転生公爵の驚愕。
レオンハルト様の助力のお陰か、ニコルちゃんとの契約は、双方が納得する形で結ぶ事が出来たと思う。
絵師としての環境を整える為に、公爵家の一室を提供する事も考えたが止めておいた。ニコルちゃんは聡明だが、まだ子供だ。精神的な支えとなっている神父様や、養護院の家族達と引き離すべきではない。
まずはお試しで、住まいは養護院のままで、学ぶ時は公爵家に通ってもらう形にした。彼女の成長と共に不便が生じる可能性もあると思うので、その場合は都度、変えていこうと思っている。
依頼品に関しては急がなくていいと言ってあったんだけれど、恐るべきスピードで納品された。
絵を描くのがとても楽しくて、気付いたら仕上がっていたらしい。
無理はしないでねと念を押したけれど、ちゃんと伝わっているのか不安だ。
付き添いの神父様も、苦笑していらした。
どうやら神父様もニコルちゃんの体を心配しつつも、止められなかったようだ。
養護院に来た当初のニコルちゃんの思い詰めた様子を思えば、今の生き生きとした彼女を応援したくなる気持ちは分かる。
寝食を疎かにはしていないようだし、他の子供達ともちゃんと交流しているようなので、暫くは見守ってもいいかもしれない。
「まぁ、気持ちは分かるわ」
ヴォルフさんは、ズズッとお茶を啜りながら呟く。
「子供って、出来る事が増えると夢中になるものよ。私も薬の調合を覚えたての頃は、寝る間も惜しんで没頭していたわ」
「私も、傷薬を量産し過ぎて叱られましたよ」
昔を懐かしむようなヴォルフさんの言葉に、リリーさんが同意する。
街まで出たついでに医療施設に寄ってみたら、丁度、ヴォルフさんとリリーさんが休憩をしていたところだった。
お茶に誘われ、話の流れでニコルちゃんの話題を出したら、二人は思いのほか興味を示したようだ。
「お二人も子供の頃から、薬師になりたかったんですか?」
「私達の場合は、他に選択肢が無かったっていうのもあるけれど。幸いにも、なるべき職となりたい職が一致していたのよね」
「周りの大人を見て育つので、自然とそういう考えになったんだと思います。お爺様達は尊敬出来る人ばかりなので」
「薬師としては立派だけど、偏屈なくそジジイばっかりじゃない」
憎まれ口を叩いているヴォルフさんが、彼等を尊敬し、認めているのは私でも知っている。
リリーさんと二人で生ぬるい視線を向けると、「何よ」と睨まれたので、顔を見合わせて笑った。
不貞腐れた顔をしていたヴォルフさんだったが、ふっと表情を真面目なものに変える。
「……でも確かに、その点では環境には恵まれていたと思う。誰もがなりたい職に就ける訳じゃない。なるべき職業を好きにならせてくれた事には感謝しているわ」
クーア族の薬師達が優れているのは、技術だけの話ではない。彼等は皆、勤勉で、実直で、己の仕事にプライドを持っている。
だからこそ子供達は、安心してその背中を追えるんだろう。
「今はクーア族の在り方も変わりましたから、必ずしも薬師にならなくてはいけないって訳ではありません。それでも、私もお爺様達みたいな大人になりたいです。将来、私達の仕事ぶりを見て、子供達が薬師になりたいって思ってくれたら素敵ですよね」
リリーさんはそう言って、はにかんだ。
そんな彼女を見て、ヴォルフさんはニヤリと笑う。
「あら。もう子供の事まで考えているのね」
「へ……、えっ!?」
ぽかんとしていたリリーさんの顔が、一拍空けて真っ赤に染まった。
おやおやおや。
今までにはなかった反応だ。
リリーさんは落ち着いた淑女なので、滅多に動揺しない。特に恋愛関係は興味がないらしく、話を振られてもスルーしていた。
ミハイルとは前から仲が良かったが、異性として意識している風ではなかった。二人ともがのんびりしているので、進展するにしても数年かかりそうだなと思っていたんだけど。
「べ、別に、私とミハイル様は何も……」
「あらあらぁ? 誰もミハイルの名前なんて出してないわよぉ?」
「!!」
ヴォルフさんが至極楽しそうに、リリーさんをいじっている。
愕然とするリリーさんには申し訳ないが、見守っている私もニヨニヨしてしまっている。
少し前に、ミハイルが一方的にリリーさんを避けてしまっていた時期がある。既に解決しており、二人の仲も元通りになったと思っていたが。
まさか良い方向に変化していたとは。
「い、い、一般論として、私はですね。子供達が尊敬出来る大人になりたいと言っているのであって、具体的に、その、じ、自分の子供の話をしている訳では……」
真っ赤な顔で涙目のリリーさんが、必死に弁明している。
とても可愛らしいが、流石に気の毒になってきた。
「ええ。学び舎が始まれば、世界各地から子供達が集まってきますから、私達大人は、良い手本にならないといけませんよね」
そっと助け舟を出すと、リリーさんは目に見えて安堵する。
「そう、そう言いたかったんです。お分かりいただけました?」
「まぁ、そういう事にしておいてあげるわ」
リリーさんに鋭い目を向けられたヴォルフさんは、臆する事なく飄々と笑った。
「ところでマリー。アンタの子供はどうなのよ?」
「え? どうとは?」
急に水を向けられ、今度は私が目を丸くした。
「子供が将来、何になりたいかって話ですか?」
「それも気にはなるけど」
「マリー様のお子様なら、望めばきっと何にでもなれます」
ヴォルフさんの言葉に被せる勢いで、リリーさんがきっぱりと言い切る。
以前から薄々気づいていたが、リリーさんは私を過大評価し過ぎているきらいがある。
私自身の能力は人並みかそれ以下だって、つい先日、レオンハルト様との会話で改めて実感したばかりなのに。
でも、曇りのない真っ直ぐな目で言われると否定もし辛い。
「まぁ、旦那の有能さとアンタの粘り強さを考えたら可能性は無限大ね」
ヴォルフさんは私の不器用さをよく理解してくれているようで、精神面のみ褒めてくれた。
「でも、お腹の子供が男の子なら、公爵家の当主確定じゃない?」
「確かに後継は必要ですが、子供達の意思も大事です」
膨らんだお腹を、そっと摩る。
レオンハルト様と同じように、騎士の才能があるかもしれない。隔世遺伝で父様に似たら、それこそ当主向きだ。
以前レオンハルト様と話していたように、子供が魔力を持って生まれたら、テオ達のように立派な魔導師になるという道もある。
どんな才能があるのか、どんな夢を持つのか、今はまだ分からない。
希望通りの進路を進ませてあげられるかも、まだ分からないけれど。それでも、この子達の味方である事は絶対に変わらないから。
どんな道を選んでも、お母様は、貴方達を応援し続けるって誓うわ。
「そうね、それに一人っ子とは限らないものね。アンタ達夫婦は仲が良いし、弟と妹がたくさん出来るかもしれないわ」
「……え」
少しのからかいを混ぜたヴォルフさんの言葉に、私の口からは唖然とした声が洩れた。
「どうしたの?」
「一人っ子……」
茫然とした私がぽつりと零すと、ヴォルフさんは気づかわしげな顔つきになる。
「……もしかして、余計な重圧を与えちゃった? ごめんなさい、無粋な発言だったわね」
「そうじゃなくて」
頭を振ってから、改めて自分のお腹に視線を向ける。
以前よりもずっと目立つようになった腹部には、新たな命が宿っているのは疑いようもない。
お医者様にも問題ないと言われている。
けれど、ふと今になって気になった。
私は何故か、ごく当たり前の事のように、お腹の子供が双子だと思っていた。そうなる事が自然だと思い込んでいたせいで、先生にすら確認しなかった。
でも、本当に双子が宿っていそうなら、お医者様はそう言うのではないだろうか。
お腹の大きさも、一人と二人では変わるだろうし、他にも体調の変化など、兆候が見られる気がする。
でも、お医者様には何も言われていない。
つまり、言われていないって事は。
「え……、双子じゃ、ない……?」
自分の言葉に、私は途轍もなく大きなショックを受けた。
どうしてショックを受けているのか、なんで今自分が泣きそうなのか、その理由すら分からないのに。




