総帥閣下の夜話。
※レオンハルト視点となります。
かなり甘めに仕上がっていますので、苦手な方は回避推奨(飛ばしてもストーリーに問題ないです)
「それでね、テオったら凄い顔をしていたのよ」
「それは見たかったな」
相槌を打ちながら、柔らかなプラチナブロンドにヘアオイルを塗り込む。
オレの無骨な指が繊細なローゼの髪を傷付けてしまわないよう、殊更、丁寧に。
寝台の横にあるテーブルの上の洒落たガラス瓶を取り、中のオイルを少量、手のひらに落とす。体温で温めてから、またローゼの髪にのばすように付けた。
酷く慎重なオレの手つきを見て、ローゼは苦笑する。
「レオン。そんなに丁寧にやらなくても大丈夫よ?」
「手を抜いたとバレたら、オレは侍女達に殺されるよ」
冗談だと思っているローゼは、『あはは』と軽やかに笑う。しかし、あながち冗談とも言い切れない。流石に物理的な攻撃はされないと思うが、暫く肩身が狭くなる事は確定だ。
何せ、侍女の仕事であるローゼの世話を、オレの勝手で奪ったのだから。
今日はローゼが国王陛下の視察に同行していた為、ずっと別行動だった。
たかが半日、されど半日。いつも傍にいた弊害か、胸に小さな穴が開いたような寂しさを感じてしまった。
情けない事だと、自分でも思う。
けれど開き直っているオレは、今更、ストイックに自分を戒めたりはしない。欲に従って、足りなかったローゼとの時間を補うべく、湯上りのローゼの世話を譲ってくれと侍女達に頼んだ。
侍女達は当然、渋った。自分の仕事に誇りを持っているというのもあるだろうが、彼女達はローゼに心酔している。
自分達の手で日々、丁寧に磨き上げている美しい女主人の世話を、粗雑な男に任せたくなかったのだろう。
オレに引く気がないと悟った侍女達は、不承不承といった体で了承。オレに、手順や加減を事細かに叩きこんだ。
ここでしくじれば、たぶん二度と任せてもらえない。
オレは侍女達の説明を忠実になぞった。
「それに、オレが好きでやっているからいいんだ」
「……楽しいの?」
「凄く」
口角を薄く上げて、答える。
するとローゼは意表を突かれたように目を見開く。驚いた猫のような目が元の大きさに戻るのに合わせて、視線が泳ぐ。
「……そう」
頬を淡く染めた彼女は自分の髪を一房手に取り、手慰みのように指にくるくると絡める。照れが滲む声は聞き洩らしてしまいそうなくらい、小さかった。
「いつか爪の手入れもやらせてほしいな」
「えっ……、ツメ?」
「そう、爪。技術が圧倒的に不足しているから、当分、先になると思うけれど」
髪にオイルを塗る程度なら、ギリギリ許してくれる侍女達も、爪の手入れは断固拒否するだろう。オレ自身もまだ怖くて手が出せない。自分の爪なら、欠けようが割れようがどうでもいいが、ローゼの爪が傷つくのは絶対に嫌だ。
「な、なんで……?」
「楽しそうだから」
「なんで!?」
ローゼは心底、理解出来ないという顔をした。
何故と問われて、即座に答えは思い浮かぶ。けれど、正直に話して引かれたくない。
『自分の宝物を自分の手で丁寧に磨き上げたい』という俗な欲求は、この清廉な妻に、果たして理解してもらえるだろうか。
数秒悩んだオレは、無言でローゼの手を下から掬い上げるように取る。引き寄せてから、ウロコのような小さな爪に口付けた。
「内緒」
「……っ、顔が良い……!」
ローゼは、悔しそうに小さく呻いてから天を仰いだ。
宗教画の天使みたいな姿をしているくせに、オレ程度の容姿で悶えるのだから不思議な感性をしている。
でも、妻の好みに合致しているのなら、この顔に産んでくれた事を母に感謝しよう。
「色気がすごい……ずるい……」
ローゼがブツブツと何事かを呟いている間に、用意してあった布でローゼの髪を優しく押さえて、余分な油分を落とす。
艶の増したプラチナブロンドの輝きを満足気に見つめてから、自分の手も布で拭った。
「ほら、顔を上げて。最後の仕上げをするから」
「……はーい」
ローゼの髪を軽く纏め、用意しておいた絹の布で包む。
ローゼは『ナイトキャップ』と呼んでいたが、帽子というよりはヴェールか異国の民族衣装のようだ。
「はい、終わり」
露わになった形のよい額に唇を落とす。
「ありがとう」
「うん、またやらせて」
ローゼからの返事はなかったが、嫌がっている訳ではないと赤く染まった耳が教えてくれる。
未だに初々しい妻は、たぶん恥ずかしがっているだけだと前向きに受け止めておこう。
道具を片付けながら、時計に視線を向けると、国王陛下との約束の時間が迫っていた。
「そろそろか」
「父様と約束しているんだっけ?」
「そう。だから、先に休んでいて」
「……大丈夫?」
ローゼの眉がやや下がり、心配そうな顔になった。
「大丈夫」
晩酌に付き合えと言われた時には驚いたが、別に嫌ではない。
あの方は自分にも他人にも厳しいが、理不尽な事は言わない。もしお叱りを受けたとしても、それ相応の理由があるはずだから、腐らずに受け止めるつもりだ。
それに晩餐の時の穏やかな顔つきを見る限り、そう悪い話でもない気はしている。
「虐められたら教えてね。私が仕返しするから」
「もう少し、信用してあげて」
意気込むローゼに、オレは苦笑して返した。
寛容で滅多に怒らないローゼだが、父親である国王陛下にだけは少し当たりが強い。昔の関係性を思えば警戒するのも仕方ない事ではあるが、気は許しているようにも見える。今日も出発前は憂鬱そうな様子だったのに、帰ってきた時には良い笑顔になっていた。
だから、ローゼは国王陛下の事を嫌っている訳ではないと思う。
おそらく、その逆。きっとローゼなりに、父親に甘えているのだろう。ごく普通の父と年頃の娘のように、互いの様子を窺いながら距離を測っている。
そう思えば、二人の不器用な様子が微笑ましく見えた。
「オレは平気だから、ほら、休んで。今日は一日出かけていたから、自覚はなくても疲れているはずだ」
腰に腕を回して支えながら、ローゼの細い体を寝台に横たえる。
膨らんだ腹部が内臓を圧迫しないよう、横向きにしてから、布団を引き上げた。
ローゼは寝かしつけられた事が不満なのか、拗ねた子供みたいな顔をしていたが、瞼は重そうだ。
重力に負けてくっつきそうなのを押し上げて、じっとオレを見つめる。
「おやすみ」
「……おやすみなさい。あんまり、飲み過ぎないようにね」
少し寂しそうな声に離れがたい気持ちになるが、約束を破る訳にはいかない。後ろ髪を引かれる思いをどうにか抑え込み、寝室を後にした。




