炎魔導師の驚き。(2)
※前回に続き、テオ視点です。
子供のように拗ねた自分が恥ずかしかったのか、姫様は照れを誤魔化すように、咳払いを一つした。
「いいわ。絵も文章も才能がないって、自分でも分かっているから」
咄嗟に否定しようとしたが、言葉が見つからなかった。意図せず姫様の絵を酷評してしまったオレが、『そんな事はない』と言っても信ぴょう性がまるで無いだろうから。
しかし擁護の声は、思わぬところから発せられた。
「そんなこと、ありません」
声の主はニコルだった。
初対面の時の冷めた目とは違い、彼女は生気に満ちた目で姫様を見つめる。
「私、ここにきてから沢山の本を読みました。専門的な知識の本も、物語も色々読みましたが、この本が一番好きです」
「! そ、そうなの……?」
目を丸くした姫様の頬が、ほんのり紅潮する。
「はい」
「で、でも、絵だけじゃなくて文章も拙かったでしょう? きっと専門家の方に依頼すれば、もっと素敵な本になると思うの」
認められて嬉しいけれど、仕上がりに納得出来ていない。
姫様の言葉からは、そんな葛藤が読み取れた。
けれどニコルはキッパリと、首を横に振る。
「これで十分……、ううん、これが素敵なんです」
養護院に来て日が浅いニコルとは、まだ、まともに会話した事すらない。けれど、年齢にそぐわぬ落ち着きを持つ、聡明な子だという事は分かっている。
そんなニコルが絶賛する本の内容が、オレはとても気になった。
ニコルに好意的な目を向けられ、姫様が狼狽えている隙を見て、そっと本を開く。
個性的な羊とハリネズミの絵の上に、大きく書かれた題名は『クロとシロ』。
表紙を捲ると、これまた味のある絵が大きく描かれ、短い文章が添えられていた。
子供向けなのだろう。難しい言い回しは一つもなく、文字もかなり大きめだ。文は短く区切り、行間を空けて読み易くしてある。
確かに本業の作家のように詩的な表現はないが、子供向けならば、寧ろこちらの方が正解だとオレは思う。
肝心の内容を確認するべく、オレは文章を読み進めた。
主人公は、白い羊のシロと黒いハリネズミのクロ。
シロはひつじ村で生まれ、優しい両親と兄弟に囲まれて暮らす末っ子の子羊だ。
ひつじ村は、羊しかいない平和な村。
けれど森の奥には、鋭いキバとツメを持つ恐ろしい生き物、『オオカミ』がいる。だから森の奥には入ってはいけないと、シロは両親に何度も言い聞かされていた。
しかし、ある日シロは、誤って森の奥へと迷い込んでしまった。
そこで出会ったのがクロだ。
クロは小さな頃に両親を亡くし、一匹で暮らしているハリネズミだ。
いつものように木の実を採りに来たクロは、偶然、迷子のシロを見つけた。他の生き物と関わるのが苦手なクロだが、泣いているのを放っておけなくて声を掛けた。
けれどシロは、クロを見て逃げ出した。
鋭いトゲだらけのクロを、シロは『オオカミ』だと勘違いしてしまったからだ。
クロは怯えられた事に傷つきながらも、どんどん森の奥へと進んでいくシロを見捨てられずに後を追った。
シロが疲れて動けなくなったのを見計らい、クロは何もしないと説明した。自分のトゲは攻撃する為ではなく、身を守る為にあるのだと。
シロはクロに謝って、村まで送り届けてもらった。
そこから、シロとクロの交流が始まる。
世間知らずのシロと苦労性のクロ。姿も性格もまるで正反対。
けれど二人は互いに好感を持ち、徐々に仲良くなっていくうちに色んな事に気付かされる。
シロの家族は、シロがクロと仲良くする事にいい顔をしなかった。
クロを悪く言う家族にシロは怒るが、途中で、自分もクロに同じ事をしたと気付く。迷子になった自分を心配し、助けてくれようとしたクロから逃げた事を改めて後悔した。
クロはシロと仲良くなっていく過程で、自分の弱さを知った。
クロはシロと些細な喧嘩をした時、仲直りするよりも先に逃げようとしてしまった。嫌われるくらいなら離れようとした時、シロはそれを許さなかった。
ごめんくらい言わせてよと泣かれ、クロは自分の臆病さがシロを傷付けた事に気付いた。
『クロとシロ』は時に喧嘩し、時に支え合いながら、姿かたちの違う二匹が、ゆっくり親友になっていく物語だった。
男児が胸躍るような冒険はない。女児がときめくようなロマンスもない。
言ってしまえば、ごく平凡な日常を丁寧に描いた話。
けれど、気付いたら夢中で読み耽っていた。
それはきっと、この話が他人事ではなかったからだ。
「クロは私です」
ニコルの声に、ハッと我に返る。
「そして、たぶん、……シロも私なんです」
躊躇いながら続けた言葉に、オレは小さく頷く。同じ気持ちだった。
オレは偏見の目に晒されるクロであり、同時に、先入観に捉われ、誰かを傷付けてしまうシロでもあった。
オレやニコルだけではない。きっと誰にでも当て嵌まる。
「私が生まれた村は何もない田舎で、余所者が移住してくる事もなく、村中が親せきみたいな関係でした。顔立ちも似ていて、髪も目もみんな茶色。私みたいな青い目の子なんていなかったから、祖母は私を隠したかったみたいです」
ニコルがぽつぽつと自分の生い立ちを話し出す。
「小さい頃はもっと髪色も明るくて、余計に目立っていたから仕方なかったんだと思います。そんな髪と目の人、たまに来る領主様しか見たことなかったし」
ニコルの言葉に、オレは息を呑む。
自分の父親が誰なのか。仮にそれが真実でなくとも、周囲の人間がどう見ているのかを、この子は理解しているのか。
この時ばかりは彼女の聡明さが、痛ましく思えてしまった。
オレを含めた大人達の表情が曇るのを見て、ニコルは眉を下げた。
「大人はみんな勝手で、誰も信じられなかった。いっぱい勉強して、早く大きくなって、一人で生きて行こうって、そう思ってた。……でも、勝手なのは私も同じでした。沢山の人の優しさで、私は今ここにいるのに。ここまで一緒に連れてきてくれた商人のおじさん、神父様、テオさん、領主様。ここの皆だって私に優しくしてくれたのに、つんけんして遠ざけた」
ニコルは恥じ入るみたいに俯く。
「シロに『クロから逃げるなんて酷い』って怒っていたのに、最後まで読んで、自分が恥ずかしくなった。シロはちゃんと気付いて謝ったのに、私は誰にもごめんなさいって言ってない。たくさん優しくされたのに、ありがとうも言ってない。私の方がずっと、ずっと、シロより酷い」
小さな、小さな声でニコルは絞り出すように『ごめんなさい』と言った。くしゃりと顔を歪める彼女の頭を、神父様は撫でる。
慈愛の籠った目でニコルを見つめ、小さな体を優しく抱きしめた。
その様子を見守っていた姫様の鼻も、ほんのり赤い。
涙が滲む目元をハンカチでそっと押さえ、姫様はスンと鼻を鳴らした。
大人になっても、涙もろいところは変わっていないらしい。
それから暫く経ち、泣き止んだニコルは、改めて姫様に本の感想を伝えた。
身振り手振りを交え、目を輝かせて好きな場面を語るニコルを、大人達は微笑みながら見守る。
「ニコル。自由時間に、好きな場面の絵も描いていましたよね? 領主様に見ていただいたらどうかな?」
「えっ、凄いわ。見たい。見せてくれる?」
今度は姫様が目を輝かせると、ニコルは恥ずかしそうに頬を染めながら、ポケットから折り畳んだ紙を出して広げた。
覗き込んだオレと姫様は、同時に言葉を失う。
四つ折りの線が入った紙に描かれているのは、蹲る子羊と、そんな子羊に少し離れた場所から話しかけるハリネズミの絵。
おそらく逃げ出したシロを追いかけたクロが、誤解を解こうとする場面だ。
「凄い……!」
姫様とオレの声が重なった。
ニコルの絵は、端的に言って上手だった。それも、凄く。
シロの羊毛とクロの針の質感。背景の森。怯えるシロの様子を窺うクロの不安そうな表情。どれをとっても、子供のお絵かきなんて枠には収まらない。
姫様が専門家に依頼したものだと言われても、信じてしまいそうな出来だ。
「理想的だわ」
そう呟いた姫様は、顔を上げる。
ニコルと視線を合わせた彼女は、綺麗な笑みを浮かべた。
「ニコルちゃん。私と一緒に、この本を完成させてくれない?」
ニコルはすぐに意味が理解出来なかったのか、不思議そうな顔で首を傾げた。




