転生公爵の難題。(2)
一晩経ったら、なかった事になってないかな。
そんな現実逃避をしたところで、もちろん、意味なんてあるはずもなく。父様の視察の申し入れは普通に受理され、レオンハルト様は粛々と準備を進めた。
いくら身内とはいえ、国王の訪問ともなれば一大イベント。盛大な歓迎の宴でも開くべきだろうかと考えたけれど、その必要はないとの事。
父様はあくまで、プライベート。お忍びで来るつもりのようだ。
ありのままの姿を見たいので、医療施設の職員や街の人々にも知らせる必要はない、という意向らしい。
国王がお忍びで視察。それって、抜き打ち監査って呼ばない? という思考が過ったけれど、頭を振って消した。
プレリエ領に後ろ暗い事はない。いつ何処を見られても大丈夫……なはずだ。
私が余計な心配をしている間にも時間は経過し、一週間後。
父様の来訪予定、当日を迎えた。
玄関先で待ち構えていた私達の前に、颯爽と三頭の馬が駆けてくる。
もとより王家の家紋の入った豪奢な馬車で来るとは思っていなかったが、まさか騎馬とは。悉く、予想を裏切る人だ。
毛艶の良い鹿毛の馬に跨っていた人物は、従者の手も借りずに地面に降りる。無駄のない動きにも拘わらず、不思議と優美さを感じた。
見上げるような長身。外套の上からでも見て取れる均整のとれた体付きは、デスクワーク中心の生活をおくっているとは思えない仕上がりだ。
濃いグレーのシャツに黒いベストとトラウザーズというシンプルな服装が、スタイルの良さを更に際立たせている。
パサリと乾いた音を立てて外套のフードが後ろに落とされると、作り物めいた美貌が現れる。
「……」
私は唖然としながら、その姿を凝視した。
美形揃いの王家の中でも、抜きん出て美しい顔をしているのは知っていた。でも家族である私は見慣れていたし、何より性格の悪さを知っていたので、美術品を眺めるような感覚しかなかった。
だから今更驚くなんて、あり得ないはずだったのに。
「だれ……?」
ぽつりと零した独り言を拾ったのか、形の良い眉が顰められる。
長い睫毛に縁取られた青い瞳を眇め、彼は不愉快そうに私を見据えた。
「随分なご挨拶だな」
不遜な声は、私のよく知る父様のもの。
しかし姿が違う。癖のないプラチナブロンドは、染粉を使ったのか、レオンハルト様のような黒髪に変わっていた。
しかも、いつもは下ろしている前髪を後ろに流しているので、国宝レベルの顔面が惜しげもなく晒されている。
一筋だけ零れた前髪が秀麗な額に陰を落とし、ストイックな美貌に色香を加えた。
その顔かたちは間違いなく父様なのに。
傲慢不遜を人の形に固めたような父様なのに。
一瞬でも、恰好良いと思ってしまった自分に衝撃を受けた。
「おかしな顔をして、どうした?」
心の中で動揺する私に、父様は不思議な生き物でも見るような目を向ける。
「生まれつきです」
「そうか」
フンと鼻を鳴らす父様を見て、気持ちが落ち着いてきた。
顔を見ても、もう『腹立つな』としか感じない。やっぱり気の迷いだったらしい。
無表情の父様は同行者に手綱を預けると、ツカツカと私の前まで歩いてきた。
「な、なんですか……?」
無表情の父様は、おもむろに手を上げる。
思わず身構える私の頭を、宥めるように優しく二度、ポンポンと叩く。
「!?」
「体調を崩したと聞いていたが、その調子なら大丈夫そうだな」
「え……」
ぽかんと見上げる私を、父様はもう見ていない。私の隣に立つレオンハルト様の方を向いていた。
「短い間だが世話になる」
「ようこそおいでくださいました。一同、歓迎致します」
レオンハルト様は父様に頭を下げる。
彼はちらりと呆けている私を見て、苦笑した。
「ローゼ、案内をお願い出来る?」
レオンハルト様に小声で聞かれ、我に返った私は慌てて頷いた。
案内を申し出た私の後を、父様は何も言わずについてくる。同行者である護衛二人もそれに続いた。
どちらも顔に見覚えがあり、騎士団でも指折りの実力者であったはず。
とはいえ、護衛の数があまりにも少な過ぎる。
見えないところにカラス達が配置されているのかもしれないけれど、あまりにも少数精鋭でこちらが不安になった。
「こちらです」
客室に案内すると、遅れて荷物が運ばれてくる。
しかし、その荷物も王族にしては……否、下位貴族と比べても少ない。あちこち視察に出かけており、旅慣れているヨハンよりも軽装なのは一体、どういう事か。
「……荷物、これだけですか?」
「たった一泊だ。十分だろう」
父様はケロリと言いながら、外套を脱ぐ。
確かに前世の常識で考えると、一泊二日の旅行なんてこんなものだろうが、父様は王族だ。着替えだけで、馬車一台分あってもおかしくないというのに。
少ない手荷物に、シンプルな服装。少人数の護衛をつれて馬で移動。
どれも私の中の父様像と違い過ぎる。威風堂々たる姿で玉座に君臨する『国王』のイメージから大きく外れていた。
なんとも言い難い複雑な心境が、顔にも出ていたらしい。
父様は私をじっと見た。
また『おかしな顔』と言われるかと思いきや、父様の眉間に皺が寄る。
「おい」
「何でしょう?」
「いつまで突っ立っている気だ」
「……失礼致しました」
カチンと来た。
確かに、到着したばかりで落ち着かないだろうし、案内係にずっと居座られるのは不快だろう。でも、だとしてもだ。言い方ってもんがあるでしょうが。
ただ腹は立つが、父様らしくて、ちょっと安心したのも事実だ。
「では、私はこれで……」
「そんな体でフラフラするな。座れ」
「え?」
戸口付近にいた私の前に来たかと思うと、父様は私の手を取る。
もう片方の手を背中に回し、エスコートするように部屋の奥へと導いた。
その手つきがあまりにも優しくて、驚愕している間にソファに座らされていた。
傍らに跪いた父様は、私を覗き込む。
「寒くはないか?」
「……だれ?」
本日、何度目になるか分からない放心状態のまま、さっきと同じ言葉を口にした。
すると、軽く目を瞠った後、父様はふっと表情を緩める。
「お前の父だ」
いや、本当に誰?




