレも行きます。あ、ローゼマリー様、ご馳走様でした!」
「慌ただしくてごめんなさいね。落ち着いたら、また顔を見にくるわ」
医者の顔になった二人は、私へ気遣いの言葉を残し、颯爽と部屋を出ていった。




