総帥閣下の夜話。(3)
※引き続きレオンハルト視点です。
その後も陛下は、視察中の出来事を話された。
陛下は饒舌な方ではないし、オレも口下手なため、盛り上がりには欠ける酒盛りだが、静かな空間は思いの外、居心地が良い。
気付けば、入室当初にはあった緊張感はどこかに消えていた。
「その菓子が……、何と言ったか。米を使った塩味の」
「ああ、『おかき』ですか?」
「それだ。あれはいい。おそらく、酒にも合う」
陛下は平時と変わらぬ顔色で無表情のままだが、機嫌は良さそうだ。
まさか陛下と政治以外の話をする日が来るとは思わなかったなと、不思議な気持ちになりつつも相槌を打った。
「ええ、合いますよ。エールにも、ワインにも。意外とシードルにも合います」
陛下は少し考えこんでから、「取り寄せるか」と独り言のように零した。
「塩味だけでなく、他の味も試作中らしいですよ。子供が生まれた後になるかもしれませんが、もっと種類を増やしたいとローゼが言っておりました」
オレがそう言うと、何故か陛下は動きを止めた。
「如何されましたか?」
「……アレが作ったのか?」
厳密に言うと作っているのは職人達だが、陛下が聞きたいのはそんな事ではないだろう。
「はい、ローゼが考案した菓子です」
「相変わらずだな」
陛下は目を伏せてから溜息を吐き出す。呆れているのか、感心しているのか。はたまた両方か。
どうやらローゼは『おかき』を陛下に勧めながらも、自分が考案した事は話さなかったらしい。無欲で奥ゆかしい、妻らしい。
「領主として成長したと思ったが、そこだけは変わらんか」
王女時代からローゼは、数々の華々しい功績を挙げながらも、主張する事は一切なかった。その謙虚さは美徳だが、同時に弱点ともなり得る。
陛下にも何度も苦言を呈されたようで、当人も気にしていた。だが、理解したからといって、性格はそう簡単に変わるものではない。
「今も変わろうと努力していますので、もう少し見守ってあげてください」
「お前がアレに甘いのも相変わらずだ」
フンと陛下は鼻を鳴らす。
しかし声にも表情にも、さほど険はない。
「それにローゼが主張せずとも、周りが挙って宣伝していますので」
ローゼは部下にも領民にも慕われているので、自ら主張せずとも手柄を横取りされるなんて事はまずない。
それに強い影響力を持つローゼの名を出した方が、商品の価値はあがる。件の菓子屋もそうだが、ただ単に物珍しい菓子として売るよりも、『領主の考案した菓子』として売り出した方が確実に売れる。
「だろうな」
そういう事ではないと呆れられる事を覚悟しながらした説明は、そんな一言でアッサリ肯定された。
オレは驚きに目を丸くする。
「何だ、その顔は。意外か?」
オレが素直に頷くと、陛下はグラスの中身を飲み干した。
「国王だろうが、領主だろうが、出来ない事はある。一人で全てやれなどと無理は言わん。アレの足りない部分を周りが補う事で上手く回っているのなら、ここでは、それが正解なのだろう」
話しながら陛下はワインのボトルを手に取る。持ち上げて空である事に気付いたのか、別のワインに手を伸ばした。
ラベルに書かれているのは同じ銘柄で、年代は十七年前のもの。当たり年のソレが途轍もなく高価な事は、もう気にしないでおこう。
雑な手つきで封を開けている陛下から目を逸らし、オレはさり気なく、国宝級のヴィンテージワインを陛下の手から遠ざけた。
代わりに、使用人が用意してあった我が家の酒をテーブルに並べる。
オレの小細工に気付いているだろうに、陛下は何も言わない。
開けたばかりのワインを躊躇いなくグラスに注ぎ、飲み下す。ふ、と熱気を体から押しやるように息を零した。
「アレは私の想像以上に、上手くやっている」
十分だ、そう付け加えられた言葉には、噛み締めるような響きがあった。
饒舌ではないはずの陛下は、滑らかに言葉を続ける。
街の発展速度や人の多さ、それに付随する問題と、速やかに対処するローゼの処理能力。
喜んでいるのか、それとも。殆ど変化のない陛下の表情から読み取る事は出来ないが、やや感傷的に聞こえたのはオレの気のせいか。
もしくは、既にオレの方が酔っているのかもしれない。
それほど弱いつもりはなかったが、陛下のペースに釣られて飲み過ぎた。思考にやや靄がかかっている。
だから、といえば言い訳になるだろうか。
いつもなら呑み込んだはずの言葉が、弾みで口から飛び出した。
「寂しいですか?」
陛下の薄青の瞳がオレを見た。
その温度のなさに、氷を心臓に押し付けられたような心地になる。
やらかした。
その言葉が頭の中を巡るが、一度口から出てしまったものは取り消せない。だったら開き直ろうと切り替えた。
「ローゼに不足があるのなら喜んで支えますが、残念ながら、私の出番は殆どありません。彼女は優秀で、割と何でも出来てしまうんです。それが誇らしくもありますが、たまに寂しいと感じているのも事実です」
「だから、私も同じだと?」
「はい。申し訳ございません。酔っ払いの戯言だと、聞き流していただければ幸いです」
細めた目で睨み付けられたが、笑顔でそう返す。
引き攣りそうな表情筋を叱咤しながら笑みを保っていると、興味を失くしたように陛下の視線が外れた。
「寂しいかどうかなど、私には分からん。そんなもの、生まれてこの方感じた事がないからな」
背凭れに身を預け、陛下はグラスを傾ける。
独り言めいた言葉の内容に動揺し、どう相槌を打てばいいか分からなかった。しかし、元から返事など期待されていなかったのだろう。
そのまま、話は途切れずに進んでいった。
「ただ、つまらんと思ったのは確かだ。アレは私が気に掛けるまでもなく、求めた以上の結果を出している。プレリエ領は今後も安泰だと確信させるだけの将来的な展望も、しっかりと持っている。私の出る幕はなかった」
「…………」
らしくもなく、やや自嘲するような調子の陛下の言葉を、オレは黙って聞いていた。
「馬鹿らしいな。気まぐれに餌をやっていた鳥が、知らぬ間に巣立っていたような、そんな益体もない感傷だ」
それを寂しいと呼ぶのですよ、なんて言葉は無粋というものだろう。
本当に、この親子は似ている。
優れた外見や能力よりも、不器用な愛情の示し方が、とても。
「……陛下のお気持ちは、私には分かりませんが」
ぽつりと言葉を零すと、陛下の目がこちらを向く。
「少なくともローゼにとっては、意味のない時間ではなかったようですよ」
帰宅後から就寝前までの、妻のはしゃいだ様子を思い出す。
子供の頃から子供らしくなかったローゼが、珍しく、稚い子供のように捲し立てていた。
「楽しかったみたいです」
「……そうか」
長い沈黙の後、陛下は呟く。
口角が緩く上がっていたのは、たぶん見間違いではない。




