転生公爵の夢幻。
気が付いたら、真っ白な空を見上げていた。
「……ここは?」
緩慢な動作で辺りを見渡してみるが、前も後ろも、右も左も何もない。上下すら不明瞭になりそうなほど、混じり気のない白い闇が広がっている。
「なんで、ここにいるんだっけ?」
首を傾げても、何も思い出せない。
頭がやけにぼんやりしていて、考えようとした傍から、ボロボロと記憶が零れ落ちていく。
「……何か、探していた気がする」
必死に頭を働かせても、断片的な事しか思い出せない。
けれど、酷い焦燥感だけが胸の奥で燻っている。何かに急き立てられるように、一歩踏み出した。
何を探していたのか、思い出せない。
とても、とても大切なものだったはずなのに。
記憶を探ろうとすると、頭が痛む。
思い出すなと頭の中で誰かが叫んでいるかのように、考えれば考える程に痛みが増す。それでも何故か止める気にはならなくて、頭を押さえながら前に進んだ。
「どこ?」
ふらふらと覚束ない足取りで歩いていると、周囲は森へと変わっていた。
枯れている訳ではないのに、木の幹も枝も葉も真っ白。足元の茂みも、散らばる落ち葉も、ペタペタと裸足の跡が残る土の道すらも白い森の中を、あてどもなく進む。
屈んで、茂みを手で掻き分け、つま先立ちで木の洞を覗き込む。目についた全てを探っても見つからない。どこにもない。
「どこ?」
どれくらい歩いたのか、それさえも分からない。
いつの間にか森から、大きな建造物へと景色が変わっていた。白いレンガで出来た建物は、朽ちてボロボロ。生き物の気配がしない。まるで廃墟だ。
目の前に伸びる通路を挟むように、両側、等間隔に同じ形の扉が並んでいる。
どこまでも続いており、先は霞んで見えない。
一番近い扉の錆びた把手を掴み、押した。
中は空っぽで、何もない。片っ端から全て開けてみても、何処も一緒。家具や生活用品どころか、ゴミすらも落ちていなかった。
「どこ?」
果てが見えないと思っていた通路が唐突に終わり、視界が開ける。バスケットコートがまるまる入りそうな広い空間には、やはり何もなかった。
上を見ると、通路と同じく霞んで見える。壁との境界を見失いそうなほどに高い天井を見上げているのにも飽きて、再び足を動かす。
広場の中央まで進んでから、立ち止まった。
「どこにいるの?」
がらんどうの空間に、私の声だけが空しく響く。
意図せず発した言葉で、自分が探しているものが生き物であると気付いた。
そうだ。私が探していたのは……。
「……っ」
突然、頭が割れるように痛みだす。さっきまでの比ではない。
鈍器で殴りつけられたような痛みに耐えかねて、私は崩れ落ちるように、その場に膝をついた。
蹲って頭を抱え、痛みをただ耐える。
けれど痛みは引くどころか、増すばかり。
痛い、痛い、痛い。
それ以外、何も考えられない。何も――。
『もういいよ』
「……っ?」
頭上から降ってきた声に、一瞬だけ激痛を忘れた。
弾かれたように顔をあげるけれど、目の前には誰もいない。
『もう苦しまなくていいから。忘れて、いいから』
「いやよ……っ!」
反射的に叫ぶ。
探しものも、忘れている記憶も、何一つ思い出せないのに。ただ、本能が命ずるままに否定した。
『そのまま帰って、休んで』
「いや、嫌よ。まだ見つけていないわ」
空から落ちてくる声は、労りに満ちている。
だというのに不思議と、私の中に反抗心が芽生えた。駄々をこねる幼子のように首を振って、抵抗する。
『大丈夫。貴方の大切なものは、ちゃんと腕の中にいるよ』
「え?」
虚を衝かれ、唖然とした声が洩れた。『ほら』と不思議な声が促すのに従って、視線を下げる。
私の膝の上には、さっきまではなかった真っ白な塊がいた。タンポポの綿毛みたいな、ふわふわの毛並みを持つ白い仔猫だ。
丸まった仔猫のお腹は、小さく上下している。眠っているのか、ぷうぷうと可愛らしい寝息が聞こえてきた。
あまりにも愛くるしい姿に、自然と顔が綻ぶ。
「気持ち良さそう」
『うん、幸せそうだ』
私の独り言に、誰かが相槌を打つ。
その声の主はとても嬉しそうに、『良かった』と呟いた。
『貴方も、そろそろ眠って。ほら、目を閉じよう』
「駄目よ」
即座に却下すると、沈黙が返ってきた。
姿は見えなくとも、呆れているような、困っているような空気は伝わってくる。
『大切なものは、ちゃんと見つかったよね?』
「ええ、でも足りない」
『一つで十分でしょう?』
「いいえ、二つ欲しいわ」
『……強欲はいずれ、身を亡ぼすよ』
「それでも。どちらも私に必要なの」
迷いなく返すと、相手の声には逆に戸惑いが混ざり始める。
仔猫を落とさないように、大事に胸に抱き寄せながら、ゆっくりと立ち上がった。
『止まって!』
一歩踏み出すと、慌てたように制止される。
けれど私は、歩みを止めなかった。
『きっと後悔する!』
「しない」
言い切った私の目の前に、大きな扉が現れる。
石組みの枠に嵌った両開きの大扉。かなり古いのか、錬鉄製の飾りは錆びており、木製の扉本体も随分傷んでいる。
把手に手を掛けると、悲鳴のような声が上がった。
『止めろ!!』
声を無視して、把手を引く手に力を籠める。
かなりの重量がありそうな見た目に反し、扉は貧弱な私の力でも開ける事が出来た。
細い隙間から、向こう側が見える。
白一色で構成されている此方側とは真逆で、扉の向こうは黒一色。何も見えない。
『暗い』とは違う。
此方側の光が差し込んでも、中の闇は欠片も揺るがない。光さえも飲み込むような暗黒が向こう側には広がっていた。




