総帥閣下の夜話。(2)
※国王に晩酌に付き合えと呼び出されたレオンハルト視点の続きです。
客室の扉をノックすると、短く入室を促す言葉が返ってきた。
「失礼致します」
「先に始めているぞ」
ゆったりとソファに腰掛けた陛下は、示すようにワイングラスを軽く掲げる。
風呂上りなのか、少し濡れた髪は生来の色であるプラチナブロンドに戻っており、服装もラフだ。
玉座に君臨する完璧な姿しか見た事がなかったせいか、寛いでいる現在の陛下は、まるで別人のように見えた。
向かいの席に腰を下ろす。
テーブルの上には、ワインのボトルが三本ほど置かれていた。どれも、うちのワインセラーにはない銘柄なので、陛下が持ち込んだものだろう。
「適当に選んで持ってきた。好きに開けろ」
「ありがとうございます」
見た事のない古いボトルに興味を惹かれ、手に取ってみる。
掠れたラベルの文字を、目を細めて読み取っていたオレは、ある事に気付いて驚愕する。衝撃に喉がきゅっと狭まり、おかしな音を立てた。
ラベルに書かれていた銘柄は、ヴィント王国北西部に位置するトロッケン地方の最も高い品質だと認められた畑で、ごく少量だけ生産される希少なワイン。
長期熟成したものが好まれ、中でも当たり年である十七年前と二十九年前のものは、高位貴族でも気軽には手が出せない代物だが、それ以上に価値のある逸品がある。
それが今、手元にあるワインに記された五十年前のワイン。
五十年前は気候や天気はワインの育成に適した年だが、虫害により、多くの葡萄畑が壊滅状態に追い込まれた年でもある。当然、生産量は極僅か。しかも、その後数年間はスケルツ王国とヴィント王国の間で小規模な戦が起こっていた為に、現存するのはほんの数本。
もはやただの嗜好品ではなく、歴史的遺物。オークションに出品されれば、おそらく王都に屋敷を建てられる金額が動く。
適当に選んだと言っていたが、もしや宝物庫から持ってきたのか……!?
固まっていたオレは、思わず封を確認する。
開けたのは別のワインのようで、一先ず、安心した。落とさないよう細心の注意を払い、テーブルに戻す。
「あの。こ、れは……」
「ああ、飲むか?」
事もなげに寄越された問いに、無言で頭を振った。
今飲んでもおそらく味が分からないし、一生分からなくていい。なんなら、そのまま持って帰ってくれないだろうか。
「同じものをいただきます」
「そうか」
頷いた陛下は、オレが手を伸ばす前にボトルを掴み、雑な手つきながらも、オレのグラスに注いでくれた。
使用人は下がらせているから仕方がないとはいえ、緊張はする。
グラスを軽く揺らすと、果実か花のような甘く複雑な匂いが香る。
一口含むと香りは変化して、より奥深くなった。舌触りは絹のように滑らかで、呑み込んだ後も長く余韻が続く。
間違いなく、これも一級品。さほどワインに詳しくないオレでも分かるほどに上等だ。
しかし陛下はまるで水かエールのように、味わいもせずにゴクゴク飲み干している。
そういえばクリストフ殿下が、『あの人に上等な酒は勿体ない』と零していた事があったな。
予算を渋る方ではないので、珍しい事もあるものだと思ったのだが、陛下の酒の飲み方と、全く変わらない顔色を見て、クリストフ殿下の言いたい事が少し理解出来た気がする。
「アレはどうしている?」
ぼんやりと取り留めのない事を考えていると、陛下が口を開く。
「ローゼなら、もう眠っている頃です」
「……体調が悪い訳ではないな?」
「はい、元気そうでしたよ。ただ、今日は一日外出していたので、大事を取って早めに休ませました」
「そうか」
短い言葉が返ってきた。
態度は素っ気なく、表情も変わりないように見えるが、声にほんの少しだけ安堵が混ざっているように感じた。
今回の突発的な視察の最大の目的は、やはりローゼの様子見だったのだろう。
「先週にも医師の診察を受けましたが、経過は良好だそうです」
「調子を崩していたと聞いたが、ならば精神的なものか?」
「おそらく。本人も上手く言語化出来ていない様子でしたが、子供について何か悩んでいたようです。ただ、もう解決したとも言っておりました」
「強がりではないと?」
「ええ、ローゼは顔に出ますから。当人の申告通り、もう大丈夫なのだと思います」
「……分かった」
陛下は、短い吐息と共に言葉を吐き出した。
言葉とは裏腹に表情は納得しきれていないように見えて、オレは思案する。
離れて暮らしている身重の娘が体調を崩したと聞いて飛んで来たのに、理由も判明しないまま、大丈夫だと言われても納得はし辛かろう。
とはいえ、ローゼが話したくない事を、わざわざ掘り返したくはない。
「もし気がかりでしたら、再度、医師を手配しますが」
「いや、いい」
陛下はグラスを高く傾け、中身を嚥下する。
空になったグラスに注ごうと動いたのを、手で制された。
手酌でドボドボとグラスにワインを注ぐ動作は、マナーもなにもあったものではないのに優美に見えるのは、生まれついての高貴さ故か、それとも芸術品のような美貌のせいか。
「……お前が大丈夫だと言うのなら、それが正しいのだろう」
「!」
淡々と告げられた言葉に、オレは目を丸くした。
正否の判断基準を他人に委ねるような言い方は、陛下らしくない。しかし、自信のなさの表れではなく、オレへの信頼だと勝手に解釈した。
オレがローゼの事をよく分かっていると、そう認めてもらえたようで嬉しい。
「それに、プレリエ領は現在、ネーベル王国内で最も医療の質が良い地域だ。職員も勤勉で優秀な人間が多いようだしな」
「確か、今日の視察先は治療棟ではなく、研究棟でしたね。ヴォルフとテオとお話しされたとか」
二人共真面目なので、見られて困るような仕事ぶりではなかっただろうが、それでも国王陛下直々の抜き打ち視察は緊張しただろう。
悪い事をしたなと、心の中で手を合わせた。
「ああ。どちらも優秀な男だが、特にテオ・アイレンベルクの成長は目覚ましいな。王城に囲ったままであったら、腐らせていた才能だ」
「彼の性分に合っていたんでしょうね」
テオはとても優しい男だ。
魔導師として魔法の腕を磨く事は、人殺しの技術を高める事のように思えて、無意識のうちに制限が掛かっていたのかもしれない。
自分の魔法が人助けに役立つと知った今では、魔法の威力も精度も格段に上がっている。
「才能の使い道が見つかったようだな」
「毎日、生き生きとしていますよ」
テオは現在、クーア族のご老輩方から薬学の指導を受けながら、薬の研究に参加している。
当初はあくまで助手という立場で、火魔法を使用し、薬の加熱や乾燥を担当する予定だった。それが当人の希望でもあった。
ところが指導を始めてすぐに、族長らはテオの優秀さに気付いた。
一度教えた事は必ず覚えている記憶力の良さ。曲解せず、手順を省かず、教えられた通りをなぞる素直さ。既存の考えに凝り固まった専門家には思いつかない柔軟な発想。基本も応用も難なく熟しながらも、復習を怠らない勤勉さ。
稀に見る逸材だと理解したご老輩方は目の色を変え、指導に当たった。代々、一族の人間にのみ受け継いできた知識を惜しまずに渡した。
その結果、テオは優秀な薬師となりつつある。
オレの目から見れば、既に独り立ち出来る技術と知識を身に付けているが、謙虚な当人の認識と厳しい指導者の高すぎる合格ラインのせいで、未だ卵扱いだが。
「ただ、性格は相変わらずだな。わざとか無意識かは分からんが、表に立つ事を避けている」
「主導権を握るよりも、横や後ろで手助けする立場を好むみたいですね。ですが、テオほどの才能をいつまでも仕舞っておく気はありません」
ニコリと笑みを浮かべると、陛下の目が丸くなる。
次いでスッと目を細め、口角を緩く上げた。
「それでいい。……いつまでも日陰に置いておくつもりなら、連れ戻す事も考慮した」
さらりと嘘を吐く陛下に倣い、オレも手酌で二杯目のワインを注いだ。




