転生公爵の閑談。
明けて、翌日。
私とレオンハルト様は医療施設に向かった。
約束の時間より十分以上前に到着したが、既に部屋にはミハイルとビアンカ姐さんが揃っていた。
離れた位置に座った二人は俯いており、室内は気まずい静寂に包まれている。どちらも碌に眠れていないのは、顔を見れば分かった。
こんな状態で話し合いをしても、たぶん良い結果にはならないだろう。
私とレオンハルト様は目を見合わせて頷く。こうなる事を予測して、事前に打ち合わせしておいて良かった。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
「……おはよう」
私が挨拶をすると、二人は席を立って挨拶を返す。
どちらも笑ってはいるが、無理をしているのが傍目にも分かる。
「早い時間から呼び出してしまって、ごめんなさい。慌ただしかったでしょう?」
「謝るのは、こちらの方よ。私達のせいで、公爵夫妻の貴重な時間を使わせてしまって……」
頭を下げようとしたビアンカ姐さんを、私は手で制す。ゆっくりと頭を振った。
「そんな哀しい事を言わないで下さい。お二人は私達の大切な友人です。時間くらい、いくらでも」
「マリーちゃん……」
「今日はお二人の話をじっくりと聞こうと思っているのですが、その前に」
「?」
私が手を差し出すと、不思議そうに首を傾げつつもビアンカ姐さんは手を取った。
「場所を変えましょうか」
「えっ?」
私が手を引いて歩き出すと、ビアンカ姐さんは明らかに困惑していた。
残されたミハイルも唐突な展開についていけず、戸惑っている。そんな彼に、レオンハルト様が話し掛けた。
「申し訳ないが、ミハイルはオレで我慢してくれ」
「え……」
「とりあえず、座ろうか。飲み物を用意させよう」
「は、え、……えっ?」
ミハイルの驚く声を聞きながら、私はビアンカ姐さんを連れて部屋を出た。
「ど、どういう事? それに、何処に行くの?」
「そうですねぇ。まずは日当たりの良い場所で、お茶でもしましょうか」
「お茶? どうして……」
「顔色が悪いです。ちゃんと食事を摂りましたか?」
「それは……」
ビアンカ姐さんは口ごもる。
私の予想通り、食事も抜いているようだ。昨日あった事を考えれば無理もないが、睡眠も食事も満足にとれていない状態では、考えも上手く纏まらないだろう。
それにビアンカ姐さんもミハイルも、自分に厳し過ぎる。そのストイックさは美点なのだろうけど、たまには愚痴や弱音を吐き出す事も必要だと思う。
だから私達は、まずは別々に話を聞く事にした。
「たまには、自分を甘やかす事も大切ですよ。真面目な話し合いの前に、まずは美味しいものでも食べながら、ゆっくりしましょう」
ね、と駄目押しするみたいにビアンカ姐さんを見つめると、彼女は躊躇するように視線を揺らした後、小さく頷いた。
医療施設から研究所に移動する。
研究所自体は機能性を優先した無骨な造りだが、南側には一応、こじんまりとした庭園とテラスがある。放っておくと一年中、嬉々として室内に籠り切りになってしまう研究者達の為に用意した休憩スペースだ。
真っ白なテーブルクロスをかけた机の上に、菓子や軽食が並べられる。
薄くスライスしたライ麦パンにチーズとハムと野菜を挟んだサンドイッチや、ディップを添えたクラッカー。ドライフルーツを練り込んだスコーン。
「いっぱいあるのね」
「何を食べます? 我が家の料理人の腕は確かですので、どれも美味しいですよ」
話している間に、スッとカップが置かれる。
私には温めた牛乳。ビアンカ姐さんには、ミルクをたっぷり入れた紅茶だ。
「じゃあ、これを頂くわ」
ビアンカ姐さんはそう言って、クラッカーを一つ手に取った。
私に気を遣って手を伸ばしたものの、あまり食欲は無いのだろう。ディップを乗せたクラッカーの端を、小さく齧る。
もそもそと咀嚼する様子は、子リスのような愛らしさがあった。
「!」
ビアンカ姐さんは、軽く目を瞠る。
ごくりと嚥下してから、「美味しい」と呟いた。
「良かった」
少しでも食べられそうなら良かった。
本当ならスープとかパン粥とか消化に良さそうなものを用意したかったんだけど、持ち運びが難しく断念した。
私もスコーンを一つ手に取り、半分に割る。
クロテッドクリームを塗ってから齧ると、濃厚な牛乳の風味の後にドライフルーツの酸味がじわりと口内に広がる。次いで感じるのは、ほろりと崩れた小麦の香り。
相変わらず、我が家のスコーンは美味しい。クリームも濃厚なのに後味はあっさりしていて私好みだ。
飲み込んでから、牛乳を一口。うん、最高。
小麦粉系のお菓子と牛乳の組み合わせは、やはり鉄板。前世でも、ちんすこうに口内の水分を全部持っていかれた後に飲む牛乳が好きだった。
のんびりと食事を摂りながら、空を見上げる。
パーゴラに這う蔓植物の隙間から、キラキラと木漏れ日が降り注ぐ。飲み物で温められた頬を、涼しい微風が撫でていくのも気持ちが良い。
今日はピクニック日和だなと思いながら、純粋に食事を楽しんでいると視線を感じた。そちらを見ると、ビアンカ姐さんと目が合う。
言葉を促すように軽く首を傾げると、ビアンカ姐さんは肩の力を抜いたように表情を緩める。
「……何も聞かないのね」
「無理に聞き出したい訳ではありませんから」
私が答えると、ビアンカ姐さんはクスクスと笑う。
「昨夜、部屋に戻ってからもずっと考えていたのよ。自分の意見とか、曲げられない部分とか、どうするべきか、どうしたいか。どう説明すれば分かってもらえるか、とか。考え過ぎて、何を言えばいいのか分からなくなってしまったけれど」
「……お二人とも、真面目過ぎなんですよ」
「ミハイルは真面目だけど、私は融通が利かないだけだわ」
「同じです。真面目で優しくて、責任感が強い。そっくりですよ」
「そんな事無いわよ。私は結構、いい加減だし」
「何を仰いますか。幼い頃から、貴方はずっと一人で、ミハイルを守って来たでしょう。親も親戚も頼れない中で、成人前の少女が、どれほど不安だったのか。それでも貴方は諦めなかった。ミハイルの心に寄り添い、無償の愛を注ぎ続けた。そんな立派な人を、『いい加減』だなんて言わないで」
ビアンカ姐さんの吊り上がり気味の目が、虚を衝かれたように見開かれる。
「私が尊敬するビアンカさんを、貴方自身も認めてあげてください」
眉を下げて笑うと、ビアンカ姐さんの琥珀の瞳がじわりと滲む。
ビアンカ姐さんは、慌てて下を向く。
「そんな事言ってもらえると思わなくて、ビックリしちゃった」
あは、と笑ってみせるが、鼻の頭が少し赤い。
「私って口調も性格もキツイから、あんまり褒められ慣れてないのよ。善かれと思って、余計な事をしがちだし。ミハイルも大人になったのに、いつまでもベッタリしてちゃいけないと思いつつも、ついつい世話を焼きたくなっちゃうのよね。姉というか母親みたいで、鬱陶しがられても仕方ないかなって、たまに思うの」
気まずさを誤魔化そうとしたのか、茶化すような言葉選びだ。そのままの調子で続けようとして、ぐっと言葉に詰まる。
花が萎れるように、綺麗な形の眉が下がった。
「……ミハイル、怒っているかしら?」
「そんな事は無いと思いますよ」
寧ろ、ミハイルも落ち込んでいる気がする。
ビアンカ姐さんを泣かせてしまった事を後悔しているけれど、どう謝っていいか分からない。そんな顔をしていた。
「だって私、黙って話を聞くって言ったのに遮っちゃったし。その上、許さないって怒鳴り散らしてしまったわ」
「あれは仕方ないと思います」
ミハイルはミハイルで思い悩んだ結果だとしても、あれはビアンカ姐さんに言ってはいけない言葉だった。
「逆の立場ならどう感じるのか、ミハイルも想像してみたらいいんです」
私が少しだけ語気を強めると、ビアンカ姐さんは驚いていた。
それから、ふっと息を零して目元を緩める。
「……そうね。あれは怒ってもいいところよね」
私が同意を示すように何度も頷くと、ビアンカ姐さんは破顔した。
「なんだか、お腹減ってきちゃった。サンドイッチも貰おうかしら」
「ぜひ。我が家のライ麦パンは絶品ですよ」
それから私達は他愛ない話をしながら、食事を楽しんだ。




