転生公爵の心痛。
結局、ビアンカ姐さんとミハイルの話し合いは、翌日以降に持ち越しとなった。今は二人共、冷静になれないと思うし、何よりビアンカ姐さんの精神的負担が大き過ぎる。
事情を知る第三者として、間を取り持つべきかもしれないと考えつつも、私自身も冷静になり切れていない部分があった。
ビアンカ姐さんから事のあらましを聞いて、私は少なからず怒りを覚えてしまっている。
マルセルさん側の事情も、そういう思考に至った経緯も何となく想像出来る。
でも、納得は出来ていない。
「ローゼ」
呼びかけと共に、ふわりと肩に柔らかな感触が降って来た。
手触りの良いショールをぐるりと巻き付けられ、目を丸くした私が見上げた先、レオンハルト様が苦笑していた。
「考え込んでしまうのも無理はありませんが、せめて寝台に移りませんか? 夜も更けてきて、空気が冷えてきました」
そう言われて、ようやく肌寒さに気が付いた。
湯浴みを済ませて自室に戻ってから、さほど時間が経っていない感覚だったが、随分長く考え事をしていたらしい。温まっていた筈の体は、既に冷えてしまっていた。
ソファから立ち上がり、レオンハルト様が差し出した手を取ると、彼は僅かに眉を顰める。私の冷えた指先を温めるように、大きな掌に握り込まれた。
「こんなに冷えて」
寝台に向かうと、レオンハルト様は私に毛布を巻き付け、その上から抱き込む。背中から、じんわりと温かな熱が伝わってきた。
「ごめんなさい」
「……怒っている訳ではありません」
「分かっているわ。心配してくれているのよね。ありがとう」
体の力を抜いて、レオンハルト様に寄り掛かる。レオンハルト様は私のお腹に手を回し、私の体を支えてくれた。
「悩んでいたのは、ミハイルの件?」
「……うん。それから、他にも色々と考えてしまって」
「どんな事? 良ければ、聞かせて」
「人に話せるほど、考えは纏まっていないの。……心の中がグチャグチャで、私自身も何を悩んでいるのか分からないくらいだわ」
「順序だてて話す必要はありません。思った事を全部、吐き出して。今は公的な場では無いのだから、取り繕う必要も無い。聞いているのは、オレだけなんだから」
優しい目で、レオンハルト様は言う。
ミハイルやビアンカ姐さんの傷を目の当たりにして、私は怒りや悲しみを感じていた。けれど表に出す事は、公爵家当主として許されない。
権力を持つ者が私情を挟み、公平さを欠く判断をしてはならないと。
そう自分に言い聞かせて、憤りを呑み込んでいた。でも、そんな私の虚栄はレオンハルト様にはバレバレだったらしい。
見抜かれていた自分が不甲斐なくて、情けなくなる。
でも、どうせ未熟者の私の強がりは長く続かない。それなら今、レオンハルト様に甘えて、吐き出してしまおうと思った。
「……ビアンカさんの話を聞いて、私は真っ先に『理不尽だ』って思った。ミハイルは誰が見ても、善良な人よ。確かに彼は魔力を持って生まれたけれど、その力を非道な事に使ってはいないわ。それどころか、人を助ける為にばかり使っている。それなのに、生まれ持った力の事で責められるのかって考えたら、怒りが込み上げて来たの」
レオンハルト様は私の言葉を邪魔しないようにか、「うん」と短い相槌を打つ。
「マルセルさんの事情を聞いて、そういう思考に至った理由も何となく分かった。客観的に見れば仕方ない事なのかもしれないとも思う。でも、ミハイルとビアンカさんの友人としては、とてもじゃないけど納得出来なかった。勝手な事を言わないでって思った。ミハイルが貴方に何をしたんだって。……そんな酷い事を言うなら、貴方がここに近付かなければいいじゃないって……、そんな風に思ってしまったの」
領主としても、医療施設の責任者としても、相応しくない考え方だ。
自分の情けなさに顔を上げられずにいる私の頭を、レオンハルト様はそっと撫でる。
「オレ達は公平な第三者では無いですからね。友人として、ミハイル側に立った考え方をしてしまうのは仕方がない。……大事なのは、表に出さない事。権力者として、誤った力の使い方をしない事。それを分かっているなら、心の中で毒づくくらい許されるでしょう」
「……うん」
領主になってから、感情的になる事を必要以上に恐れていた。
誰かを嫌い、遠ざけたいと思った場合、実行出来てしまう力が今の私にはある。だから、出来る限り負の感情は抑えたいと思った。
けれど、たぶん大丈夫だ。
私が間違った判断を下した時は、きっとレオンハルト様が止めてくれる。
「実際、オレも腹が立ちました。マルセル殿は、自分の都合を一方的にミハイルに押し付けている。しかも彼は、ミハイルが善良な人間であると分かっていて言った」
私もそう思う。
ミハイルはプレリエ領の人間で、医療施設にとって欠かせない存在だ。ここはミハイルにとってのホームで、マルセルさんのアウェイ。
たぶんマルセルさんは、ミハイルが『気に入らないなら出て行け』と言うような人だったら、言わなかっただろう。
「多少は言い返しても許される気はしますが、当の本人であるミハイルがそれを望んでいない」
「そうなのよね……」
当事者が怒っていないのに、周りが騒ぎ立てても仕方がない。
「それに、マルセルさんに文句を言っても、根本的な問題は解決しないわ」
「魔力持ちへの差別ですね」
レオンハルト様の声が、低く険しくなる。この体勢では良く見えないが、表情も同じように厳しくなっているのだろう。
「仮に今回の件が解決したとしても、魔力持ちへの偏見が無くならない限り、似たような事は起こり得ると思う」
「でしょうね。でも、一朝一夕でどうにかなるものではありませんよ」
「うん」
重く頷く。
古くから残る差別や偏見は、簡単に無くせるものでは無い。前世の地球では科学技術が発展し、色んな不便を解消したけれど、差別は無くせていなかった。
「……でも、何もしなければ、きっと何も変わらないから」
具体的な案は思い浮かばないけれど、『仕方ない事だから』と諦めたくはない。
「ミハイルだけじゃなくて、テオやルッツ。それから、イリーネ様も。大切な人達がまた傷付く可能性を、未来に残したくない。……それにね、他人事ではないと思うの。みんな、自分に関係無い事だって好き勝手に悪意をぶつけるんでしょうけど、きっと無関係な人なんて殆どいないのよ」
私は自分のお腹を、そっと擦った。
魔力持ちが、どういうメカニズムで生まれているのかは解明されていない。
ディーボルト家の当主夫妻は魔力持ちでは無いし、先代、先々代についても、そのような記述は残っていなかった。
秘匿されていた可能性もあるし、もっと前の祖先にはいたかもしれない。でも、それを言ったら、全員当て嵌まる。遠い昔には、魔導師がゴロゴロいたのだから。
私の子供だって、魔力を持って生まれるかもしれない。
「魔力持ちだけに限らず、理不尽に虐げられる人がいない世界になればいいのにって思う」
理想論で、綺麗事だ。
でも、これからの世界が少しでも、子供達にとって優しいものであればいいと願わずにいられない。




