炎魔導師の驚き。
※魔導師テオ・アイレンベルグ視点です。
子供達への手土産を買ってから養護院を訪れたオレは、門の前に立派な馬車が停まっているのを見つけた。
扉に刻まれた紋章は、プレリエ公爵家のもの。
どうやら、姫様も来ているらしい。
丁度良かった。姫様には直接、伝えたい事がある。
すれ違った養護院の職員に挨拶をして、奥へ進む。応接室の扉の前には、護衛の騎士が立っていた。
爽やかな美貌の持ち主は、チラリとオレを一瞥してからフンと鼻を鳴らす。不遜ともいえるその態度も慣れたものだ。思えば、彼との付き合いも随分長くなってきた。
護衛の騎士……クラウスの横を通り過ぎ、扉をノックする。
入室の許可を得てから、扉を開けた。
「こんにちはー」
「こんにちは、テオさん」
「テオ、偶然ね」
中にいた神父様と姫様は柔らかな微笑みを浮かべ、オレを出迎えてくれた。
「近くまで来る用事があったので。あ、これ、土産です」
「いつもありがとうございます。お茶を用意するので、お掛けになってお待ちください」
菓子の入った紙袋を神父様に渡し、ソファに腰を下ろす。
神父様が部屋を出ていったのを見送ってから、姫様に話しかけた。
「姫様。ミハイルの件、ありがとうございました」
ずっと塞ぎ込んでいたミハイルの様子が、ここ数日で明らかに変わった。
どうやら、姫様とレオンハルト様のお陰で、姉であるビアンカさんとも仲直り出来たらしい。悩みについても、ミハイル自身の意識が変わり、吹っ切れつつあるようだ。
『心配かけてごめんね。ありがとう』そう言って、はにかんだミハイルはいつものミハイルで、オレは安堵した。
姫様に相談して良かったと、心の底から思う。
「私は殆ど何もしていないわ。レオンのお陰よ」
謙遜した風でもなく、さらりと姫様は言う。
確かにミハイルの相談に乗り、良い助言をくれたのはレオンハルト様らしいが、ビアンカさんと仲直り出来たのは姫様のお陰だとミハイルは言っていた。
ミハイルと、彼を心配するオレ達の為に、色々と手を尽くしてくれたのも姫様だ。
けれど、それらは当たり前の事で、手柄でも何でもないと姫様は本気で思っているのだろう。
相変わらず、心配になるくらい、お人よしだ。
「最近のミハイルの様子はどう? 変わったところは無い?」
「顔色もすっかり戻りましたし、元気そうですよ。皆とも、普通に話すようになりましたし」
「リリーさんとも?」
「はい。昨日、休憩室で二人が話している姿を見かけましたよ」
やはり姫様も、ミハイルがリリーさんを避けている事に気付いていたようだ。オレの言葉を聞いて、「良かった」と呟いた姫様は嬉しそうに笑った。
次いで真剣な表情になった彼女は、オレをじっと見つめる。
「テオも、何かあったら言ってね?」
「え?」
「テオも何か悩んでいる事があったら教えて欲しいの」
予想外の言葉を掛けられて、オレは目を丸くする。パチパチと瞬きを繰り返してから、苦笑した。
「オレ、悩んでいるように見えました?」
オレの問いに、姫様は首を横に振る。
「なら、何で」
「ルッツやミハイルは素直で分かりやすいけれど、テオはそういうの、上手に隠してしまうから」
「……」
「私は鈍いから、きっと貴方の異変に気付けないわ。だから今のうちに言っておく。申し訳ないけれど、言葉に出して」
あまりにも堂々と『鈍いから気付けない』なんて言うものだから、肩の力が抜けた。
ふは、と息を零すように緩く笑う。
「分かりました。何かあったら頼りますね」
「うん、そうして。ミハイルのように、我慢してはダメよ」
子を叱る母のような顔で、姫様は言った。
ミハイルを筆頭に、魔導師は問題児揃いだと認識されているらしい。
「はい」
この年で叱られる事は気恥ずかしいが、少し嬉しくもあった。
そんな会話をしていると、扉が開いた。
ティーポットとカップの乗った盆を持った神父様の後ろから、小さな頭がひょっこりと覗く。
「すみません、公爵様。この子がお話を伺いたいと言っているのですが、宜しいでしょうか?」
テーブルの上に盆を置いた神父様は、背後に隠れている子供の背をそっと押す。
おずおずと姫様の前に出てきたのは、十歳くらいの痩せた子供。中性的な顔立ちに見覚えはあった。
前回、ミハイルと共にここを訪れた時に会った子だ。
確か名前は、ニコル。
「ええ、どうぞ。お名前は確か、ニコルちゃんだったかしら?」
「は、はい。領主様」
緊張した面持ちのニコルは、神父様と共に姫様の向かいのソファに腰かけた。
「あの……っ。この本なんですが……」
ニコルは両手で大事そうに抱えていた本を、テーブルの上に置いた。
それは一般的な書籍よりもサイズは少し大きいが、かなり薄い。背表紙の部分を紐で綴じてあるので、どうやら手作りの物らしい。
姫様はそれを見るなり、何故か笑顔が引き攣った。
「そ、それは……」
「この本は公爵様が書かれたって、本当ですか?」
「えっ」
驚きに、思わず声が漏れた。
「姫様が本を書いた……⁉」
姫様にそんな特技があるなんて聞いた事はない。読書が趣味だとは知っていたが、書くとなると話は別だろう。
「オレにも見せてください」
「ちょ、ダメよ!」
姫様が慌てて回収しようとした本を、オレは寸前で取り上げる。
薄い本は子供向けに作られたのか、表紙には大きく絵が描かれていた。
「え、まさか絵も姫様が描いたんですか?」
「そ、そうだけどね、ソレ、試作品なの。ちゃんと絵も専門家に頼むつもりだから」
「いや、味があっていいと思いますよ。上手です、イガグリとワタ」
「……ハリネズミと羊よ」
「……すみません」
姫様に半目で睨まれ、オレは即座に謝罪した。
運動と刺繍以外は割と何でも器用に熟すと思っていた姫様だったが、どうやら絵心は無かったらしい。




