総帥閣下の対話。
※レオンハルト視点となります。
さて、どうしたものかな。
紅茶を飲みながら、オレは胸中でそう呟いた。
ローゼとビアンカ嬢が退室し、取り残されたミハイルは困惑していた。無理もない。オレとミハイルは、親しいと呼べる間柄では無いのだから。
交流はあるし、会えば話もする。けれど、ローゼやビアンカ嬢、クーア族の誰かなど、間に共通の友人を置いている事が前提だ。二人きりで話した事は、数える程しか無い。
相談相手として、オレは不適格と言えよう。
現にミハイルは、明らかに萎縮してしまっている。
プレリエ公爵家の使用人が用意した軽食がテーブルの上に並べられているが、一切手をつけていない。
俯いたミハイルは、ぎこちない動作で紅茶を飲んでいるだけ。
どうにか緊張を解いて欲しいが、なんと声を掛けても余計に悪化させてしまいそうな気がする。
何か良い方法は無いものかと頭を悩ませた。
近衛騎士団に所属していた頃には、部下から相談を受けた事もある。酒の席で同僚に延々と愚痴を聞かされた事もあった。
けれど、彼等とミハイルは違う。騎士団に所属している人間は、良くも悪くも単純な者が多い。悩みがあるとぼやいていたかと思えば、翌日にはケロリと忘れているような奴らと、繊細なミハイルを同列には並べられない。
こんな時、ローゼなら上手に相手の心を解きほぐすのだろうな。
ローゼは優れた話術を持っている訳では無い。相手の気持ちを全て読み取れるほど、察しが良いとも言えないだろう。
しかし、傍に居ると落ち着く。不思議と、この人になら話したい、聞いて欲しいと思わせる何かがある。
本来ならば人には相性というものが存在するが、ローゼには当て嵌まらない。実直な人間、捻くれ者、気が強い人も、大人しい人も、ローゼには心を開く。
相手を思い遣るローゼの優しさが、そうさせるのかもしれない。
きっと今頃、ビアンカ嬢も肩の力を抜く事が出来ているだろう。
そう考えると、ミハイルには申し訳なく思う。
しかし、交代は出来ない。
今回の話し合いは、ある意味、ローゼよりもオレの方が適任だから。
取り留めも無い事を考えているうちに、ミハイルのカップが空いた事に気付いた。
「お代わりは如何でしょう?」
「あっ……、お、お願いします」
控えていたメイドに声を掛けられ、ミハイルは狼狽えつつも頷いた。
「少し変わった味だが、口に合ったかな?」
「は、はい。一口目はびっくりしましたが、慣れると美味しいです」
「それは良かった。フランメ産のお茶で、ローゼが好んで取り寄せているものなんだ。妊娠していると分かってからは飲むのを控えているが、この酸味と香りが好きらしい」
「そうなんですね」
「癖が強く、人を選ぶ品なせいか、地元でもあまり広くは知られていないようだが、リリー嬢はご存じだったそうだ」
ミハイルの肩がピクリと揺れる。
リリー嬢の名に反応した彼は、笑おうとして失敗したみたいな顔をした。
「リリーさんは、博識ですから」
恋愛関係に関しては鈍いローゼですら気付くくらい、ミハイルはリリー嬢に好意を持っていた。逆も然り。恋愛感情かどうかまでは分からなくとも、互いに尊敬し、慈しみ合う良い関係を築いていたのに。
最近のミハイルは、リリー嬢と距離を置いている。
避けてはいないが、少しだけ余所余所しい。小さな違和感は周囲も感じ取っていたけれど、理由が分からずに見守るしかなかった。
しかし、先日、ミハイルの悩みが判明した事で、彼がそうした事の理由もなんとなく分かった。
ミハイルはきっと、誰かと特別に親しくなる事を恐れている。
「そうだな。彼女は優秀で素晴らしい女性だ。患者にも同僚にも信頼され、慕われている。……余計なお世話である事は百も承知で言うが、うかうかしていると横から掻っ攫われてしまうぞ?」
「!」
ミハイルは虚を衝かれたように、目を見開いた。
普段の彼ならば、赤面して狼狽えただろう。しかし、今のミハイルは取り乱す事は無かった。俯きかけた彼は、何かを振り切るように目を伏せ、頭を振った。
「……そもそもオレの片思いです。それに、もし奇跡が起こって好きになってもらえたとしても、オレではリリーさんを幸せにする事は出来ない。だから、それでいいんです」
「ぽっと出の男の方が、彼女を幸せに出来るとでも?」
「オレよりは、きっと」
「君が、そう思いたいだけだろう」
「っ……」
ぐっとミハイルは息を呑む。
オレは敢えて、突き放すような言葉を選んだ。
「ビアンカ嬢に関してもそうだ。君が離れる事で、回避出来る厄介事は確かにあるのだろう。でも、だからと言って幸せになれるとは限らない。人と人が関われば、大なり小なり摩擦が生じるからだ。それは当人同士の性格の不一致かもしれないし、相手の家族との不和かもしれない。些細でありふれた不幸は、世界中どこにでも転がっている。君が取り除いた小石以外に躓く可能性は、いくらでもある」
「それは……」
「厳しい事を言ってすまない。でも、ちゃんと考えて欲しい。君が離れる選択をするという事は、ビアンカ嬢やリリー嬢が躓いた時に、支える権利も失う事だと理解しているか?」
「え……」
理解が追い付かなかったのか、ミハイルは唖然とした声を洩らす。
「家庭内の諍いに、親族では無い人間が口を挟むのは難しい。それに連絡を絶ってしまえば、気付く事すら出来ないかもしれない。ビアンカ嬢の性格を考えたら、縁を切った君を頼る事なんて、しないだろうしな」
ミハイルの顔から、ざっと血の気が引いた。
蒼褪めた彼の肩が小刻みに揺れている。きっと今、彼の頭の中では最悪の未来が描かれているに違いない。
オレはミハイルの様子をじっと見守りながら、そっと息を零した。
「……自分のせいで大切な人が不幸になるかもしれないだなんて、考えたくもないよな。オレでも耐えられるか分からない」
ミハイルの話を、我が身に置き換えてみる。
もしも、オレが魔力持ちだったら。オレが原因でローゼが誹謗され、虐げられる可能性があるとしたら、オレはどうしただろう。
何があっても離れはしないと、断言出来ただろうか。
「たぶん、かなり悩む。君のように、離れた方がいいかもしれないと思うかもな。それでも最終的には、傍にいる事をオレは選ぶだろう。オレが原因のものも、そうでないものも、降りかかる災難の全てから守りたいから、どうか傍にいさせてくれとローゼに希うよ」
「……レオンハルト様は、強いですね」
ミハイルは眉を下げ、微笑む。相変わらず顔色は悪いけれど、今日一番、柔らかな笑顔だった。
「いや、弱いからだ」
「えっ?」
「オレはローゼが傍にいないと、満足に呼吸も出来ない男だから」
苦笑しながら答えると、ミハイルは呆れたのか、言葉を失くしていた。
「君は賢いし、オレと違って我慢強い。オレと同じように、力尽くで解決する必要は無いよ。君に合った方法で、ビアンカ嬢やリリー嬢を守ればいいと思う。ただ、考えてくれ。それは、傍にいなくても可能な方法なのか。離れる事が、本当に最善なのかを」
「最善……」
ミハイルは己に問うように、言葉を繰り返す。
考えてくれ、というオレの言葉を律儀に受け止めたらしい。じっと手元を見つめたまま、動きを止めたミハイルは考えを巡らせているようだった。
「……オレが原因で誰かが傷付くなんて嫌でした。でもオレの周りの人達はとても優しいから、嫌な目に遭っても、きっと『離れてくれ』なんて言わない。だから、オレから離れようと思いました」
「うん」
頭の中を整理するように言葉を紡ぐミハイルに、オレは短く相槌を打つ。
「オレのせいで大切な人を煩わせなくて済むし、言い辛い事を言わせる必要も無くなる。オレも大切な人達から疎まれない。だから、これでいいんだって思った」
「うん」
「でも、それは……ある種の『逃げ』だったのかもしれない」
ミハイルは苦しげな表情で言葉を吐き出した。




